年が明けて1週間と少し。冬休みが終わって3学期が始まった。朝登校してくる生徒は、寒いだのだるいだの眠たいだの、口を開けば何かしらの文句を吐く。しかしそのあとは「でも今日は昼までだし」と続き、どこに遊びに行こうかという話にかわった。冷たい風が吹いて、ぎゅっと体に力を入れる。はあ、と息を吐けば白く染まった。鼻がキンと冷たくなって痛い。少し急ぎ足で生徒用玄関に向かい、上履きに履き替える。階段をのぼって2階、南校舎の一番端がマルコのクラスの教室だ。スライド式のドアを開くと、暖房の暖かい空気がむわりと顔を包む。いきなりの温度差に、冷えていた鼻がまた痛んだ。教室には半分ほどの生徒がそろっていて、目が合った人と年明けの挨拶を交わし合う。

「マルコおはよう! ねえねえ今日学校終わってからマック行こうよ!」

 あごのあたりで綺麗に切りそろえられた髪を揺らしながら、小柄な少女が駆け寄ってきた。2年生で同じクラスになってから、よく一緒に行動を共にするナマエだ。同性の友達もいるようだけれど、マルコのそばにいることも多い。それでも同性から猫かぶりだとか男たらしだとか陰口を言われていることを聞いたことがないのは、ナマエがそれだけみんなに好まれているからだろう。彼女もまた半日で学校が終わることではしゃいでいるらしく、いつもなら朝しかめ面で眠たいから帰りたいとばかり言っているのに、この笑顔だ。ナマエを見ていると、妹がいるとこんな感じなのかなあ、といつも思う。しかし残念ながら今日は先約があるのだ。

「おはようナマエ。悪いんだけど、今日はジャンにモスに行こうって言われてるんだ」
「えっまさかのモス!? マルコはモス派だったの!?」
「いや別にどっちでもいいんだけどね。ジャンはモス派みたいだよ」
「チッあの馬面」
「んだとてめえ聞こえてんだよ」

 眉間にぎゅっとしわを寄せて舌打ちをしたナマエの顔は相当なものだった。そんな顔するほどなのか。耳聡く聞きつけたジャンが同じように目つきを悪くしながら、ナマエの頭を鷲づかみした。指先に力を入れたようで、ナマエが「いだだだだだ」と声を上げる。

「いってえなにすんのジャン! つぶれるわ頭が!」
「中身つまってねえもんな」

 相当痛かったのか、目に涙を浮かべながらジャンの脛を蹴るナマエ。しかしジャンはそれを想定していたのか、さっと足を上げて回避した。きーっと悔しそうにジャンの腕を払う。

「マルコ、こんな性格悪い馬なんかとモス行くより私とマック行こうよー!」
「んだとナマエてめえ! マルコは俺とモスでバーベキューなんとか食う約束してんだよ!」
「バーベキューフォカッチャだよジャン」
「私はマックのホットアップルパイが食べたいの! ジャンひとりで行けばいいじゃん!」
「てめーがぼっちでパイかじってろチビ!」
「誰がチビだよあんたと比べんな! 女子としては平均だわ!」

 朝からにぎやかだなあとマルコは静観した。女子としては平均、とナマエは言うが、彼女はきっとそれより幾分か小さいだろう。マルコと親しい女子生徒は背の高い子が多いし、たまにナマエは本当に同学年なのだろうかと不思議になるときがある。そんなことを言うと怒られるので心にとどめているが。たしかこの前、ギリギリ150センチ台と言っていた気がするけど。
 ジャンとナマエの口喧嘩はもう日課のようなものだ。1学期も2学期も同じようにこうしてくだらないことで言い合いをしていた。そしてふたりを落ち着かせるのはマルコの仕事だった。1学期が始まって1ヶ月たつころには、3人はトリオとして学年では少しだけ有名になっていた。マルコのいないところでふたりが喧嘩を始めると、必ず誰かがマルコを呼びにくる程度には。それは別に迷惑なことではないし、ふたりといるのは楽しいのでマルコは現状を楽しんでいる。ふたりも毎日くだらない口論をしながらも行動を共にしているし、なんだかんだお互い嫌いではないようだ。
 それにしてもいつまでモスかマックかの言い合いを続けるんだろう。本屋とか雑貨屋とかなら両方よればいいじゃないか、といって落ち着かせるのだけど、さすがに両方で物を食べるのはつらい。ジャンクフード店をはしごとか、胃がもたれそうである。最終的にはじゃんけんをしはじめたふたりを見て、マルコは子供みたいだなあとなんだか笑えた。

「よっしゃ俺の勝ちー!! マルコ、バーベキュー食いに行くぞ!」
「バーベキューフォカッチャね。ジャンっていつまでたっても横文字苦手だよね」
「ふんだ、知能が小学生レベルなんじゃない。やり直して来いよ」
「負けて悔しいからってなんだお前」
「く、くやしかねえよ!! なめんな!!」
「うるせーバカ。つーか成績俺より下のくせに何言ってんだチビ」
「チビと成績は関係ないだろ! チビと成績は関係ないだろ!!」
「なに必死になってんだよ引くわ」
「うわあああマルコー!!」
「もう、ジャンもナマエもいい加減にしなよ。そろそろ始業式始まるよ」

 ホットアップルパイは明日の放課後でいいだろ。するとナマエは泣き顔から一転、ぱあああっと効果音つきでみるみる笑顔になった。背後にはライトでも背負っているのかというくらいの光も見える。よくいえば素直悪くいえば単純な彼女のこの性格はマルコも好きだった。ジャンはよく子供くさいとかなんとか言っているけれど。
 そうこうしているとスピーカーから教頭の声が響く。『生徒は8時50分までに体育館に集合してください。9時から始業式を始めます』。時計の針は8時半を少しすぎたあたり。いつもならこの時間にすでに教室に入っていないと遅刻扱いになるが、今日はみんな気を抜いているようだ、まだ教室にクラス全員は集まっていない。あともう少しここでのんびりしていても大丈夫そうだ。

「アップルパイもいいんだけどね! 私えびフィレオ食べたいな!」
「夕飯食べられるように加減しなよ」
「マルコなに食べる?」
「そうだな、ポテトかチキンナゲットかそのあたり」
「えっ」

 にこにこ笑顔からまた一転、ピシリと真顔になるナマエ。なんだなんだなにかまずいことを言ったのかとマルコは少し焦ってしまう。そしてもしかして自分のえびフィレオを食べて僕の頼むやつももらうつもりだったんだろうかととても失礼な発想に至った。ナマエが聞いたら目をぱかーっと開いて「失礼な!」と怒っていただろう。彼女もそこまで食い意地ははっていない。はず。サシャならあるかもしれないが。ざわざわとさっきと比べて少し騒がしくなった教室を一度くるりと眺めて、また視線をナマエに落とす。ナマエはへしょんと眉を八の字にたらしていた。泣きそうというか、困ったような表情である。

「チキンナゲット食べるの? 大丈夫なの?」
「な、なにが?」
「チキンナゲット……」

 ぼしょぼしょと何度も小さくナゲットナゲットと繰り返すナマエに、マルコは首を傾げる。大丈夫ってなんだろうか。とりあえず彼女がチキンナゲットが好きではないことは覚えた。同じクラスになって半年以上たっているのに初めて食べ物の好き嫌いを知ったなあと、なんともずれた感想である。スマホのアプリでクーポンを探しているらしいジャンが、隣から素っ気なく言う。

「こいつマックのチキンナゲット嫌いなんだよ。チキンはまずいしソースもまずいっつって」
「ああそうなのか。肉がだめなのかと一瞬」
「お肉は好きだよ!」

 若干食い気味にそう言ったナマエの目は必至だった。そんな目をしなくても別に今後肉を取り上げたりしないのにとマルコは苦笑いが隠せない。さっきもえびフィレオが食べたいと言っていたし、もしかしてと思っただけだ。まあ以前からあげをもりもりと食べているところを見たことがあるが。
 ナマエはまたもにょもにょと口を動かすが何を言っているかわからない。首を傾げてみると困ったような表情に戻った。

「なんかあそこのナゲットはどうも口に合わなくて……味ごまかそうと思ってソースつけたらそのソースもまずくて全部ジャンに押し付けた」
「俺は残飯係じゃねーぞ幼児体型」
「それとこれと関係ないだろうがこの馬!!」
「馬じゃねえよ人間様だ!! 好き嫌いするから育たねーんだよいろんなところが!」
「うわっ聞いたマルコ今のセクハラだよセクハラ! ジャンきっしょきっしょ。ミカサに本格的に嫌われてしね」
「しっ死なねえよふざけんなバカ」
「想像してショック受けてちょっと弱気になるなよ」

 また始まった。マルコはよくやるなあとため息をひとつ。まあこうやってにぎやかなほうが楽しくていい。冬休みのあいだ、ナマエと会わない日が続いていたから少しさみしかったりしたのだ。ジャンはナマエがいないとわりと大人しいから、こんなに大声を出すところを見るのも久しぶりである。

「ナマエー体育館行こうよー」
「あっうん! じゃあまたねマルコ、ついでにどんぐり」
「おい待てどんぐりって誰のことだもしかして俺のことじゃねえだろうな」

 友達に呼ばれて教室から出ていくナマエはまた新しいあだ名をジャンにつけていく。どんぐりって。髪型のことだろうか。刈り上げの部分を見て思わずマルコは吹き出しそうになった。ジャンの機嫌が悪くなると面倒くさいのでなんとか堪える。くっそあのチビ、とジャンは悔しそうに唇を噛んでいる。冬は乾燥していて唇がよく荒れると言っているのにそんなことをしてもいいのだろうか。たびたび恥ずかしそうにポケットからリップクリームを出して塗るジャンを想像して、またマルコは笑いを堪える。こんなもん塗ってるとこ見られてたまるかとすごくこそこそ塗るのがまた面白いのだ。
 今日の放課後のモスはナマエは来ないのだろうか。始業式のあと、何か予定があるか聞いてみよう、と思ったが、ナマエのほうからマルコにマックに行こうと誘ってきたくらいだ、あいているのだろう。女の子はやっぱり2日連続でジャンクフードは嫌がるだろうか。断られるとやっぱりショックだから、心の準備はしておこう。教室の外に出ると、同じように体育館に行こうとしていたらしい別のクラスのエレンと目が合った。ジャンも同じらしい。空気が一気に悪くなる。エレンの隣にはミカサとアルミンが立っていて、アルミンが「3学期もごめんね……」という目でマルコを見てきた。こちらこそだとマルコも手を振る。罵り合いまであと3秒。
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