その冷めた態度ときつい目つきと言動で勘違いされがちだが、アニはなんだかんだでいいひとなのではないかと思う。朝が苦手な自分を毎日起こしてくれるし、たいした点数にもならない対人格闘術の訓練も、文句を言いながら一緒に組んでくれる。そして意外とまわりのことを見ているのだ。以前そのことを伝えてみると、「あんた頭おかしいんじゃないの」というふうな表情をされたのだが、まあそれはさておき。
 今日はそのアニの誕生日であるらしい。彼女はたしかにそういうことを自ら言うような性格ではないし、オミ自身も訊ねたことがなかったので知らなかったのは当たり前のことだ。なぜかライナーが朝アニにおめでとうといって肩を叩いていたのを疑問に思い、それを本人に聞いて初めて知った。

「えっ聞いてない!」
「聞かなかったから教えてない」
「教えてくれたってよかったのに」
「なんで」

 そう言ったアニの顔には表情がなかった。どうやら本当になぜかわからないらしい。オミとしては親しい同期のおめでたい日は祝いたいものだし、教えてもらっていやな気分になるものでもない。意味がわからないという顔をしたアニに、自分だけ親しいと思っていたのかもしれないと思うと、耳がかっと熱くなった。きっと顔が赤く染まっている。なんて恥ずかしいんだろうか。

「な、なんでって、そりゃ同期だし」
「じゃああんたは200人以上いる同期の誕生日全部覚えて全員祝うわけ?」
「そういうわけじゃないけど、でもアニとは特に仲がいいし」
「別に私はあんたが特別なわけじゃないよ」

 その言葉に心臓がどっと跳ねた。どうしてそんな言い方。ひどい。目頭と鼻の奥がツンと熱くなって、溢れそうになったものを堪えた。アニの青い瞳は凪いでいて、悪いことを言ったなんて思っていないようだった。オミの中でアニが一番というわけではないし、それと同じようにアニの一番も自分ではない。別にそれに不満なんてないのだが、いざ真正面から言葉としてぶつけられると想像以上につらかった。それにもっと言い方だって、いろいろあったんじゃないだろうか。自分より10センチほど背の低いアニは、小柄なくせにどこか迫力がある。怖気ついて何も言えなくなった。

「……もういいっ、変なこと言ってごめん」

 絞り出すようにそれだけ言うと、オミは踵を返した。足はまっすぐに宿舎に、行くわけがなく厩舎のほうに向いていた。たくさんの同期と生活しているこの訓練所に、人気がない場所なんてほとんどなかった。誰かいてもいいから、とりあえず馬の手入れをしよう。ブラッシングをして、干し草を足してやって、飲み水も与えて、それでもまだ時間があるならどこかで暇をつぶせばいい。さっきの声は震えていなかっただろうか。アニはオミを呼びとめることはしない。



 馬術の訓練を共にしている馬は、いまいちオミに懐いていなかった。またがればきちんと指示を聞くし、足だって速い。しかしこうして馬から降りて、世話を焼いてやると鼻息をぶふんとかけられることの多いこと。このあいだはもう少しで後ろ足で蹴られそうになったし、散々である。そのあと教官から馬のうしろに立つバカがいるかと説教を受けたのは言うまでもない。

「ゴッス、悪いけどしばらくここにいさせてね」

 ゴッスと呼ばれた愛馬は不満そうにかぶりを振った。ゴッスというのはオミが勝手につけたあだ名で、正式な名前は忘れた。たしかゴンザレスだかそんな感じだっただろうか。とてつもなく言いづらい名前だったので仕方がない。しかし彼はあまり気に入ってないようで、呼ぶたびにぶるぶると唇を震わせて唾を飛ばす。とても汚いがやめるつもりはない。前にエレンに眉間にしわを寄せながら「お前ネーミングセンスねえよな」と言われたことを思い出した。小さいころシガンシナの家のそばにいた猫につけた名前も、そうやって一蹴されたような気がする。だが今さら呼び方を変えるつもりもないのでどうでもいい。

「たしかにアニはとっつきにくいけどさあ、他のみんなと比べてたいぶ打ち解けてたと思うんだよねえ」

 こんなことゴッスに言ったってわからないだろうし、返事をしてくれるわけでもない。しかし今胸にあるこのもやもやした感情を、何とか吐き出したかった。バサバサとしっぽを振るゴッスはいったい何が言いたいのだろうか。うじうじして鬱陶しいからさっさとどっかいけとか思ってるのかな。ゴッスが人間だとしたら、きっと素直じゃないと思うという話をしたら、アルミンがとても困ったように「そうなんだ」と言っていたこともあった。そしてそのあとジャンが「お前たまに変なこと言うよな」と言ったのだ。そういうジャンは変な顔だよねと返すと思い切り頭を殴られたのを覚えている。なんだかどうでもいいことばかり頭に浮かんできて、何となく心が落ち着いてきた気がする。しかしまだ宿舎に戻る気にはなれなくて、厩舎の入り口近くの壁にもたれて座り込んだ。すぐ近くにゴッスがいるし、どこか安心できる。その愛馬はこいつまだ帰らねえのかよと言いたげな目をしているのは気のせいだろうか。訓練兵団を卒業するまでに懐いてくれる気がしない。


 * * *


 目を覚ますと視界は真っ暗だった。どうやらいつの間にか顔を伏せて眠っていたらしい。顔を上げると外は暗くて、馬たちも大人しくなっている。ゴッスはオミが起きたことに気付いたのか後ろ足で地面を軽く蹴った。今日当番になっていなくてよかった、今何時ごろだろう。慌てて立ち上がって厩舎から出ると、出口のそばで兵服から私服に着替えたアニが座っていた。気配が全くなかったのでとても驚いた。壁隔てた真後ろに、いつの間に彼女は来ていたのだろう。というかここに何しに来たんだ。空に浮かぶ月の高さからして、夕飯の時間はすぎてしまっている。明日も激しい訓練があるというのに、食事なしはさすがにきつい。しまった、とオミは頭を抱えたくなった。空の月からアニに視線を戻すと、相も変わらず彼女の目は静かなままである。眠る前のことを思い出してしまい、オミは何も言えず口を閉ざしたまま立ち尽くした。ゴッスのいななきだけが響いている。するとアニが立ち上がり、抱えていた布を差し出す。なんとなくそれを受け取ったオミは、布をまくって中身を確認する。そこには普段よく食している、固いパンがふたつ並んでいた。え、と驚きで目を見開いてアニを見ると、目が合ったあとに逸らされた。なにそれかわいい、照れてるの?

「このパン、アニの?」
「バカ言ってんじゃないよ、自分のぶんは自分で食べるさ」
「え、じゃあなにこれ」
「ミカサが持ってたあんたのぶんと、あまったやつ」
「あまったやつってたいていサシャが食べるのに」
「強奪した」
「ああそう……」

 なんとなくアニならやりそうなことである。しかしなんでふたつも。「ひとつじゃ足りないだろうと思って」って、いったい私アニにどれだけ大食漢だと思われてるんだろう。

「悪かったよ」

 パンをまた大事に布でくるんでいると、小さくそう呟く声が聞こえた。また視線をアニに向けると、彼女は目を逸らしたままだった。しかし右手が落ち着きなく後頭部でまとめられた髪をいじっていて、オミは少し笑ってしまいそうになる。きっとそんなことをすると思い切り睨みつけられるだろうから、どうにか堪えた。

「言い方がよくなかった」
「ほんとだよ。アニって言葉選び下手くそ」
「こっちが低姿勢になれば生意気だね、パンよこしな」
「やだよ!」

 アニからパンを遠ざけようと腕を上に上げると、身長差で明らかに届かないことがわかっているのか、アニはオミの脇腹に手を持ってきた。何を、と思っているあいだにその小さな手はこしょこしょとくすぐるように動いて、オミは思わず声を上げて笑った。びっくりしてパンを落としそうにもなるしさんざんである。

「ちょ、ちょっとだめ待ってそれなし! ふはは! ちょっやだこの子本気だやばい!」
「生意気なガキにはお仕置きが必要だからね」
「ガキって私たち年一緒じゃん!」
「いや、私は今日誕生日だから」
「しまったそうだった!」

 落とさないようにパンを両腕でしっかり抱え込んで、宿舎まで目指す。うしろからはアニが地を蹴る足音が聞こえる。もう脇腹はくすぐったくないけれど、夜暗くなった訓練所で追いかけっこをしている現状がとても面白くて、笑いがとまらない。食堂からはまだ明かりが漏れていて、窓からこちらを覗いている人影もいくつか見える。きっと変に思われているだろうけど、楽しいから何でもいいのだ。

「アニ誕生日おめでとう!」

 足を前に進めながら肩越しに振り返り叫ぶ。暗いからアニの表情はよく見えなかったが、どこかつらそうに微笑んだのどうしてなのだろう。また来年もその次の年も、訓練兵を卒業してそれぞれ別の兵団に入ってからも、ずっとずっと祝ってあげるから、そんな顔をしないでほしい。するとアニはもっとつらそうな顔で「バカだね」というので、泣いてほしくない一心で気付けば彼女の手を握っていた。




▽ Happy birthday dear Annie !

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -