ときどき眠れないときがある。特に理由がないときもあるし、訓練が失敗続きだったとか、仲がいい友人と喧嘩をしたときだったりもするし、そういうときは毛布にくるまりながらひたすら早く朝が来るのを祈る。
 窓から見える夜空には、大きくて丸い月が見えた。私は満月が好きじゃない。夜外を出歩くときは光がいらないから楽ちんだけど、でも、どうしてかあんまり満月が好きになれないのだ。きっと普段と違って少し大きく見えるそれが、どこか怖いのかもしれない。私が眠っているベッドの位置は窓のそばで、満月がよく見える。それを見たくなくて極力窓から目を逸らしていた。いつもならこうしてぼうっと天井を眺めていると、とろりと眠気が襲ってくるのだけど、今日はどうしてか眠れなかった。寝よう寝ようと考えるほど頭が冴えて、まぶたを閉じても誰かの寝息が耳に入り、心地よい感覚が体を包むことはない。こうなるともうどうしようもないのだ、私は鼻の下のあたりまで毛布を引き上げ、腕と足を折り曲げて体を丸くする。眠れないと疲れが取れない、そして昼間は寝不足で体が動かない、だから訓練に身が入らず、ドジを踏んで叱られ、また眠れなくなる悪循環。どうにかしたいのだけど、睡眠薬なんてここにはないし、どうにもならない。小さいころからこんな体質だし、少し諦めてもいるのだけど。
 あまりに眠れないのでごろりと寝返りを打つ。なんだか体勢がしっくりこなくてまた反対側に体を向けた。毛布から頭を出したりまたうずめたりを繰り返す。今何時くらいだろう。明日の訓練、耐えられるかな。うつ伏せになって枕に鼻を沈めると、横から「ちょっとあんた」と声をかけられてものすごくびっくりした。私以外に起きている人がいるのか。勢いよく体を起こしてみると、青い瞳が私を見つめていた。

「さっきからもぞもぞと鬱陶しいんだけど」
「アニ、起きてたの」
「あんたのせいで起きたんだよ」

 普段後頭部のあたりで結われている綺麗な金髪はおろされていて、肩について波打っていた。いいなあうらやましいなあ、私なんて野暮ったい栗毛なのに。月明かりに照らされて、長いまつげもよく見えた。美人な子はとても好きだ。眺めているだけで楽しい。見られている側はいい気分ではないだろうから、いつもは我慢しているけど。本当に今起きたばっかりらしく、普段と違ってまぶたが重たげだ。気が抜けているところを見ることがないので新鮮で面白い。彼女はいつだってまわりを信用していないらしく、気を張っている印象だった。

「眠れなくて。たまにこういうことあるんだけど」
「ああそう」
「こういうとき、昔はお父さんがよく子守唄を歌ってくれててね」

 私はお父さんが大好きだった。優しくて大きくて、いつもやわらかい声で私の名前を呼んでくれる。お父さんがつけてくれた名前も大好きだ。ぐずって眠れない私の部屋で、一緒にベッドに入って背中をさすってもらいながら眠ったことが、一番の思い出。もうお父さんには会えないけど、こうしているとまた会いたいなあと思う。もういい年なのに恥ずかしいことかもしれないが、私の中でお父さんそれだけ大きな存在だった。ひとりでべらべらと話す私を鬱陶しがることもなく、アニはずっと話を聞いてくれていた。怖そうな顔をしているし、言動も優しいとは到底言えないものだけれど、人を思いやる心があるらしい。私はアニが嫌いではなかった、苦手ではあったけど。
 ああなんだかねむたいな、と思った。ひとりだけだといろいろと考えて余計に頭が冴えてしまうけど、ぽつぽつと話をしていると頭の奥がぼやーっとしてきた。アニは目を閉じているけれど寝てはいないようで、まぶたがときおりぴくぴくと動いている。

「あのね、今度、対人格闘一緒にしようよ」
「あんたなんてすぐ投げ飛ばせるから練習にならない」
「私はなるんだよ。アニって強いらしいじゃん、なんでいつもサボってるの」
「点数の低い訓練なんかするだけ無駄」
「……アニは、憲兵団になりたいんだよね」

 私の言葉に、アニは「だからなに」と素っ気ない返事をする。すごいな、私の成績じゃ絶対無理だ。内地での裕福な生活は、まあ、それなりに憧れるものはある。ここでの食事と比べるとずっといいものが食べられるだろうし、衣服だってもっといい生地のものを着られる。王族に仕えることだってものすごい名誉なことだ。アニは生き残りたいから憲兵団になると言っていた。誰だって死にたくないのは一緒だ、私だってできることなら死にたくない。調査兵団には入りたくないし、駐屯兵団かなあ。眠ってしまいそうな意識の中でぽそりとつぶやくと、「せいぜいがんばりな」と隣から聞こえた。アニって、優しい子だなあ。


 * * *


 ひさしぶり。元気にしてた? そう声をかけても、彼女は何の返事もしてくれなかった。綺麗で大きな水晶体の向こう、アニは目を閉じていた。あのときみたいに綺麗な金髪はおろされていて、私はつい見惚れてしまう。
 なぜか私は調査兵団というものに所属していた。死にたくないなあと思っていたのに、死亡率の高い危険な兵団に志望してしまった。トロスト区にたくさんの巨人が入ってきて、同期の訓練兵や駐屯兵団の先輩たちと必死に戦った。巨人を殺すための訓練を3年もやってきたのに、たくさんの訓練兵が死んだし、先輩たちだって死んでしまった。今までやってきたことが全部無駄に思えた。なのに、解散式を終えて、志望兵団を決める日。私はぼろぼろと両目から涙を流しながら、エルヴィン調査兵団団長に向けて心臓を捧げていた。でも後悔はしていなかった。お父さんだって、きっと私をバカになんてしないし、むしろ笑顔で褒めてくれると思う。いやもう会えないんだけど。会えないから褒めることも貶すこともしてくれないんだけど。
 そして数日前の壁外調査、それから内地ストヘス区での巨人の出現。私はすべてわけのわからないままだったのだけど、最近ようやく気付いたことがある。アニはなんと巨人だったらしい。私たちと同期であるエレン・イェーガーも巨人化することができるらしく、ストヘス区で出現した巨人はこのふたりだったようだ。そして調査兵団とエレンに捕まったアニは、この大きな水晶体の中に閉じこもって眠りについた。ここに来るの簡単だった。見張りはやる気がないのか気を抜いているのか、私が入ろうとしているのに気付いていなかった。なるべく気配と足音を消して階段を降り、地下室に入ると、鎖で縛られた水晶体があって、その中にアニがいる。彼女は同期の中でも小柄だった。その小さな体が水晶に閉じ込められている。

「ねえアニ。私、アニはすごい優しい子だと思ってたよ」
「私たちはあんまり話をしたことがなかったけど、あの夜、お父さんの話を聞いてくれたでしょ」
「ただ私がひとりで喋ってただけだったけど、黙って聞いてくれて、うるさいとか言わないで聞いてくれて、ありがとう」
「あのね、」
「私には何の力もないから、アニをここから出すことなんてできないし、アニがもしそこから出てきて、人類みんなに殺されそうになっても、助けることなんてできない」
「アニにもいろいろあるもんね、なんで壁を壊したのとか、どうして人をたくさん殺したのとか、聞いたって仕方ないってわかってるけど」

 いつの間にか私は俯いていた。地面の煉瓦には水滴がぽつぽつと落ちる。視界がじわじわにじんで、ああ泣いているのか私はと頭のすみで理解した。

「でも、わたし、もう一度、アニと話をしたいよ」

 君は誰とも親しくしようとしなかったね。いつもつまらないって顔をして、そつなく訓練をこなして、成績だってよかった。結局訓練兵も4番で卒業したし。……もしかして、ずっと助けてほしいって思ってた? 気付いてあげられなくてごめんね。私はバカだから、人の気持ちを察してあげられないんだ。ちゃんとサインを送ってくれなきゃわからないよ。

「おいお前、何してる! どこから入った!」

 見張りが気付いたらしい。どこからって、そこからだよ。あんたが仕事サボってるうちにお邪魔したんだよ。強く腕を引かれて、地下室から追い出されていく。アニが遠くに行ってしまう。もう会えないかもしれない。きっと私が勝手に入ったから、護衛も強化されるんだろうな。
 またねアニ、そこから出てくるとき、この世界はどうなっているんだろう。気付いてあげられなくてごめん。私は君が大好きだったよ、だけどどうしたって、助けてあげることはできないんだ。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -