訓練が終わったあと、夕食の時間までに着替えてしまおうと宿舎に向かっていたときのこと。対人格闘の訓練を行う運動地の向こうにある森から、見覚えのある面々が走ってきた。タオルを抱えたオミと、なにやら麻袋を抱えたサシャ、そのふたりの前を走るのはコニーだ。3人ともえらく楽しそうに笑っていて、いつも以上ににぎやかだ。何か面白いことでもあったのか、と眺めていると、あることに気付く。気付いた途端、背中が冷えた。おいあいつらなにしてたんだ。じっと見ているとコニーが俺に気付いて、「うわやべえライナーだ」と顔をしかめた。

「お前ら、どうしたその血のにじんだ麻袋は……」

 サシャの持っている麻袋には、赤い染みができていたのだ。下の方は真っ赤に染まっていて、なんだかまずそうなものに見える。大きさはサシャの両腕で抱えられる程度。というかお前、その持ち方ジャケット血だらけになるけどいいのか。渡さないというふうに真剣な顔で麻袋を抱えるサシャの隣では、オミが諦めたような表情で立っている。あーあバレちゃったよ、と顔に書いてあるように見えるのは俺の気のせいだろうか。

「その、なんだ……俺は何も見ていないぞ」
「なんかすごい誤解されてる気がする」
「別にやばいことしてませんからね私たち」

 もう何も言えなくなって目を逸らす。と、オミとサシャが俺の思考を呼んだのか首を揃って横に振る。俺はなかなかのショックを受けていた。長いあいだ訓練を共にしてきた仲間が、犯罪に手を染めているかもしれないということに。誰だって現場を見られたら何もしていないと言うものだ。誰かに相談したいけれど、やはり黙っていたほうがいいんだろうな。こいつらが自ら正直に話してくれるのが一番いいんだが。
 なんだか目頭が熱くなってきて、こぼれそうになるものを押さえるために指でこする。コニーが横で「なんだライナー、眠いのか?」と背中をぽんぽんと叩いてくる。こいつ本当にバカだな。俺はこんな場面で眠くなるほど空気が読めないわけではないし、だいたい眠いのかってなんだよ。ふつうそんな発想に行かないだろう。

「どうします? 言っちゃいます?」
「まあもうがっつり見られちゃったしねえ」
「どうせ量はあるんだしライナーくらいならいいんじゃねえの」

 3人固まってなにやらぼそぼそと話し合っている。俺はもうこの場を立ち去ったほうがいいんだろうか。早く気付いていたらこいつらを止めることができたのになあと後悔だけが俺の中でむくむくと育っていく。腕を組んでどうするべきかと悩んでいると、サシャが麻袋の口を開けた。「あれっ腕のところ血だらけになってるんですけど!?」ショックを受けたらしくその赤く染まった麻袋を地面に落とした。あっバカサシャ! 何が入っているかわからんが血みどろのえぐいものを俺に見せるな!
 いきなりのことすぎて目が逸らせなかった。麻袋からはぼろぼろと鈍い銀色に光る大量の魚が流れ出てきた。目に光がなくて死んでいるのがわかる。ほら見ろ血みどろのえぐい魚が! さかな……魚?

「なんだこの魚」
「さっき森の奥にある川で獲ったの。晩ごはんのとき焼いて食べようね」

 砂だらけになった魚を麻袋に戻して口をくくるオミ。それを聞いて俺はほっと胸を撫で下ろした。びっくりさせるんじゃない、そんな血まみれの袋を持ってたら誰だって変な想像するぞ。額に浮かんだいやな汗を袖で拭う。コニーが川に網を忘れたと言って焦ったように取りに戻っていった。

「オミ〜〜どうしましょう、ジャケットもシャツも血がついちゃいました」
「そりゃあんな持ち方してたらね……乾く前にお湯で洗えばとれると思うよ」

 呆れたように言いながらも、オミは母親のように微笑む。こいつらたしか同い年のはずなのに、オミの方が年上に見えるな。まあ幼馴染にエレンがいるから、しっかりするのも当たり前かもしれない。ここに来て初めて知り合っただけの関係だが、これまで訓練を共にしてきてエレンの無鉄砲さはわかっているつもりである。あいつは少々熱くなりすぎるところがあるし、オミやアルミンが落ち着かせているところをよく見かける。ミカサもその中に混ざってはいるのだが、逆にエレンを怒らせているときもあるな。オミは持っていた大きなタオルで、申し訳程度にサシャの腕やシャツを拭う。いやそんなことは今どうでもよくて。

「夕飯、献立に焼き魚があるのか」
「ないよ。サシャが食べたいって行って聞かないから仕方なく獲りに行ってただけ」
「そんなこといって、魚獲るのすっごく楽しんでたじゃないですか、オミ」
「だ、だってあんなことしたの初めてだったからー!」

 澄ましたような顔でいるオミの頬を指でぷすぷすとつつくサシャ。バラされて恥ずかしいのか、オミは顔を少し赤くしながらサシャの肩を叩く。痛いじゃないですか! からかうからでしょ! と肩の叩き合いに発展していき、ちょうど網を持って帰ってきたコニーが不思議そうに首を傾げた。きっとあの網で魚を獲っていたんだろうな。さっきの一瞬だけで何の魚だったのかは判断できなかったけれど、そこそこ立派な魚だった。きっと食べごたえがあるだろう。袋の中にもまだまだあったようだし、1匹を切り分けたらそれなりの人数で分けることができると思う。
 少し空が暗くなってきた。そろそろ夕飯の準備を始めないと、時間に間に合わなくなる。夕飯の準備当番に魚を調理してもらうのかと思いきや、自分たちが当番らしい。こういうことになるとサシャの発想には驚かされる。いろいろ調味料があると少し凝った料理ができるらしいが、いかんせんこの食糧難の時代だ。しかもここは訓練所であり、調味料なんて高価なものはあまりない。貴重な塩をほんのひとつまみかけるだけで精一杯のようだ。それでもおいしく魚がいただけるならありがたいけれど。普段ほとんど味のないスープと固いパンしか食べていないから、たんぱく質の多いものを口にできるだけで俺は満足だ。
 血にまみれた服を見てヒンヒンと泣き言を吐くサシャのかわりに、調理場まで魚の入った麻袋を運んでやった。早く脱いでお湯で洗いたいところだろうが、今から夕飯づくりが待っているのだ。生臭さに顔をしかめるサシャがなんとなく不憫に思えて、気が付いたらそう言っていた。

「サシャ、お前が服を洗っているあいだ、俺がかわりに夕飯の準備をしていてやるぞ」
「えっいいですよそんな。悪いです」
「だが、生臭い服を着たまま料理をするのも複雑だろう。いいから行ってこい、血が乾くぞ」

 驚いたようにぱちぱちと瞬きを繰り返すサシャの腕を引き、調理場から追い出す。扉を閉める直前に「ありがとうございます」と頭を下げていた。少し気分がよくなったのに、扉を閉めたあとに「でも魚の取り分は増やしませんからね!」と言われた。あいつもう少し黙ってられなかったのか、そうしていれば少しはかわいらしく見えると他のやつらも言っているのに。台無しである。そう思ったのはオミも同じようで、呆れたような顔をして麻袋の中の魚を調理台の上に広げていた。お前のその顔も、今日だけで何回見ただろうな。さっき落とした際に砂だらけになった魚を水で洗い、頭や背びれ、尾びれを包丁で切り落とす。もうすでに内臓が取ってあって、血抜きもすませてあった。

「血抜きまでしてるのか。慣れてるな、オミ」
「違う違う、これはコニーだよ。私こういうのやったことないもん」

 切っていったひれや頭を1ヶ所に集めて、食べる部分を均等に切り分けていく。向かいに回って俺も同じように魚を切り分けていった。オミははしゃいだように、コニーがどれだけ魚が獲るのが得意で、魚の処理がうまいのかを語った。あいつは普段頭の回転が少し遅くて、座学もあまり得意じゃないようだけど、訓練所に来る前によく大人に交じって狩りを手伝っていたようで、そういうことが得意らしい。どうやら天は二物を与えないようだ。
 魚を切り終わって、今度はスープを作る作業に取り掛かる。今日はじゃがいものスープらしい。つい2、3日前にも食べたような気がする。芋は一度に大量に獲れるし、腹持ちもいいからよく食事に使われる。別に文句は言わないが、もう少しバラエティに富んだ料理にならないものか。しゃりしゃりとじゃがいもの皮をひたすらむく作業は、とにかく地味なうえに手の疲れが半端じゃない。こんな小さい芋をずっと持って力を込めてナイフを動かす。俺はあまりこの作業が好きじゃなかった。向かいをちらりと盗み見ると、何も考えていないような顔でオミは黙々と皮をむき続けている。細くて白くてきれいな指が、ナイフをすらすらと動かしていく。オミの手は、兵士のものとは思えないくらいとてもきれいだ。肌は白くて、指はとても細くて長い。その先には整った形の、ピンク色をした爪。訓練をしていると、やはり手のひらにはたくさんのまめができたりして皮が厚くなるが、オミの手はつい見惚れてしまうくらい美しかった。前にもミーナやクリスタが、食堂で手がきれいだと言って騒いでいた気がする。あのときのクリスタのはしゃいだ表情はとても天使だった。女神だった。結婚したい。
 そうして大量のじゃがいもを向いていると、あっという間に終わった。俺やオミ以外にも当番はいるし、当たり前といえばそうなんだが。そこまで考えて、ふと違和感に気付く。

「おい、コニーはどこへ行った? あいつも当番じゃなかったのか?」
「コニーは倉庫に網戻しに行ったよ」

 ついでにタオルも持って行ってもらったの。大きな鍋に水を張り、それを火にかけるオミ。ああ、後片付けは大切だよな。じゃがいもを細かくさいころの形に切っていると、コニーが戻ってきて手伝ってくれた。それをオミがどんどん鍋の中につっこんでいく。ふつふつと水が沸いてきた。これで芋をやわらかくゆでてつぶして、ほんの少しの塩を混ぜて出来上がりだ。作るのはわりと手間暇かかるのに、食べてみるとそんなにおいしいわけではないのがつらい。あとは固いパンを添えて食卓に並べるだけだ。オミは切り分けた魚に均等に少しの塩をかけて、焦げないように気を遣いながら焼いていた。スープを注いだ皿の、ふちの部分に落ちないようにそっと乗せる。いくらそれなりに大きい魚が多くあるといっても、200人以上いる訓練兵全員に当たるわけがない。何人か食べられないやつが出てくるが、どうか勘弁してもらいたい。俺が獲ってきたわけではないが。
 そろそろみんなが食堂に集まってくるな、というころ、にサシャがやっと戻ってきた。服についた血は無事に落とせたようだ。すでに私服に着替えていたけれど、安心したようなサシャを見て俺もなんだかほっとした。服を捨てるなんてもったいないことはできないが、血の染みがついている服はさすがに着れないからな。

「なんかライナーに全部やらせちゃいましたね。今度ライナーが食事当番のとき、私がかわりにやりますよ」
「気にするな、俺が好きでしたことだ」
「いえっだめです! そういうことはきちんとしないと」

 いつになく真剣な顔で言うサシャに、少し驚いた。お前、案外真面目なんだなあ。そのまま正直に言うと「どういう意味ですか!」と怒られた。なら、今度の当番はありがたくかわっていただこう。
 食堂に行くともうそれなりの人数が集まっていた。スープを配っていくと魚に気付いたやつが嬉しそうに笑う。少なくて申し訳ないんだが。いや俺が獲ってきたわけではないが。席についてフォークで身をほぐし、ちょっとずつ分けるやつらがいてなんだか和んだ。ここにいる者は、相手を気遣えるものが多くて気持ちがいい。俺も自分の分を取って空いている場所に座ると、迷いなくサシャとオミ、コニーが同じ机を囲んだ。俺の隣が開いているのは、まだ食堂に来ていないベルトルトへの気遣いだろう。

「魚、喜んでるやつが多くてよかったな」
「私の取り分減っちゃいましたけどね」
「もうライナーにバレた時点で」
「ですよねー」

 悪かったなたまたまあのときあの場所を通りかかって。俺はあのとき私服に着替えるつもりだったんだがなあ。血の染みができた麻袋を抱えたサシャを見たときは、本当に驚いた。今考えるとあほらしいし、むしろ変な勘違いをしてひとりで感極まっていた自分が恥ずかしいくらいだ。

「ライナー、サシャのかわりに手伝ってくれてありがとうね」

 不意に、オミがそう言って笑った。サシャに礼を言われるのはまあわかるが、どうしてお前から俺は感謝をされているんだ。

「ひとりでも当番が減っちゃったら夕飯作り終わるの遅れちゃうでしょ。でもサシャの服が染みだらけになるのもかわいそうだったから、手伝ってくれて助かった」

 そして固いパンを両手でぎゅうぎゅうと揉む。オミはあまり固いパンは好みじゃないらしく、毎回こうして手で揉んで、やわらかくなったパンを食べていた。一口大にちぎったパンを口に含み、もぐもぐと咀嚼する。それを飲み込んだあと、「あ、調理場まで魚も運んでくれたしね」と付け足した。まったくこいつは本当に。

「前から思ってたが、やっぱりお前はかわってるな」
「そうかな。別に入団式の途中に蒸かした芋食べ出したりしないけど」
「ちょっと! 例えに悪意が感じられますよ!」

 このタイミングでサシャのあの奇行ネタをぶっこんできて、思わず俺はスープを吹き出しそうになった。コニーは遠慮なく大口を開いてギャハハハと笑い、サシャに怒られている。吹き出しそうになるのを堪えたせいでむせてしまった俺の背を、オミの小さな手がさする。ありがたいけどお前本当、タイミングを考えろ。しかし涙目で睨みつけてくる俺を見て、眉を下げて「ごめんねえ」と笑うオミの顔を見ると、なんにも言えないんだ。

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