くすんだ緑だと思っていた、隣の席の少女の本当の瞳の色を知った翌日。
 英語の教師はやたらと隣の席同士でペアを組ませたがる。単語の小テストの採点だとか、予習をきちんとしてきたかどうかのチェックだとか、そして今回は英文の音読である。前の席のライナーは想い人であるクリスタとペアを組んでいるジャンを睨みつけて、ギリギリと歯を食いしばりながら「席をかわれ」と喉の奥から絞り出すように呟いていた。一方のジャンはそんなライナーに気付くこともなく。

「私、英語苦手だから読めない単語とかあるかもしれないけど、よろしくね」
「おー」

 にこにこと笑うクリスタに対し、つまらなそうな表情で適当な返事をしている。そして相変わらずクリスタも気にしていないようで、つたない発音で英文を読み始めた。心優しい彼女にライナーはデレデレである。しかし見惚れてばかりいられると困るのはライナーの隣の席のアニで、一向に教科書に目を向けようとしない彼のすねを思い切り蹴とばした。ウッとくぐもった悲鳴が上がる。

「ルウ、どっちから先に読もうか」

 あまり話したことがないのでこの一言を言うだけでもかなり緊張した。マルコは体を横に向けて彼女のほうを見ると、ルウはまっすぐこちらを見ていた。ぱっちりとした二重が、目力を強調している。

「どっちでも」
「じゃあ僕から読むよ。一文ずつ交代でいいよね」

 ルウは無言のまま首を縦に振る。基本的にイエスの場合はそう相槌を打つらしいと気付いたのはついさっきだ。どうやら口数が少ないだけで冷たいわけではないらしい。前ではライナーがぼしょぼしょと聞こえるようで聞こえない中途半端な声で英文を読み上げ、アニに「真面目にやりな」とまたすねを蹴られていた。席替えなんてこれから何度でもするのに引きずるなあ。友人の繊細な一面がここ最近よく露呈してしまっている。見た目はガタイのいい青年なのに、中身が女々しいことこのうえない。彼を好いているらしい生徒はこの姿を見るとがっかりするだろう。これでもライナーは一部女子からそれなりの支持を集めていたりするのだ。あくまで一部、とつくのは、クリスタに対するデレデレ具合がある程度知れ渡っているためである。
 そんなことはどうでもいいと視界に入れないようにマルコは教科書に視線を落とした。ルウの落ち着いた声がすらすらと英文を読み上げる。発音がとても上手で驚いた。指定されたページの一番最後の行まで読み終わり、今度は順番を変えて最初から読み上げていく。2ページだけとなるとすぐ終わるので、それが終わると少しのあいだ雑談になった。

「ルウは読むの上手いね。英語は得意?」
「まあ」
「そっか。じゃあどっちかといえば文系かな」
「……そうだね」
「数学とか理科基礎は好き?」
「英語にくらべるとあんまり」

 マルコの質問に淡々と答えるルウは、傍目には素っ気なく見える。しかし返事の前に多少の間が開くので、マルコはちゃんと考えてから返事をしているのがわかった。なんだ、いい子じゃないか。隣の席になって2日目、ルウに対する印象がたいぶいいものに変わっていく。そういえばこの子とアニと、隣のクラスのミカサを同じ部屋に待機させておいたらどうなるんだろう。3人とも積極的に話すタイプじゃないし、口数もそこまで多くないから静まり返ったままだったりするのだろうか、とか、とても失礼な想像をするマルコである。

「お前って話せたのかよ」

 どうやら英文を読み終えたらしいジャンが、うしろからルウに対して何とも失礼なセリフを吐く。クリスタが「やだジャン、失礼だよ」と窘め、それを見たライナーがかわいいと呟く。もうマルコはそれなりに慣れてしまって、返事をすることなく会話を続けた。

「あまり口数が多くないだけだよ。ちゃんと聞いたことは答えてくれるし、ルウはいい人だね」
「……いいひと?」

 呟き、ルウが瞬きをする。一応驚いたりはするようだ。

「お前は相変わらずおめでたい頭だよなあ、マルコ」
「ジャンは相変わらず口が悪いね」

 そこで教師が授業再開の声を上げた。各々きちんと体を前に向けて、シャーペンを握って黒板に書かれていく文字をノートに写していく。うしろのジャンから「マルコ、ルーズリーフ1枚くれ」と言われて仕方なく1枚あげた。こういうときノート派でなくてよかったなあと思う。あまりノートでの書き心地が好きではないのだ。
 ふとルウのほうを見ると、右手にシャーペンは握られているが視線は窓の外に向けられていた。青い青い、雲ひとつない空では、鳥が気持ちよさそうに飛んでいる。小さいころ、よく雲の上を歩きたいとか、空を飛んでみたいとか考えていたことを思い出して懐かしくなる。今となっては雲の上を歩けないことは理解しているし、生身で空を飛ぶと強風で体が冷やされて楽しむどころではないということもわかっている。わかっているけれど、こういうことを考えると、夢がないなあと思うのだ。そして大人になりたくないとも思う。
 窓の向こうでは、化学室でどこかのクラスが実験を行っている。ここからは遠くてあまりよく見えないが、みんな笑ってはしゃいで、授業を楽しんでいるようだ。勉強は嫌いだけど実験は好きという生徒はきっと多い。楽しそうでいいな。そんなことを考えていると、ルウがじっと自分を見ていることに気付いた。彼女が人をじっと見ているところを見たことがなかったマルコは驚いた。目を逸らすことなく誰かを見ていることについてもだし、その対象が自分だということにも。何か声を書けたらいいのだろうかと思いながらも言葉が出てこないので、とりあえずへらりと笑っておく。だがルウは笑い返すこともなく目を逸らして、今度は前の席のアニの背中を見つめ始めた。小柄な彼女は制服のブレザーの下にパーカーを着ているのだが、そのフードに糸くずがついていたようで、本人にわからないくらい、そっとした手つきでそれを取って捨てた。それからまた視線を窓の外に戻す。やっぱりどこかつかめない。そしてノートを取るつもりはないのだろうか。くるくると器用にシャーペンを回すルウの手を見つめていると、ジャンから背中をつつかれた。

「どこ見てんだよ優等生」
「ルウは器用にペンを回すなあと思って」
「あ? あれくらい俺だってできるっつの。見てろ」

 空と同じ色のシャーペンをずっとくるくる、くるくる回している。しかも手元を見ないでだ。ペン回しをしたことがないマルコは単純にすごいなあと思ったのだが、ジャンはなぜか対抗心を燃やしたらしく、自分のシャーペンでペン回しを始めた。しかしあまり上手というわけではないらしく、1回転もしないうちにガシャンと机の上に落としてしまうということを繰り返して、やかましいと近くの男子に怒られる。「うるせーこっちは真剣なんだ」と返す表情はたしかに真剣で、ペン回しくらいで何を熱くなっているのか、マルコは少し理解しがたかった。しかもいつの間にかルウもジャンを見ていて、呆れた表情をしていた。当たり前である。

「ルウ、ペン回しも上手いね」
「……これくらい簡単だよ。マルコも練習したらできる」

 名前覚えててくれたのか。意外や意外、しかもファミリーネームを覚えてくれていればいいと思っていたのに、ルウが今口にしたのはファーストネームだ。驚いた反応を隠すことなく顔に表していると、「ごめん、そう呼ばれてるから呼んだ。不愉快だったなら謝る」とこれまた無表情のままルウが言うので、ふるふると首を横に振った。

「僕もルウって呼んでるしね。気軽に呼んでよ」

 そういうとまたしばらく間をおいて、無言で頷く。ルウはなんだか猫に似ていると思う。なかなか懐かないあの動物をだんだんと手懐けていく感じと、警戒心が強いわけではないけれどどこか距離のある彼女と打ち解けていく感じはどこか似ている。ああ、人間相手に手懐けるは失礼だろうか。少しにぎやかになった教室を気にすることなく、教師は「出席番号6番、この単語の意味答えなさい」と言う。6番の女子生徒が困ったように立ち上がると、察したらしく「単語の意味調べは予習のうちだぞーハイ減点1」と生徒日誌に何かを書き込む。せんせー勘弁してよー、という女子生徒の声で笑いが起き、また少しにぎやかさが増した。ルウはまた、鳥を眺めている。

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