ミカサの髪は本当にきれいだ。艶やかな黒。さらりと風でなびくと、俺はたまらなくなる。しかし、ミカサはいつでもあの死に急ぎ野郎のことしか考えていない。クソが、うらやましい!
「ジャン、スープこぼれてる」
マルコに言われてはっとして手元を見ると、皿からスープがたれていた。味は薄いうえに決しておいしいといえるものではないが、ここでの貴重な食料。クソったれ、これもあの死に急ぎ野郎のせいだ。近くに置かれていたふきんでスープを拭き、固いパンをかじる。表面がガリガリと音を立てた。
向かいではコニーとサシャのバカコンビ。めずらしくサシャが誰かにパンを渡している。何企んでんだこいつ、と思っていたらコニーも何企んでる!? と言って、サシャがむすりとした表情になった。ふたりはパンを半分にちぎってそれぞれを自分で食べる。仲直りな、とコニーがにかりと笑った。なんだよ、口きかねえと思ってたらやっぱり喧嘩してたのかよ。くだんねえ。
あごが異常に鍛えられるんじゃないかと思うくらい固いパンをもりもりと食べ終える。食糧難のこの時代に贅沢は言うもんじゃねえということはわかったはいるが、ここでの食事はお粗末なもんだ。自分の家での食事の方がずっとマシかもしれない。
バカコンビの向こうでは、ミカサが小さくパンをちぎって食べている。いつもどおり表情はないが、やはり髪は艶やかで美しい。いやミカサも十分きれいだ。東洋人の血を引いている、と聞いたことがある。めずらしい血が混じっているからか、ミカサは女子の中でも飛び抜けて美人だ。髪と同じ色の瞳、他の女子と比べると少し色の違う肌、きれいなピンク色をした唇。……待て待て、変態みたいじゃないか、俺。
「またミカサばっかり見てる」
ぼそりと俺にしか聞こえないようにつぶやかれた言葉に、思わず肩がはねた。マルコが座っている、逆のほう。視線を向けると、にやにやとおもしろそうに笑っているオミ。
いまなんつったおまえ。
「手元おろそかにしてると、私がスープとっちゃうよ」
「お前自分の分まだあるじゃねえかふざけんな」
「冷めちゃったらおいしくないから、かわりに食べてあげよう」
スープを奪い取ろうとする手から皿を遠ざける。つれない、とふくれた表情をして見せ、んふふ、と笑った。こいつの笑い方は特徴があって、その笑い声を聞くのは、なんだかあまり嫌いではない。むしろ少し好ましいくらいだ。絶対に言ってやんねえけど。
オミは自分のスープとパンを平らげ、しばらくバカコンビやマルコとの会話を楽しむ。俺も少し冷めたスープを飲み干して、またぼうっと向こうにいるミカサを見る。いつもと同じ、エレンの野郎とアルミンと食事をとり、今はこちらと同じように会話を楽しんでいるらしい。
ふ、と、ミカサの視線がこっちを見た。目が合って、思わず逸らす。やべえ、感じ悪いと思われてねえかな。もう一度視線をやると、もうミカサはエレンの方を見ていた。クソが!!
ぎりぎりと歯を食いしばっていると、横からくつくつと笑い声が聞こえてくる。大声で笑うのを必死に我慢しているオミの目じりには、うっすらと涙がにじんでいた。こっちは何も面白くねえんだよバカ野郎。
「はー、ジャン、おもしろすぎ」
「……てめえ、何がだよ」
「だから、見すぎなんだって、ミカサのこと」
お姉さんが応援してあげようか。
こいつはたまにこうやって年上ぶる。いや、実際年上なのだけど、こうやっていうときは楽しんでいるときかバカにしているときだ。ろくなことになんねえ。
やたらとからかってくるこのバカは無視だ。マルコと明日の訓練はなんだという話をして、立体機動の訓練があることを思い出し、思わず笑みがこぼれる。自分でこういうのもなんだが、立体機動の訓練は得意だ。成績も上位に食い込んでいるし、このままいけば憲兵団行きも難しくないはず。
そんなことを考えていると、オミはサシャと一緒にもう戻る、と言って食堂を出て行った。なんでも、もう一度内緒のおまじないをするの、とかなんとか。にこにこと嬉しそうに、楽しそうに笑いながら、ロマンチックな言い方をする。オミはたまにこうしてくすぐったいことを言うときがある。まわりはまた恥ずかしいことを、と呆れるが、まあオミだから、といって笑顔になる。こいつのまわりはいつも笑顔が絶えない。人徳ってやつか?
俺もマルコも食事を終えて、さて部屋に戻るか、と腰を上げたとき、隣の椅子に何かが落ちているのに気付いた。淡い茶色に、白い水玉模様の入ったタオルハンカチ。オミか。あいつはきっともう女子の宿舎に戻ってしまった。男子が夜に女子の宿舎に入るなんて、しばらくは白い目で見られるであろう行為はしたくない。拾い上げたハンカチを見つめていると、マルコもそれオミの? と俺の手元を見る。少し困ったような表情だ。さてどうしようか。
「ジャン」
うしろから名前を呼ばれた。この声は。
勢いよく振り向くと、案の定、ミカサが無表情のまま俺を見ていた。名前を呼ばれてしまった。思わぬことにどきどきとしていると、ミカサは俺の手に握られたハンカチに視線を落とす。
「それ、オミのハンカチ?」
「お、落としていったみたいだ。悪いけど、渡してやってくれるか」
「もちろん」
これはこの間買ったばかりのお気に入りだと言っていた、ありがとう。そういってミカサは俺の手からハンカチを受け取る。そのときに少しだけだが指先が触れて、一気に顔に血が集まったのがわかった。白くて細長くてきれいな指は、少しひんやりとしていて、気持ちよかった。だから俺は変態じゃねえ。
宿舎は別なのでミカサはひとりで食堂を出ていく。去り際にはエレンに最近は寒いからきちんと毛布をかぶれ、夜更かしはするな、腹を出して寝るなと母親のようなことを言って、ほっとけ! と怒られていた。いつもならこのクソ死に急ぎ野郎、何生意気言ってんだうらやましい! となっていたのだろうが、今の俺は心が穏やかだ、生暖かい目で見守ってやった。マルコにはわかりやすいなあというような表情で見られたが、無視した。お前にもいつかわかる。オミ、お前はいつもよけいなことしかしねえと思っていたが、この場で撤回しよう。
ああ、今日は俺にとって、とっておきの日だ。