▽「宵が怖くで呼吸をやめた」のつづき…?みたいなかんじ




 憲兵団の師団長という位にいる人物とは、訓練兵時代切磋琢磨してきた仲である。親しいのかと言われるとそうではないが、訓練兵を卒業して数十年たった今でも、仕事で定期的に顔を合わす関係ではある。
 彼が調査兵団の本部に来る際、ほぼ毎回そばにいる女性兵士がいる。彼女はこちらが内地に赴くときも常にナイルのそばにいるし、エルヴィンはずっと眷属秘書だとかそういう役職にいるものなのだと思っていた。思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。名前は知らない彼女の話題を出してみせると、ナイルはえらく顔をしかめてみせた。ひどい顔である。

「今日はいないんだな」
「あえて連れてこなかったんだよ疲れるから。あいつの話はやめろ」
「なんだ、痴話喧嘩でもしたのか」
「違うわふざけるな! 既婚者だ俺は!」

 言われなくてもそんなことは承知している。こいつ冗談通じないのだろうかと思ったけどまあどうでもいい。質のいい紙の感触を指先で楽しみながら、書類の文章に目を通す。そして一番下にあるサイン欄にサラサラと署名した。こういう重要書類は郵送で済ますことできないためにどちらかが赴かなければいけないので大変面倒くさい。普段はエルヴィンが内地を訪れることが多いのだが、今回は調査兵団本部の見学がしたいとかなんとか、わけのわからない理由で憲兵側がわざわざ訪れてきたのである。甚だ迷惑な話だ。判をぐにぐにと書類に押しつけてインクがはっきり写っていることを確認する。イラついているのか眉間にしわを寄せているナイルはその顔のまま乱暴に書類を受け取り、折り曲がったりしないようにクリップボードに挟み込んでさも俺が部屋の主だというふうに足を組んだ。えらそうな態度は健全である。いや憲兵団師団長ということでえらいのはえらいのだが、ここはあくまで調査兵団本部だ。客人は客人らしく振る舞ってほしい。
 ナイルにはわからないように小さく溜め息をつく。師団長が来ているということで調査兵団兵士たちは少し盛り上がっていた。もちろんいい意味ではなく悪い意味で。憲兵団と調査兵団の仲は決して良好とはいえないものだ、一応人払いはしているが、遠くのほうでざわついているであろうことは容易に想像できる。出ていくとき大変だろうなあとエルヴィンは想像だけですでに疲れた。そしてナイル自身もこの部屋に来るまでに好奇やら嫌悪やらの視線にさらされて気分はよくない。相変わらずろくな兵士がいねえと悪態をついてやりたくなったが、それは自分の所属する兵団にも言えることなので口を閉ざした。調査兵士は勤務中に博打をしたり酒を呑んだりしないのだ、むしろ自分の兵団のほうがろくでもない。

 不意にコンコンと扉がノックされた。そこそこ値の張る扉のそばには兵士がふたり立っていて、男の兵士のほうが無表情のままゆっくりとドアノブをひねる。外側にかすかに開かれた扉をグイと引っ張って半ば無理やり団長執務室に入ってきたのは、先ほど話題になった憲兵団兵士である。

「師団長、来ちゃった」

 きゃぴるーんと語尾に星でも飛んでそうな言い方をするナマエを見てナイルは情けない悲鳴を上げそうになった。なんでお前ここに。そうやって怒鳴りつけたいのだが驚きが勝って喉から声は出ないわ体は微動だにしないわで呆然とナマエを眺めるに終わった。あれお前つれてこなかったんじゃなかったのという視線を寄越すエルヴィン。おかしい、今日はあいつにバカみたい量の仕事を押しつけてきてやったはずだ。ヒイヒイ言いながら仕事をしているであろうナマエを想像しほくそ笑みながらここまで来たのである。なのにどうしてこいつは今ここに、むしろちょっとしたホラー並みに恐ろしい。

「もー、師団長ってば今日調査兵団本部に行くってこと、教えてくれてなかったですよお。執務室行ったらだれーもいなくてナマエびっくりしちゃった、きゃっ」
「……な、待てお前、なんでここにいる」
「だって師団長の身の回りのことをお助けするのが私の仕事ですからー、ほら秘書とかって常に隣か3歩うしろに侍ってるものでしょ」
「3歩うしろは嫁だろ」
「えっやだ師団長プロポーズですか!? 奥さんがいながらそんな……私不倫なんて初めてですぅ」
「違うわァ!!」

 体をくねらせるナマエが心底気持ち悪い。手に持ったクリップボードで勢いよく顔面をしばいてやると「イッタイ! パワハラ!」と涙目になった。ぐすんとナマエが鼻をすするとたらーと鼻血が垂れた。自分がやったくせにこいつきたねえなと侮蔑の目を向けるナイルである。

「で、なんでお前はここにいるんだ。仕事はどうした」
「やん、私のことなんだと思ってるんですかあ」
「きっしょく悪い雌豚」
「そういう師団長はきったねえ薄らヒゲですよねえ」
「貴様上司に向かってなんだその口の利き方は!」
「おあいこじゃないですかあ」

 そういえば薄らヒゲ命名した兵士長さんは今日いらっしゃらないんですねえとのんびりとした口調で話すナマエを見ながら、エルヴィンはとんだアウェイだなと思った。毎回このふたりは意味の分からないコントを見せつけてくれる。まったく頼んでいないのだが。

「ご挨拶が遅れましたエルヴィン団長。憲兵団所属のナマエです」
「ああ、何度も顔を合わせているね。ナマエというのか」
「覚えていただいていて光栄ですぅ。もう少しお話をしたいところなんですけど、このあと師団長会議があるんですよー」
「私もだよ、いつか機会があれば是非。おいしい茶葉でも用意しておこう」
「団長さん素敵ですね! では私はおいしいお菓子でも持ってきますね」

 ふふふと笑うナマエは至って普通のかわいらしい女兵士だ。ナイルの腕をつかんで半強制的にソファから立ち上がらせると、「失礼します」と丁寧にお辞儀をした。ナイルは驚いた。自分に対する態度とエルヴィンに対するそれが全く違うからだ。いつものあほみたいにだらだらした喋り方はどこに行った。
 いつまでも腕をつかんでいるのでナマエの腕を乱暴に振り払うと、「いたあい」となよなよした声を上げられた。こいつのどこにいらつかずにいられるだろうか。大体エルヴィンもエルヴィンである、何が機会があれば是非、だ。あるわけないだろうが。もうしばらくあいつと顔を合わせる仕事はしたくないと鼻息を荒くしたナイルに、「あっそういえば」とナマエは振り向いた。

「私、今日から師団長専属の秘書兼目付け役になったんですよお」
「……は?」
「さっき決まったんですけどねえ、いつも私が書類渡したりいろいろお世話してるでしょう」
「誰がお前の世話になってるんだ誰が」
「んで、もう面倒くさいからお前秘書になっちゃえよって感じで先輩たちが言うんでー、まあ私も別に困ることはないからいいかなーって」
「いや俺が困るわ。誰だそんなこと言ったやつは減給だァ減給! もしくは降格!」
「やーっと私も昇格ですよいえーい。同期に自慢しちゃおう」

 にこにこにこ、と屈託のない笑顔を浮かべるナマエを怒鳴る気にすらならなかった。待てどういうことだこれは。秘書兼目付け役、ということはつまり、1日のスケジュールはナマエに管理され、常にそばにはナマエがいて、1日の始まりと終わりに顔を合わすのはナマエで、……なんだその地獄は。今すぐ憲兵団本部に帰ってその決定を覆したい。さっさと帰ろうと馬車の待っているであろう場所まで早足で向かう。ナマエを途中で抜いてやると「師団長はやーい」と今度はハートマークがついていそうな喋り方をするので振り向きざま頭部に勢いよく手刀をぶち当ててやった。
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