成績はそれなりに予習復習を重ねているので悪いわけではないと思っている。まあ平均より上ではないんだろうか。しかし誰しも苦手なものはあるもので、マルコにとってそれはパソコンを使った授業だった。高校になると情報という授業があるらしく、表計算ソフトを使用できるように基本的なことを教えられる。これがどうも合わないらしく、簡単な関数ならともかく、少し応用されたものになると理解できるようになるまでとにかく時間がかかった。それは今日も例外ではなく、問題が印刷されたプリントと睨み合っているのだが、どうしても答えが合わない。情報の授業はたまに教師が関数の説明や計算問題をホワイトボードに書いて説明する程度で、基本的には実技ばかりだ。パソコンのある教室に移動して、ソフトを起動して配られたプリントや問題集の問題を読みながら表を作っていく。架空の収支の計算が主で、教師が事前に正解例を作ってファイルに保存しておいてくれている。自分で問題をすべて解いたあと、どこか間違っていないか確認するためにあるものだ。わからないなりに頑張って理解できるところまで解いて、授業残り15分ほどでマルコはファイルを開いて関数を見ながら自分でも入力していく。こうして見てみればなるほどなと思うのだけど、なぜか自力では解けない問題が多いのでいやになる。案の定彼はこの授業があまり好きではなかった。
 あと少しで解ける、というところまで来ているのに、どうしてもこの問題が解けない。正解例のデータを見て関数を見直してみるけれど、入力ミスは見つからなかった。おかしいなあ。首を傾げて、それからまた関数のスペルミスだとか、数字の桁数が間違っていないかとか確認してみる。やはり間違ってはいない。もう授業も終わりそうなのにどうしたものか。最後にはデータを自分の名前のフォルダに保存しておかなければいけないというのに、これでは保存できない。コピーペーストをしてもいいのだけど、真面目なマルコはそれをあまりしたくなかった。これだから優等生は、とジャンに少しの嘲りを混ぜて言われるのはこういうところが原因である。
 もうほとんどの生徒が問題を解き終えて、残りの時間を小さな声での雑談ですごしていた。中にはパソコンで見えづらいのをいいことに、携帯を触ったり本を読んだりしている生徒もいる。隣に座っているルウもそうだ。情報の授業を行うこの教室は、会社のデスクとして使われているような机をふたつずつくっつけて置かれている。教室より隣の席との距離が近いのだ。最初のころはそれなりに緊張していたのだけど、今はわりと気軽に話をしているので、最近はわからないところはルウに聞いていたりする。今回も申し訳ないことだけど甘えることにした。

「ルウ、ごめん。どうしても答えが合わなくてさ」

 前のほうでなにやらパソコンに向かっている教師には聞こえない声量で声をかける。実技をさせているあいだ、自分はひたすらパソコンで仕事を進めている教師は、生徒間ではいまいち読めない先生だともっぱらの評判だ。だから携帯をいじっていても叱られて没収、ということにならないので、その面ではいい教師だとも言われている。その言われようもどうかと思うけれど。
 携帯からぱっと顔を上げたルウは、無言のままコロコロとキャスター付きの椅子を転がしてマルコのすぐ隣まで移動する。授業中に携帯をいじっているのを見られた、と焦ることはないらしく、いつものように無表情だ。とてもマイペースである。

「ここの式、どこか間違ってるかな」

 パソコンのカーソルで表示された式をぐるりと囲む。じっと見つめたあと、ルウは自分の使っているパソコンをカチカチといじる。それからもう一度マルコのパソコンを見て、ああ、とつぶやいた。

「たぶんそのカッコ、半角じゃなくて全角になってる」
「え、……ああほんとだ! なんでだろう」

 これ、とルウが指さした式中のカッコ記号がよく見てみると全角になっていた。なんだ、単純な凡ミスじゃないか。キーボードに指を置いて入力し直し、エンターキーを押してみると、正しい答えが表示された。ああよかった。教室の入り口近くにかけられた時計を見ると、授業終了まであと10分もないくらいだった。自分の名前のフォルダに今日の日付で保存し、計算ソフトを終了した。余った時間は問題集を見直して復習をしよう。それなりの厚さがある問題集を開いて、苦手な部分を見直す。といっても、ほとんどの部分が得意ではないので、最初からじっくりと読みなおすわけであるが。
 ルウはまた自分の位置に戻って、携帯をいじりはじめる。本当にマイペースだ。責めているわけではないが、バレたらどうしようとか、罪悪感というものはないのだろうか。涼しい顔をして携帯を見つめるルウの前の席に座るアニも、堂々と本を読んでいるのでなんだか脱力しそうだ。そして横に視線を動かすと、ライナーはさっさと実技を終わらせていたようでトランプゲームをしていた。まあみんなそんなものだ。むしろマルコのように最初から最後まで真面目にしている者のほうが少ないのである。
 赤く引かれたアンダーラインが多い問題集を眺めていると、いまいち違いがわからない関数がふたつ出てきた。この関数はよく似ていて、しかしマルコは違いがさっぱり分からず、いつも間違えて使用して点数を減らしてしまっている。説明文を読み比べてみるけれど、やはりいまいちわからない。授業が終わるまでの少しの時間だ。もう一度ルウ、と声をかけると、先程のように無表情でルウが顔を上げた。いやそうな顔をしていないので大丈夫だろうか。

「何度も悪い。これとこの関数の違いを教えてほしいんだ」

 今度はマルコも少しルウのほうに椅子ごと移動した。手に持った問題集を覗きこむルウの、伏せがちになった目元を見てあ、まつ毛がすごい長い、と関係ないことを考える。よそ見をしているマルコを叱ることなく、ルウは携帯を机の上に置いてまた指さしながら丁寧に説明してくれた。

「こっちの関数は複数のセルを選択したときに使うやつ。それ以外はこっち」
「そんなざっくりした解釈でいいのか」
「まあそんなものだよ。私はそれで今までやってきてる」
「……ルウは結構、図太そうだよね」
「マルコは結構失礼だね」
「ごめん、不愉快かな」
「変に気遣われたりするより、ずっといいけど」

 そう? と訊ねると、また無言で首を縦に。じっと見つめてくる淡褐色の瞳は、光が当たるとまわりが緑に、中心が茶色に見えることに気付いた。面白い目だなあ、と眺めていると、ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ルウが「なにかへんなところでもある?」と首を傾げた。決してそういうわけではないので慌てて首を振る。

「前から思っていたけど、ルウの目は変わった色だね」
「そうかな」
「今気付いたけど、光に当たると部分で色が違うんだよ。面白い」
「自分ではわからない」

 淡々とそう言うルウに、まあそうだよな、と納得した。自分の瞳の色なんて、鏡を見ない限りわからないし、光に当たったときなんてわからないのも当たり前だ。きっとルウの瞳のこの色は、蛍光灯とかそういう人工的な光ではなくて、太陽の光でかわっているのだろう。角度を変えるとまた違ったふうに見えて、マルコは少しうらやましくなった。自分の瞳は何の変哲もない至って普通のブラウン色だ。
 時計の長針は8の数字を差す。キーンコーン、と聞き慣れたチャイムが大きくなった。クラス委員長が起立礼の号令をかけ、教師は扉ひとつ隔てた向こうにある準備室に引っこみ、生徒は目が疲れた腰が痛いと言いながら教室を出ていく。ジャンも目頭を指で押さえながら、だりい疲れたとぼやいていた。

「すげえ今日目が乾燥した」
「あれ、ドライアイ? 目薬とか持ってないのか?」
「あるにはあるけど、あんまり好きじゃねえ」

 そんなわがままを言っている場合か。瞳を乾燥したままの状態で放置しておくのはあまりよくない。しばしばするらしく、ジャンはしきりに瞬きを繰り返す。なんだかそれがおかしくてしばらくじっと見ていて、ジャンの瞳もブラウンだなと思った。2色の瞳なんてめずらしいのだろうか、マルコが知っている中ではルウだけだ。他にもどんな色があるか知りたいのだけど、緑と茶色の組み合わせだけしかないのだろうか。あごに手を当ててひとり頷くマルコに、ジャンはなんだこいつというような目を向けていた。最近友人がひとりで考え事にふけって急に笑い出したりするからこわい。
 ふと廊下の窓から外を見る。今日は少し曇り空だ。雨が降るのだろうかと地面に視線を下ろすと、白い花が咲いた背の低い木が並んでいるのが見えた。花が固まって咲いていて、とにかく白が目立つ。あれは何の花だろうか、あまりそういうことに興味がないし、遠目から見ているのでまったくわからない。

「あ、ウツギ? マルコはウツギの花が好きなの?」

 ぱっとうしろを振り向くと、にこにこと可愛らしい笑顔を浮かべながらクリスタが立っていた。いつものごとくユミルというおまけつきである。かったるそうな表情をするユミルと、どこか楽しそうに話しかけてくるクリスタは対照的だ。

「かわいいよね、見た目が雪みたいだから、雪見草って呼ぶこともあるんだよ」
「詳しいね、やっぱり女の子は花が好きなのかな」
「あ、私はそこまで詳しくないの。かわいいなって眺めてたら、ルウが教えてくれて」
「ルウが?」

 それはまた意外な名前である。昼休みご飯を食べたあと、暇だから腹ごなしにと中庭から裏門のあたりを通ってぐるりと学校内を散歩していたときに、目についた花の名前を教えてくれたのだという。可憐な白い花が気に入ったらしいクリスタは、ルウに教えてもらったことをよく覚えていた。花言葉は謙虚とか古風とか風情で、何日か忘れてしまったけれど5月の誕生花だ、とか。

「あとね、旧暦の4月のころに咲くから、卯の花っていう名前もあるんだって」
「うのはな?」
「うん。4月は卯月っていうでしょ?」
「へえ、ルウって物知りだね」
「聞いてて楽しかったよ! マルコも今度、何か聞かせてもらったら?」

 最近仲いいみたいだし、と言われたことに正直どきりとした。このあいだライナーにも言われたセリフである。隣の席なので話はするけれど、そんなふうに見えるのだろうか。いや、以前までが関わりがなさすぎただけのことだろう。「そうするよ」と頷いて、階段を下りて1階を目指す。ジャンが次の数学絶対寝るわ、と大きくあくびをしながら言っているときの顔がとても間抜けだ。階段を下りきったところの真正面にある窓から、また白い花が見えた。

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