▽「侵略者にキス」の続編のようなもの




 読書は昔から好きだった。お父さんの部屋にはたくさんの書物が詰め込まれた大きな本棚があったし、それらをよく勝手に読んでいた。いつもお父さんは困ったように笑いながら私の頭を撫でて、これは誰にも見せてはいけないよとひとつの分厚い本をくれた。それは今でも一番の宝物だし、訓練兵になるとき、家族と離れて暮らさなければいけなくなったときも家から持ってきた。それは壁の外の世界について書かれた本で、お父さんは置いていったほうがいいと何度も言ってきたが、頑なにそれを拒む私に折れたようで、いつもの困ったような笑顔でそっと頭を撫でくれた。それから月日は流れに流れ、訓練兵としての生活が2年目に入った。最初のころは友達なんて作る必要がないと思っていたけれど、その本がきっかけで、同期の子と親しくなることができた。やっぱり持ってきてよかったと思うし、王政府が所持することを禁止している書物を持っている私を咎めるわけでもなく、教官にバラすようなこともしない子でよかったとも思った。その子はとんでもない変わり者で、さすがに私は彼女のように教官の目の前で芋を貪り食うことはできない。その話をすると「もうやめてくださいよお」と情けない顔をするのがまた面白くて、ついからかってしまう。

「ナマエナマエ、食品庫に」
「行かない」
「えー最後まで聞いてくださいよー」
「どうせまた肉でも盗りに行くつもりでしょ、行儀が悪いから大人しくしてなさい」

 その変わり者の友人は恐ろしく食い意地が張っていて、誰かからパンをもらえないかとなにかと食事中に目を光らせているし、こうしてたまに食品庫に忍び込んで食料をかっぱらってきたりしている。たびたび私は注意をしているのだけど、彼女の体は燃費が悪いらしい。すぐにお腹がすきましたと切なそうな顔で呟いているのを見かける。まあこの食糧難の時代、お腹いっぱいにご飯を食べられることなんて滅多にないのだけど。食事だっていつも味のないスープと固いパンがひとつだけ。もちろん訓練兵には男の子もいる。私たちはまだ十分な量だけど、成長期の男子たちにはつらいのではないだろうか。あ、あとサシャと。

「今日は肉じゃなくて缶詰がないかなって」
「いや缶詰でもだめだから。いいから寝る準備しなさい」
「まだ眠たくないですよ、今何時だと思ってるんですか」
「時計がないからわからないけど、まあ消灯時間まではあと1時間くらいあるんじゃない」
「お腹すいて眠れないです」
「逆にお腹すきすぎて眠れるよ」
「どんな根拠ですかそれー」

 ぶう、と唇を尖らすサシャの鼻をつまんでやると、殺す気ですかとその手をはたかれた。口でも呼吸ができるというのに、大袈裟なやつだ。消灯時間までのわずかな自由時間を、みんな悠々とすごしている。訓練兵の生活はそれはもうつらいし大変だしやめたいと思うことが多いけれど、規則はそこまで厳しくなく、夜だって宿舎から抜け出していい。私も眠れないときはよく散歩に行く。ここはまわりにあまり邪魔をするものはなく、空に浮かぶ星がとても綺麗に見えるのだ。ベッドの上でごろごろと寝転がりながらお腹がお腹がとやかましいサシャの頭を、持っていた本で軽く小突いた。それなりに厚さがあるのでゴスリと重い音がし、サシャも大袈裟にイタイッと顔をしかめる。そんなに元気があるならお腹がすいてても平気だと思う。

「ナマエは本当、遠慮がなくなりましたよねー。最初のころなんて警戒心丸出しの猫みたいだったし、あんまり話しかけてもこなかったのに」
「それだけ慣れたってことだよ」
「喜んでいいんですかね」
「もちろん」

 と言いながらもう一度本を開いて読み進めていると、「ひまなんですよーかまってくださいよー」とまたやかましくなるサシャ。待って今いいところ。訓練所内にある図書室で借りてきたこの小説はなかなかに面白い。内容は巨人のいない世界だけれど、不思議な魔物と呼ばれる生物がたくさんいる世界の話で、これがまたわくわくして夢中になってしまうのだ。サシャはあまり本を読むということが得意じゃないらしく、私がこうやって本を読み始めるとつまらなそうに横で体操をしたり私の髪の毛で三つ編みを編んだりしている。最近だんだんとひとり遊びがうまくなってきている気がしているのは気のせいだろうか。一度しつこく構え構えと言ってきたときがあったのでサシャも本を読めば、と誘ったところ、字ばっかりが並んだ本を眺めていると眠たくなってくる、と断られた。しかもそれはコニーも同じらしく、ああさすがバカコンビだなと納得した。そして私はそうだとひらめいた。お腹がすいて眠れないなら本を読んでもらえばいいじゃないか。

「サシャ、この小説面白いから読んでみなよ」
「ええ、いやですよ絶対寝ちゃいます」
「お腹がすいて眠れないんでしょう、ちょうどいいじゃん」
「ナマエ私の相手するの面倒くさくなってません?」
「実はちょっと」
「ひどいです!!」

 いやだって横でごろごろされてたら目障りっていうかなんていうか。言わないけど。指でもかじってろと言いたいけれど実際サシャならかじってそのうち爪でも食べ始めそうだから怖いんだよ。こういうとき、ユミルはとても上手くあしらうのだけど、残念ながら今は離れた場所でクリスタと話している。花が咲いたように笑うクリスタの頭をそっと優しい手つきで撫でるユミルは、なんだか友達というより恋人のようなものに見えた。あのふたりは同期の中でも異色を放っている。そしてサシャもなんだかんだで私に遠慮がなくなってきているのだが、きっと本人は気付いていない。私はそれが嬉しかったりするから、別に何も言うつもりはないのだけど。

「仕方ないな、じゃあとっておきのお菓子をひとつだけあげるから」
「えっほ、ほんとですか!? いいんですか!?」
「いいよ。でもとっておきだから、みんなには内緒にして。いい?」
「まかせてください! 私を誰だと思ってるんですか!」

 食べ物に関しては人一番察しがよくて人一倍食い意地が張ってる私の友人だよ。私物入れを漁りながらそう言うと、背後からきゃーと叫びながら抱き着かれた。いきなりのことで思わず体が前方にぶっ飛びそうになった。危ないな壁に頭ぶつけるところだったじゃないか。綺麗な色とりどりのまあるい飴玉が入った瓶を背中に隠しながら睨んでやると、お菓子をもらえないと思ったのか慌てて土下座をしてきた。本当、食べ物のことになると素早い。コルクでできたふたを外し、瓶を手渡す。

「きれいですねえ」
「もう寝る前だから、ひとつだけだよ」
「はい! ありがとうございます! 何色にしましょう」

 柱にかけられたランプの光を瓶に浴びせ、きらきらと輝く飴玉を同じようにきらきら光る瞳でじっと見つめるサシャ。色は違うけど味はみんな同じだよなんてつまらないことは言えなくて、私は子供のようにはしゃぐサシャを眺めていた。きっとこの子には、黄色がよく似合う。見ていると楽しい気分になって、人に喜びを与える色。あ、知的を意味する色だからやっぱり違うかもしれない。かも。飴を頬張りながら「ナマエだいすきですー!」というサシャに、それは食べ物をくれるからじゃないよね? と少しばかり不安になった。
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