「最近夢見が悪いんです」

 俯いたまま彼女はそう言って、紅茶の入ったマグカップを持つ手に力を込めた。安眠効果があるらしい茶葉なのだが、彼女は一口も飲んでいない。力なく笑っているが、瞳は疲れ切ったように濁っているし、目元にはくっきりとくまが浮かんでいる。以前からいつも冷静で口数が多いわけではないナマエだが、最近はめっきりと声を聞く機会が減った。今のセリフを聞いてそうだこういう声だったと思ってしまったくらいだ。あまり日に焼けないらしい肌が、寝不足のせいか青白くなっていて見ていられない。

「みんなが私を襲う夢を見るんです。切羽詰まったような表情で、最初はひとりだけだったんですけど、だんだんと人が増えていって、ああ、そういえば今日は兵長もいました」

 そこで初めてナマエは紅茶を飲んだ。眠る前に紅茶を飲もうと思って食堂に行くと、誰もいないそこでぽつんとひとり、何をするでもなく座っていたのでリヴァイが淹れてやったものだ。おいしいですねこれ、とつぶやく声もどこか頼りない。自分も一口紅茶を飲んで、視線で続けろと示した。眉を八の字に下げてナマエはまた口を開く。

「そのうち誰かが私の首を斬って、そこで目が覚めるんです。起きたら汗がすごくて、寝つきも悪くなっちゃって、やっと眠れたと思ったらまた同じ夢を見る。その繰り返しです」
「薬は」
「もらいましたけど、あんまり意味なくて」

 予知夢ですかね、と言ってまた一口。「お前そんな変な力持ってたのか」と返すと、「そんなわけないじゃないですか」と言われた。まだマグカップからはあたたかそうな湯気がふわふわと浮いている。まるでナマエのようだった。同じ班というわけでもないし、直属の部下というわけでもないから彼女と話したことなど数えるほどしかないが、どこかふわふわとしているやつだと思っていた。いつまでもそこにいるわけではなく、いつか知らないあいだに空へ飛んでいくようにいなくなるのではないかと。食事もろくに摂れていないのか、前に見かけたときと比べると体の線が細くなった気がする。不眠を解消する方法も、悪夢を見なくなるする方法もリヴァイは知らない。だから何も余計なことは言わないし、ナマエも聞いてもらうだけでいいのか、そこまで言うと口を開くことをやめ、少しぬるくなってしまったであろう紅茶をすすっている。
 調査兵団は兵士の死亡率が高い。壁外に出て巨人と戦うからだ。訓練兵を卒業して入団し、最初の壁外調査で死んでしまうなんてことは当たり前のようにあることだし、生き残れたとしてもその後はどうかわからない。数を踏んだって人間隙はあるものだし、実際リヴァイだって部下が何人も何十人も巨人に食われていくところを見た。そんな組織にいれば精神を病む者だってあとを絶たない。ナマエのような状況に陥って、自ら命を絶った者もいる。けれどそこから回復した者だっているのだ。きっとナマエだって、元の健康な彼女に戻れるはずだ。

「なら、俺はお前を斬らないと誓おう」

 中身が空になったマグカップを置きながら静かにそう言うと、テーブルをはさんだ向かい側に座ったナマエが驚いたような表情で顔を上げた。なにを、と唇が動いたが、声が漏れることはなかった。以前見た彼女の淡い微笑みを思い出しながらリヴァイは続ける。

「俺はお前を斬らない。絶対だ。だからそんなつまんねえこと言ってねえでさっさとそれ飲んで寝ろ」
「……ほんとうですかね」
「絶対だと言っただろう」
「じゃあ、信じます、兵長のこと」

 正夢にしないでくださいねと、やつれた顔で名前は笑った今にも泣き出しそうな、弱々しい笑顔だった。その顔を見てリヴァイはどこか安心して、マグカップを洗うために流しへと向かう。うしろから「ありがとうございます」とほんの少し震えた声が聞こえた。


 * * *


 数日後の壁外調査でナマエは死んだ。巨人に食われたのだ。リヴァイもその現場に居合わせていて、思わず息を呑んだのを覚えている。ナマエは調査兵団に入ってもう何年もたっていて、立体機動を扱うのもとても上手かった。なめらかに空を飛ぶし、巨人のうなじを鋭く素早く削ぐ術は皆から認められるくらいだった。なのに、だ。巨人の大きな手に捕らえられ、動くことができなくなったナマエはまず足を食われた。あのとき初めて彼女の大きな声を聞いたと思う。激痛に歪められた顔も、どこか新鮮だった。ブレードを巨人の両目に突き刺したナマエは、リヴァイの姿を見つけると「斬ってください」と言った。

「兵長、斬ってください、私のこと」
「……俺はお前を斬らないと誓った」
「お願い、斬って。死に様くらい選ばせてください、生きたまま食べられるなんていやです」

 しゅうしゅうと巨人の目が修復されていく。おねがい、とナマエは薄く笑った。しかし彼女の瞳からはぽろぽろと涙がこぼれた。兵長早く助けてください! と背後から叫び声が聞こえる。うるさいこっちだってそうしたいのはやまやまだ。だがナマエが、本人が斬れというのだ。巨人の目が修復されていく。ごりごり、という音がして、ナマエの顔がまたひどく歪んだ。

「正夢に、なっちまうぞ」
「あの夢、私が襲われてるわけじゃなかったんですね」

 よかった、そう微笑むナマエを殴ってやりたかった。なにがよかっただ、生きて帰って、それからそういうことを言え。時間がない。グリップを握る手に力を込め、トリガーを引き、振りかぶる。振りかぶったとき、巨人がナマエをごくりと丸呑みにした。ブレードは空を切り、リヴァイはしまったともよかったとも思った。そして、ナマエの口がありがとうと動いたのを、しっかりとこの目で見た。仲間を殺さずにすんだ、しかし見殺しにした。そのあとはよく覚えていないけれど、たぶん、それなりに巨人を討伐したんだろうと思う。部下の死んでいくところなんて、今まで何度も見てきた。けれどそれを見慣れることなんてなかったし、慣れようとも思わない。最後に笑ったナマエの顔が頭から離れない。本当にこれでよかったのかなんて、いくら考えたってわかるわけがないのだ。
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