物心ついたころから、よく遊んでくれる姉のような存在がいた。近所に住んでいたナマエという少女は、エレンやミカサ、アルミンより5つほど年が上で、いつも優しかったのを覚えている。共働きでエレンの両親は忙しく、ひとりで公園で砂遊びをしているとどこからともなくやってきて、一緒に遊ぼうと言ってくれたのだ。

 彼女が中学生になったころ、エレンはまだ小学校低学年だった。小学校を卒業して中学校の制服に身を包んだナマエは、そのころから髪も伸ばし始めたこともあり、大人に見えてすごく憧れたのを覚えている。勉強が難しくなって忙しかっただろうに、エレンたちのことを思ってか早く帰ってきて、制服のまま公園で遊んだり、家に連れていって手作りのお菓子を食べさせてくれたこともあった。

 彼女が高校生になっても、エレンはまだ小学生のままだった。制服がセーラー服からブレザーに変わり、年頃の女の子らしく髪型にも持つ小物にもこだわりを持つようになったナマエは、部活動に入ったこともあり、今まで以上に忙しくなったようだった。朝家を出るときに見かけるナマエはエレンの知らない人のようで、話しかけることをためらうようになっていった。注意されない程度に着崩された制服、中学生のときはアレンジすることなく下ろされたままだった髪も、結ってみたりしていたし、学校が休みの日は化粧をして出かけたりもしていた。高校生にもなると彼女の世界も広がる。友達も増え、エレンたちと遊んでくれることも減った。もうエレンも幼い子供ではないし、自分と同世代の子たちと遊ぶことが多かったが、やはりどこかさみしかった。しかしナマエはエレンたちとすれ違うと「ちゃんとごはん食べてる?」と声をかけていてくれたし、遠い親戚のお姉さん、という位置にいた気がする。

「ミカサとアルミンは元気?」
「元気だよ。ねえちゃん、最近忙しそうだしあんまり会えないなって言ってた」
「高校生もいろいろあるんだよー。エレンもそろそろ中学生だね」
「オレ、中学生になったらねえちゃんの身長抜くんだ!」
「ほんと? 楽しみにしておくね」

 そのときナマエは体をかがめて、エレンの頭をそっと撫でた。子供扱いをされたようで少し複雑な気分だったが、久しぶりにナマエと話せて、頭を撫でてもらえて、とても嬉しかった。それと同時に、ランドセルを背負った自分が少し恥ずかしいと感じたのも事実である。

 エレンがやっと中学生になったころ、ナマエは受験生という立場になり、顔を合わす機会もぐっと減った。朝早くに学校に向かい、外が暗くなるころに帰ってきていたナマエは、きっと勉強漬けでストレスが溜まっていただろう。しかしいつでも笑顔を絶やすことはなかった。稀に顔を合わせたときも「おっきくなってる」と優しく笑っていたりした。

「そろそろエレンに身長抜かれちゃうかも」
「まあ、一応成長期だし」
「なんかさみしいなあ、こんなにちっちゃかったのに」

 自分の胸のあたりの高さで掲げるナマエに、何故かいらっとした。いつまで彼女は自分のことを子供扱いするのだろう。もう13歳になるというのに。両親が仕事で忙しくても自分で食事も作れるし、さみしいだなんて泣くこともないのに。成長期とともに反抗期も迎えていたエレンは、ナマエと同じ空間にいて話をすることがとても苦痛に感じた。ナマエは久しぶりに顔を合わせた弟のような存在の幼馴染とたくさん話をしたいようだったが、エレンはそそくさとナマエの横を通りすぎて行った。

「エレン、もう行っちゃうの? ミカサとアルミンの話とか聞かせてよ」
「自分で会いに行けばいいだろ、オレに聞くなよ」

 早足で自分の家の方向に進んでいく。うしろは振り向かなかったけれど、きっとナマエは眉を下げて悲しそうな顔をしていたのではないだろうか。胸がちくりと痛んだが、ずっと大人っぽくなったナマエと、未だ彼女の背を抜けていない、子供っぽい自分が並んでいることが今まで以上に恥ずかしいと思った。

「そういえば昨日、ナマエさんとたまたま会ったよ」

 数日たって、学校でアルミンがそう言った。ナマエさんという名前はまるで自分の知らないもののように聞こえた。いつから彼はあの幼馴染のことをそう呼ぶようになったのだろう。ねえちゃん、と未だ呼んでいる自分だけが、あのときのまま時間が止まっているのだろうか。

「私もこのあいだ会った。エレンが元気ないように見えたと言っていた」
「……まだガキ扱いかよ」
「まあ仕方ないよ、実際僕たちはナマエさんより5つも年下だしね」
「最近のナマエさんは夜遅くまで勉強をしている」
「ああ、受験生だもんね。そう言ってたの?」
「いえ、私の部屋から、ナマエさんの部屋の明かりがよく見えるから」

 ミカサもアルミンも、昔はお姉ちゃんお姉ちゃんといってエレンと一緒に懐いていたのに、まるで他人のことを話しているように見えた。ナマエさんだなんて、そう呼んだ途端、自分たちのあの楽しい思い出がすべて消えるように思えた。自分だけ姉ちゃんと呼んでいる事実がたまらなく恥ずかしくて、もうその話題をしてくれるなとつぶやいた。あのとき、きっと苦々しい表情になっていたのではないかと思う。

 そんな反抗期が終わるのを待つことなく、ナマエは無事受験を終えて、第一志望の大学に受かり、遠く知らない場所に引っ越していってしまった。

 そうして季節はめぐりにめぐり、中学校生活も終わって、いつしかエレンたちも高校生になった。あのときナマエが着ていたものと同じ制服をミカサが着ているのを見て、複雑な感情が芽生えた。きっとナマエは大学生活を楽しんでいて、彼氏だってできるし、いつか、結婚だって。彼女とは、もうずっと会っていない。向こうでの生活はなかなか忙しいみたいで、アルバイトを始めたらしくそのせいで長期休みにもなかなか帰ってこれないらしい。母親が台所で食事の準備をしながらそう教えてくれた。ふうん、と興味なさげに相槌を打ったが、本当は一目だけでも見てみたかった。最後の会話となってしまったあの会話を思い出すたび、ひどい後悔に襲われる。

 3学期最初の登校日。半日で学校は終わり、マフラーに顔をうずめながら帰り道を歩いていると、向こう側から見知った人影が近寄ってきた。アルミンとミカサは委員会だか生徒会だかで帰りが遅くなるらしい。だったら誰だろう、友人だろうか。最近目が悪くなってきたかもしれない、と目を細めてみると、それは予想外の人物だった。

「……エレン? エレンだ!」

 久しぶりー! と満面の笑みを浮かべていたのはナマエだった。もう2年近く会っていない幼馴染。幻でも見ているのかと思ったが、べたべたと顔中を触って頭を撫でて肩をばしばしと叩き、「おっきくなったねえ!」とはしゃぐナマエを見ていると、ああ現実だと気付いた。ずっと帰ってこなかった彼女が、なぜこんな半端な時期に帰ってきたのだろう。あのときは少し見上げていたのに、ナマエを見下ろすようになっていた。大人の優しいお姉ちゃん、というイメージを幼いころから持っていたので、こうしてナマエの背を抜いたことに、少し感動したし、少し悲しくもなった。

「……姉ちゃん、なんでいるんだよ」
「ふふふ、私、そろそろ20歳だからね! 成人だよ、成人!」

 だからさすがに今年は帰ってきたの。学校の長期休みがこの時期で、バイトもタイミングよく休みを取れたらしい。少し髪の毛の色が明るくなり、化粧をしたナマエは驚かせたかったと言ってまた笑った。

「よかった。エレンはまだ姉ちゃんって呼んでくれるんだね」
「ミカサとアルミンは、ナマエサンって呼んでたな」
「ふたりとも大人っぽくなっちゃったよね。仕方ないとはいえさみしいな」

 眉を八の字に下げて今度は弱々しく笑う。やっぱり俺は子供ってことかよ。むっとしたが、こういうことでムキになるあたりまだまだ子供である。口を開けば憎まれ口しか叩けない気がして、唇をつぐんだ。どこかに行くつもりだったのかと聞くと、ただ散歩をしていただけらしい。エレンも学校が昼までで終わり暇だったので、ナマエについていくことにした。しばらくこの街に帰っていなかったナマエは、道沿いに立っている店や樹、さらには家で飼われている犬を見てはなつかしいなつかしいとしきりにつぶやき、楽しそうに足を進めていった。

「姉ちゃん、見た目は大人っぽくなったのに、中身かわんねえよな」
「ほんと? 大人っぽい?」
「黙ってたらな」
「エレンは口が達者になったねえ」
「もうオレ高校生だぞ、子供扱いするなよ」
「えー、でも、エレンがずっと小さいときから面倒見てるし」

 少し前を歩くナマエは肩越しにエレンを振り返り、ふふふと笑った。なんだかその笑顔を見るととても安心できて、エレンもつられて笑う。長い時間離れていても、やっぱりナマエはエレンにとっては姉のような存在で、優しくて、あたたかくて、大切な存在のままだった。面倒を見てくれた彼女が実はこんなに小さくて、そんなに力が強いわけではないことを、今、やっと気付いた。いつの間にかふたりの手は自然と繋がれていて、エレンはまるで小学生に戻ったような気分になった。空がオレンジ色に染まるころ、公園から家までの帰路を、こうして歩いて帰った思い出。まだ空は淡い水色で、綺麗な夕焼けなんて見えないし、家に帰るとひとりでさみしいなんてこともないし、公園でひとりさみしく砂遊びをすることもない。繋いだ手に少しだけ力を込める。ナマエの小さな細い手にも同じように力が加わった。言葉はなくとも、その行為だけでもう十分だった。

「姉ちゃん、あのときごめんな」
「んー? なにが?」
「わかんなくていいよ」
「なにそれ」

 白い息を吐きながら笑うナマエの頬がほんのり赤い。くるりと上を向いたまつげは長くて、ああ姉ちゃんって美人だったんだと今さらで少しずれた感想を抱く。あのころ遊んだ公園に響く、子供たちの元気な声に、なんだか無性に泣きたくなった。
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