英語の教師はやたらと隣の席同士でペアを組ませたがる。今回も例にもれず英文の音読で、もしかして授業が面倒くさくて楽がしたいがためにしているのではないかと思うときもある。教壇のそばに置かれた椅子に腰かけた40代半ばの無精髭の生えた男性教師は、退屈そうにあくびをしながらクロスワードを解いていた。職務怠慢もいいところである。
「公務員真面目に仕事しろよ」
「授業教えてるときより真剣な顔してるね」
ぼそぼそと聞こえないように小声でジャンと話しながら教科書をぱらぱらとめくった。まわりの生徒もこの時間は雑談の時間と同じように思っているのか、教室内は少し騒がしい。
ジャンは相変わらず人気者のクリスタへの返事が適当だった。「読むの遅くてごめんね」と申し訳なさそうに謝る彼女に「気にすんな」と言いながらも視線は教科書に落としたままだったし、にこりともしていなかった。本当にミカサ以外の異性はどうでもいいらしい。下唇を噛みしめながらジャンを恨めしそうに睨みつけるライナーは音読のペアであるアニに任せるとして、マルコもルウのいる方向に体を向けた。ルウもすでに同じように体をこちらに向けていて、目で教科書の英文を追っている。
「じゃあ僕から読むよ」
ルウが頷いたのを確認してから、文章を指でなぞりながら読み上げていく。隣ではクリスタの拙い発音が聞こえてきて、ジャンがあくびをする気配がした。成績優秀なルウは綺麗な発音でさらさらと難なく文章を読み上げていく。そういえばこの席になってそろそろ半月ほどたつだろうか。また来月になれば席替えが行われて、きっとルウとはまた席が離れてしまう。ちょっとさみしいなあ、とルウを見つめていると、読み終えたらしい彼女がふと教科書から視線を上げた。
「マルコ、終わったから交代」
「ああうん、わかった」
今度はルウから英文を音読していく。自分の一文が終わっても続きを読もうとしないマルコを不審に思ったルウはまた教科書から顔を上げて、「マルコ?」と名前を呼んだ。淡褐色のその瞳と目が合って、今ここで言おうと思った。
「僕、ルウが好きだよ」
すると前の席のライナーがブッと吹き出し、うしろの席のジャンが「ハア!?」と声を上げた。ルウはぱちくりと何度か瞬きを繰り返したが、すぐいつもの無表情に戻り「そう」と頷いてまた視線を落とす。そして何事もなかったかのように、マルコが読むはずの英文をすらすらと読んでいった。自分の気持ちを言えたことでだいぶ気分がすっきりとしたマルコも、彼女のあとに続いて音読する。当事者たちがそうやって淡々と授業内容を進めていくところを見ているまわりの者はそれでいいのかと声には出せないツッコミをした。教師はクロスワードの答えが分からないらしく、一番前に座った生徒を巻き込んで一緒に解いていた。まったく聞こえていないようである。
「いや待て待て! おかしいだろなんで今言うんだよそういうこと! つーかお前! 『そう』ってなんだ『そう』って! 返事として成立してねーだろ!」
「おいキルシュタイン、授業中だぞ座れ」
「授業中にクロスワード解いてるやつに言われたくねーよ! 仕事しろ!」
「ハイお前減点5な」
「ふっざけんな!!」
ガタンと椅子から立ち上がったジャンは当たり前だがクラス中の視線を集めた。ジャンの隣の席のクリスタが代表して「ジャン、落ち着いて」となだめるが、くすくすと笑われながら椅子に腰掛けたジャンは、減点を言い渡した教師を睨んでそれからまたマルコに詰め寄る。
「それでいいのかマルコ! そいつでいいのかマルコ! つーか今授業中だぞTPO考えろよ!」
「ジャン、また減点されるよ、シー」
「シーじゃねえ!!」
グシャアと握りつぶされたルーズリーフを見てあーあもったいない、とマルコはあまりジャンの話を聞いていなかった。ジャンは普段ぶっきらぼうなくせにノートは結構丁寧に取ってあるのだ、テスト前になると助かる存在でもある。吹き出していたライナーはむせ込んだらしく、机に突っ伏してアニに背中をさすられていた。さすが幼馴染、慣れた手つきである。
恥ずかしがるわけでもなくルウは教科書をぱらぱらとめくっていて、クリスタがそわそわした様子で彼女を見ていた。きっと詳しく話を聞きたいのだろう。しかし今は授業中で、クロスワードが一段落ついたらしい教師が渋々立ち上がり教壇に立った。
「じゃー単語の意味答えろよ、そっちの列の前から順番」
指さしたのは窓際の一番端の列だった。ひとりひとつずつ英単語の日本語訳を答えていく中で、ライナーが「俺もいつかクリスタと……」と呟いたのが聞こえて、そうかと思えばうしろでジャンが「俺だっていつかミカサと……」と心底悔しそうな声で呟いたものだから、思わず吹き出してしまった。ちょうど日本語訳を答え終わったルウが不思議そうな顔でこちらを見てきたので、笑いを堪えつつ口元に人差し指を立てた。すると小さく微笑んでルウも同じ仕草をする。彼女のうしろには濃い水色の空が広がっていて、同じ色のシャーペンがルウの右手でくるくると回っていた。
もうすぐ、夏が来る。