最近友人の様子がおかしい。最近、というのは、彼女は数週間前、車との接触事故に遭いそうになったことがあり、それからである。あのときは全身から血の気が引くくらい驚いたし、道路で倒れた彼女の姿を見て思わず泣いてしまったほどだ。自分の両親が経営している病院で目が覚めた彼女の体には何の異常もなく、数日たてば元気に学校に登校してきた。それから友人―――ひよりはよく眠るようになった。授業中机に顔を伏せてだったり、体育でマラソンをしているときに急に倒れて寝こけたりだとか、とにかくどこかおかしいのではないかと疑問を抱くくらいによく眠っている。しかし彼女の体は至って正常らしく、ひよりも心配することはないと言っているのだ。そんなことをいわれてもはいそうですかと納得できるわけがない。ナマエはずっとひよりの体調を気にかけているのだが、むしろそれは彼女にとって心配をかけてしまって申し訳ないという重荷になっているのではないかと思ってまた心が沈む。考えれば考えるほどマイナス思考に陥って、このごろはどうも彼女を避けてしまっている。ああもう私何がしたいんだろう。学校の帰り道、小さな遊具が少しだけ設置された小さな公園のベンチでナマエは溜め息をつく。今日だってなるべく顔を合わせないようにしていたし、今だってひとりで先に帰り道を歩いてきた。こんなことをしたって何の解決にもならないということはよくわかっているのだけど、最近の自分は重い。重すぎる。ストーカーかよと自分でも思うくらいひよりのことを考えている。いったい誰に相談すればいいのかまったくわからないから解決策も思いつかない。情けない、とじわりと涙が浮かんで視界がにじんだ。冷たい風がビュウッと吹いて思わず体を強張らせる。もう寒いし家に帰ろうと思って腰を上げると、公園の塀にある落書きが目に付いた。いたずら書きだと思うのだけど、なんだか気になって近寄ってみると、「夜ト春夏冬中!」と書かれた下にはおそらく携帯番号であろう11ケタの数字が並んでいて、そのまた下には「お悩み解決します」との文字。

「……なにこれ、ほんもの?」

 こんな人目の付くところに携帯番号を書くなんて何を考えているんだろう。いたずらとか、悪用されたらいったいどうするつもりなのか。心のどこかで不信感を抱きながらも、ナマエは制服のポケットから携帯を取り出す。090、と数字キーを押していって、11ケタを押し終えて耳に携帯を押しつけた。あれっ私なんで電話かけてるんだろう。そう思って急いで電源ボタンを押そうと耳から携帯を離すと、少し遅かったようで繋がってしまった。

『はいはーい、デリバリーゴッド夜トでっす!』

 やってしまった。やたらハイテンションな声が聞こえてきてナマエはひどく後悔した。顔が一気に熱くなって、それに反して手は冷えてくる。

「もっ、もしもしすいません間違い電話で……」
「お嬢さん何かお困りっすかあー?」

 もう一度携帯を耳に寄せると、電話の向こうの声が頭上でも聞こえた。は、と上を見ると、古びたジャージを着た黒髪の青年と、金色のような髪色の少年が降ってくる。呆気にとられるナマエの目の前に青年は慣れたように降り立ち、その上に少年がどしゃりと落ちた。なんだこれは。人が空から降ってくるとかそんなことって本当にあるの? ナマエは自分が目の当たりにした光景が信じられず、携帯を握ったまま硬直している。

「いってえな雪音! お前いい加減慣れろよ!」
「んだよ! そっちがもうちょっと移動手段工夫すればいいんだろクソニート!」
「ニートじゃねえ! 今だって立派にお仕事してるだろうが!」
「ちょっとふたりとも! 口喧嘩してる場合じゃないでしょう!」

 えええ今度は仲間割れ? もうナマエの頭の中ははてなマークでいっぱいである。誰か助けてくれ、と公園内を見渡したところで、聞き慣れた声がした気がしてもう一度空から降ってきた謎のふたり組に視線を向けた。雪音、と呼ばれた少年の隣に立っている少女は、ナマエが来ているものと全く同じ制服を着ている。その少女のほうもぽかんとナマエを見つめていて、そして驚いたように目を見開いていった。

「ナマエちゃん!? え、なんでどうしていったい何が!?」
「ちょちょちょひより、なんでこの人たちと一緒に、ていうか」

 いつも人付き合いは考えなさいって言ってるでしょ、と友人であるひよりの腕を引いて耳打ちすると、ジャージの青年が「聞こえてんぞコラ! どういう意味だ! 俺は神だぞ!」と声を上げた。どういう意味って、そういう意味である。ていうかなんだ神って。自分のことを神様とか厚かましいことを言う人がいるとは思わなかった。相当イタい言動である。まさか自分の友達がこんな怪しい人たちと関わっているとは思っても見なかった。今からでもどうにか関係を絶ってほしいナマエは、引きつった笑みを浮かべるひよりの肩をつかんで前後に揺さぶった。

「こんな頭の悪そうな人たちと関わってどうするの! おばさまが知ったら卒倒しかねないよ!?」
「すみません夜ト、全体的に否定できない」
「こいつひよりの知り合いか!? 失礼極まりないなどうにかしろ!」
「本当のことだろ」
「事実を言ったまでです! やだもう気軽にひよりの名前呼ばないで!」
「てめえ雪音! お前いったいどっちの味方だよ!?」

 俺は主だぞ、とえらそうにかつややドヤ顔で言うジャージ男に、ナマエはドン引きした。いや主って。なんなの主従関係? 現代日本でいったい何考えてるのこの人。神とかいうし。そう考えているのはひよりには伝わったようで、「悪い人じゃないのナマエちゃん……」と弱々しい声で言う。しかしまったく説得力がない。数分前の自分を何を考えているんだと平手打ちしてやりたい。いったいこんな怪しい人物に電話して何が解決するというのか。携帯電話の発信履歴から素早くジャージ男の携帯番号を消した。本当はジャージ男の携帯から自分の携帯番号を消してやりたいのだが、不審人物の所有するものには触れたくない。この男の着信履歴が埋まって自分の番号が消えることを心の底から神に祈った。

「チックソ! 仕事する気が失せた、帰る!」
「またそんなこと言って……ちゃんと依頼聞かないとお社建てられませんよ!?」
「こいつからのお布施なんていらねー!」
「えっお金取るの!? たいしたことしてないのに!? ぼったくり!」
「だったら用もねえのに呼んでんじゃねーよガキ!」

 たしかに用事もないのに呼びだしたのは悪いかもしれない。不審者から出た正論にぐうの音も出なくなって、ナマエは口を閉ざす。眉間にしわを寄せたジャージ男は苛立ったようにため息をついた。そばに立つ少年は呆れたのか飽きたのかわからないが、公園内の小さな滑り台を上ってそこからの景色を楽しんでいる。なんて悠長な。

「……いくらですか」

 こんな怪しいやつに本当は1円だって払いたくない。払いたくはないのだが、自分の勝手な都合で呼び出しておいて用事はないんで帰ってくださいはさすがによくないということはわかっている。苦虫を噛みつぶしたような表情でかばんから財布を取り出すナマエを見て、ひよりはそこまで無理しなくても……と思った。目を合わせることもなく右手を開いて掲げる夜トに、ナマエはまたつっかかる。

「5!? それ何の5ですか何の! 5万円!?」
「ふざけたこと言ってんじゃねーぞてめえ! 見りゃわかんだろ、5円だ5円!」
「やっぱりぼったくりじゃないですか、ひよりもうこんな人たちと付き合っちゃだめだ……え、5円?」

 呆気にとられたように目をぱちぱちと瞬かせるナマエに、何故か照れたように当たり前だろさっさとよこせと手を突き出す夜ト。えっやす……というのがナマエの正直な感想である。そして5円というところで少しやっぱり神様なのかと納得しかけたのは内緒だ。財布を覗くとやけに小銭が多かったし、5円だけというのもなんだか申し訳ないので10円玉を出す。すると「5円だっつってんだろ!」とジャージ男から睨まれた。なんて理不尽な怒られ方だろうか。少しイラッと来たので嫌がらせのつもりで5円玉を3枚ほど渡してやると喜ばれた。さすがにここまで来ると生理的に気持ち悪い。

「と、ところでナマエちゃん、どうして夜トを呼んだの?」

 友人の言葉に、そういえばどうしてだったっけ、と首を傾げた。なんだかいきなりいろんなことがありすぎて頭からすっぽ抜けてしまったようだ。15円はそんなに痛い出費ではないし、もういいやと息をついた。この短時間で非常に疲れた。手のひらに5円玉を並べてにやにやと眺めるジャージ男が本格的に気持ち悪くなる前にさっさと家に帰りたい。

「ひよりも暗くなる前に家に帰りなね、おばさま心配するよ」
「え、ありがとう……ナマエちゃんも気を付けてね、あと、最近心配かけちゃってるみたいでごめんね」
「もういいよ、ひよりが元気なんだし、私もあんまり気にしないことにする!」

 しょぼんと肩を落とす友人の頭をそっと撫で、財布をかばんに戻して「じゃあね!」と踵を返した。ジャージ男とその従者らしい少年を背に、ひよりも手を振り返す。学校を出たころには暗かった表情も、今は明るいものになっている。ひよりはこのごろずっと沈んでいるようだった親友が元気になったようでほっとした。

「この調子だとあとちょっとでお社建てれんぞ〜フヒヒヒ」
「15円ごときで何言ってんだこいつ」

 きも、と自らの神器に吐き捨てられた言葉に地味にショックを受けながらも、「15円を笑うものは15円に泣く!」と言い返した夜トは、大事そうに5円玉をポケットに入れた。ナマエが見た夜トの電話番号はもう見えない。空では太陽が沈み始めて、黄昏ていく。
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