「こんなところでなにしてんの?」

 覗き込んできた緑の瞳と目が合う。なにしてんの、と言いながらも何があったかはきっとわかっているのだろう、呆れた表情をしていた。エレンは何も言わずに口をつぐんだまま、ふいと視線を逸らした。路地のすみに置かれた木箱のそばに座り込む幼馴染の顔に傷があるのを確認して、オミは溜め息をつく。服で隠れてしまっているが、きっと膝や腕にも擦り傷ができているのだろう。

「またけんかしたんでしょ」
「してねえよ」
「だってエレン、けんかしたあと絶対そんな顔してる」

 目を合わせないようにと逸らした顔を指でぷすぷすとつつかれ、やめろよとオミの手を払う。大人しく手をひっこめたオミだが、ここから立ち去る気はないらしく、エレンの隣に腰を下ろした。このあいだ買ったばかりだと言っていたワンピースが汚れるが、いいのだろうか。

「壁の外に行きたいって話は私とアルミン以外にしちゃダメって言ってるじゃん」
「壁の中が安全だって思い込んでるあいつらにバカにされたくねえ」
「そんなこと言ってもねえ」

 膝を抱え込んでそこに顎を乗せるオミにならい、エレンも膝を腕で抱え込んだ。わかっているのだ、自分のように壁外の世界を見てみたいというほうが変だということくらい。壁の中は安全だと、ほとんどの人間が思っているのも知っている。この平和が100年続いていると言われても、エレンは安心することはできなかった。巨人は大きな体と力を持っている。いつかその力を持って、この壁を壊したっておかしくない。もし、そんな日が来てしまったとしたら、どうするのだろう。大体みんな気を抜きすぎているのだ。壁を守る仕事をしているはずの駐屯兵団だって、勤務時間に酒を呑んだりふらふらと散歩に出かけたり、呑気にしゃべくりながらカードゲームをしていたり。兵士としての任務を全うしている者なんて少ない。エレンはそんな彼らを見て呆れていたし、軽蔑していた。同じ兵士の調査兵団とはえらい違いである。大きな被害を出しながらも、巨人に勝つために壁外に出ていく彼らは、エレンの憧れの存在だった。いつか自分も調査兵団に入り、壁の外に行ってみたい。そんな話をすると、街のガキ大将やその取り巻きたちにバカにされ、いつもそれにカチンときて口喧嘩になり、それから取っ組み合いの喧嘩になる。そして近くにいた大人たちに止められるか、探しに来たオミに怒られるのだ。アルミンと壁の外について書かれた本を読んでいるときも、どこからともなくやってきてくれるので喧嘩は常に絶えない。だからオミにもよく怒られる。物心ついたころから近所に住んで一緒に遊んでいた彼女は、ひとつ年上ということもありエレンと比べると落ち着いたところがある。とはいってもやはり年相応の子供なのだが、ガキ大将たちにバカにされてもエレンのようにカッとなったりしないし、むしろ冷静に言い返したりしている。

「壁の外の世界が見てみたいって思ってる私たちがおかしいんだよ」
「オミは悔しくねえのかよ」
「悔しいけどさあ、でもそれがふつうなんだもん。しょうがないよ」
「しょうがないって……」
「調査兵団だって変人の集まりって言われてるでしょ」
「でもオレは調査兵団になる」
「うん、知ってる」

 穏やかな声色に視線を向けると、オミはにこにこと笑っていた。エレンが壁の外を見たいことも、そのために調査兵団に入りたいことも、オミはちゃんと知っているし、反対なんてしない。アルミンとエレンと3人で、いつか絶対壁の外を見たいと思っているのだ。でもそれはエレンたちに言ったことはない。お前はやめておけと言われるのがわかっているからだ。だからいつか、12歳になって訓練兵に入ったとき、初めて言うつもりでいる。はたしてそれまで我慢できるか、自分でもわからないけれど。

「これからはあんまり街でそういうこと言っちゃだめだよ。アルミンとも、人気がないところで話すとか、小さな声で話すとか、工夫して話したらいいよ」
「話すのはだめって言わないよな、オミって」
「だって私も聞きたいもん、壁の外の話。エレンとアルミン、すごく楽しそうだから、私もすごく楽しい」

 オミは目の前で惰眠をむさぼる猫を見つめていた。エレンが視線を向けても、逸らしてもだ。自分よりずっと大人びたところがある彼女だが、やはりまだ10歳の子供である。好奇心だってそれなりにあるのだ。緑色の瞳は楽しそうに細められている。自分の考えを否定されるのはとても悲しいし悔しいことだ。だからこうして、幼馴染のふたりが自分と同じように壁の外に興味があるのはとても嬉しい。同じ話題で盛り上がれるのは楽しい。自然と上がりそうになる口角を手でぐいぐいと押さえて、エレンは立ち上がった。

「帰る」
「うん、帰ろう。傷膿んじゃうよ、おじさんに薬塗ってもらおう」

 空を見ると、太陽が少し傾いてきていた。夕暮れまではまだまだ時間があるが、今日は特別な日だ。これ以上怪我を増やすのもいやだし、もう今日は家で大人しくすることにする。オミは立ち上がって、おしりのあたりについた砂を手で払った。自分たちの家があるほうに足を向けて、エレンの手を引いていく。

「今日エレン誕生日でしょ。おばさん、シチュー作るって言ってたよ!」

 母親はいつも特別な日にはエレンの好物を作ってくれる。特に誕生日は腕によりをかけて晩ごはんを作ってくれるので、毎年楽しみにしているのだ。そんな日はオミも遊びに来たりする。すぐ向かいに住んでいることもあり、昔から家族ぐるみの親交があるからだ。きっとオミは一度エレンの家を訪ねたのだろう、そのときに母親が言っていたのかもしれない。

「にんじん入れるのやめてくれないかな、母さん」
「またそんなこと言って……身長伸びないよー」
「うるせー! そのうちオミの身長よりずっと高くなってやる!」
「こんなちっちゃいのに?」

 振り返って右手をエレンの頭の高さに上げて、いたずらっ子のように笑うオミ。やはり年の差なのか、身長はオミのほうが少し高くて、男の子として少し悔しい。とはいってもたった数センチの差だ、エレンだって成長期だし、きっとすぐに追い抜いてしまう。しかしちっちゃいと言われてムキになるなというほうが無理な話で、むすりと唇を尖らせたエレンはオミを抜いて、思い切り手を引いて走り出した。

「うわっちょっとエレン、速いよ引っ張んないで!」
「バカにすんな、オレのほうが走るの速いぞ!」

 ぐんぐんと街を走っていくエレンのうしろで、オミは楽しそうに笑っている。ムキになって前ばかり見ているエレンはそれに気付かない。それを見つめる街の大人たちは、微笑ましい風景に癒され、頬を緩めている。きっと家では母さんが鍋の中にいっぱいのシチューを煮込んでいいにおいをさせているんだ。父さんも仕事を早く終わらせて、テーブルで本を読んでる。怪我をしたことを怒られるかもしれないけれど、早く家に帰って、母さんに抱きしめてほしい。オミの手を握る手にほんの少し力を込めると、応えるようにオミも握り返してくれた。



▽ Happy birthday dear Eren !

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