点数がつかないも同然の対人格闘なんかやってられるか、と毎回のらりくらりと教官の目を盗んでサボっている私だが、今日はいいサボり理由ができたと少し気分がいい。同期で最も背が高いベルトルさんと組み手をして顔面を擦りむいたオミのアホは、ひねったらしい左足をずりずりと引きずりながら医務室までの道のりを歩いていく。歩きにくいようだし、仕方なく肩を貸してやった。
 こいつは少し変わったところがあるようで、対人格闘訓練が一番好きらしい。その訓練を途中でやめることにへこんでいるようで、しょぼくれた顔をしている。すっげえ腹立つなその顔。

「ごめんねユミル……ユミルも誰かと組んでたでしょ?」
「別に。私はいつもどうやってうまくサボるか考えてるから、いい口実ができてありがたいくらいだ」

 このうすぼんやりを慰めるためだとか、そういうつもりで言ったわけではないけれど、そういうふうに聞こえそうな言い方になってしまった。ああ気持ち悪い。ちらりと横目でオミを見てみると、口元がゆるりと緩んでいて、今にも笑い出したいのを堪えている、というような表情だった。やべえうぜえ。

「んふふ、じゃあありがとうって言って」
「バカじゃねーのお前」

 組んでいない方の手を伸ばして頭を軽く殴る。オミはいてっ、と大袈裟に痛がり、そのあとにこにこと嬉しそうに、楽しそうに笑った。

 医務室の扉を開くと、ムンと薬品のにおいが鼻についた。このにおいはあまり嫌いじゃない。室内を見渡すが、誰もいなかった。ガラス戸の棚から液体薬の入った瓶と、脱脂綿が詰まった瓶を取り出す。怪我をしているのにオミは足を引きずりながら医務室の中をちょろちょろとしていた。あまり来ることのない部屋だからめずらしいのだろうが、怪我人はさっさと椅子に座れこのバカ。
 木製の少しガタつく椅子に腰かけて、向かいにも同じ椅子を寄せる。ゴトゴトという音で振り向いたオミは、ひょこりとこちらに近づいてきて椅子に座った。先に顔の擦り傷のほうを消毒してしまおう。ピンセットで脱脂綿にたっぷり薬を染み込ませ、びたびたになったところでオミの頬にぐりぐりと押し付ける。ぎゃーっと可愛らしさのかけらもない悲鳴が上がった。

「い、いたい! しみる!」
「当たり前だろ、薬だぞ」
「力こめすぎでしょ! 手加減してよ怪我してるのに!」

 ピンセットを持つ私の腕を握って自らの顔から離そうと力を込めるオミ。いってえなそんな力入れてんじゃねえよバカ。脱脂綿には赤い血の他に、細かい砂もついていた。顔を洗わせるのを忘れたか。オミを座らせたまま医務室の中に手頃な布がないか探してみたが、どれもこれも不衛生そうな布きればかりだった。大丈夫かここ、衛生面しっかりしろよ。ジャケットの内ポケットから支給されている白いハンカチを取り出して、それを水で湿らせる。ある程度の水分を絞って、そこそこの力でオミの頬を拭いてやった。それでもやはり痛みは感じるらしく、痛そうに眉間にしわを寄せた。が、今度を文句を言わずされるがままになっている。よしよし。
 ハンカチの面を変えて何度か頬を拭いてやると、砂も血も落ちたようだった。また新しい脱脂綿を湿らせて傷の部分に塗る。結構派手にすりむいていて、かさぶたになったら相当目立つだろう。しばらくガーゼを貼っていたほうがよさそうだ。医務室にいるはずの教官がいないのをいいことに、いろんな引き出しやら棚やらを開けまくって、質のよさそうなガーゼを見つけ出した。大きさもこいつの頬を覆うくらいで程よい。紙でできた治療用のテープでガーゼを固定させて終わり。そこでオミはにっこりと笑った。なんだかこいつの笑顔は腹が立つけど嫌いにはなれない。

「へへ、ありがとユミル」
「だからサボる口実だって言ってんだろ」
「でも、サボるだけならこうやって薬塗ってくれないでしょ。丁寧にしてくれてありがとう」

 だらしなく緩んだ口元がうぜえ。すりむいていないほうの頬をつねってやると、いひゃいと言って私の手を叩く。いてえよ。
 膝まであるブーツを脱がしてひねった足首を見てみると、まだ時間がそんなにたっていないためか何も変化がなかった。脱ぐときにムッとした顔になっていたからたしかに痛いらしい。また勝手に棚から出してきた塗り薬を足首に塗ってやる。どこが痛いのかはさっぱり見当がつかないが、まあ外側のくるぶしのあるあたりだろう。そのあたりに広めに塗ってやり、その上から圧定布をあててこれもまたテープで固定する。捻挫や筋肉痛に効くらしいその塗り薬がまた鼻がもげそうなほどくさくてくさくて、思わず眉間にしわが寄った。けらけらと笑いながらブーツを履きなおすオミの頭をあえて薬を触ってほうの手ではたき、すみに備えつけられた洗面台でこれでもかというほど洗った。石鹸も遠慮なく3回使った。それでもまだ少しにおいが残っているんだから相当なもんだ。くっせえなクソ。

「くさいって言われたらユミルのせいだからね! お風呂ちゃんと入ってるのに誤解されたらどうしてくれるんだまったく!」
「どうせみんな対人格闘で汗かいてんだ、別に誰も気にしねえよ」
「それもそうか」

 怒ったふりをしたかと思えばあっさりと納得して振り上げた拳を下ろす。こいつはしっかりしているかと思えば結構バカなところがある。だからサシャやコニーとよくつるんではしゃいでいるんだと思う。あいつらの相手をするのは疲れるが、同じようなテンションのこいつだとなんてこともないのだろう。こんなことをいうとまた「失礼な!」と怒るだろうから黙っておくが。

 治療もすませたし訓練場に戻ろうということになり、また肩を貸してやってオミを立ち上がらせる。ごめんねえと眉を下げて笑うのでとりあえずまた頭をしばいておいた。変に遠慮するところはこいつの悪いところかもしれない。外に出ると他の訓練兵はまだ対人格闘に励んでいて、目の下に隈を乗せた教官が歩いて手を抜いている者がいないか見回っている。オミが無理をしないようにゆっくりめに歩いていくと、こちらに気付いた教官が立ち止まった。私はオミに肩を貸したまま右手を握り、胸の上に掲げる。

「フォイルナー訓練兵負傷のため、医務室に行っていました。事後報告で申し訳ありません」
「……怪我の具合はどうだ」
「頬の擦り傷と左足の捻挫です。しばらく訓練の参加は控えたほうがよいかと」
「ユミルっ」

 余計なことを言うなというふうに名前を呼ばれるが、横目でオミを睨み口を閉じさせる。そんな足で訓練を続けるつもりだったのか、こいつは本当にバカだ。さっき薬を塗ったときは何もなかったが、きっとそのうち赤く腫れ上がってくるだろう。そんな足を訓練で酷使していると治るものも治らない。教官はオミの顔と足を見て、「3日で治せ」と一言残し、また見回りに戻っていった。
 私たちが医務室に行っているあいだに何があったかは知らないが、ベルトルさんとジャンとコニーが3人仲良く走り込みをしていた。ジャンとコニーがなにやら言い合いをしていて、走りながらベルトルさんがなだめている。なんだあそこ。ベルトルさん保護者か。視線を外し、立っているのも足に悪いだろうからオミを座らせる。少し渋ったが、やはり足の痛みが強くなりだしたのか座るとほっとした表情になった。

「オミ、足くじいたみたいだけど大丈夫?」

 あともう少しで訓練も終わるだろうと思ってオミと一緒に座り込んでいると、クリスタとサシャが心配そうな顔でかけよってきた。教官はこちらを見ていない。私たちの前に座り込むふたりに、オミはいつもの緩い笑顔を見せた。

「ユミルが薬塗ってくれたし大丈夫だよ、ありがとう」
「ほっぺたすごい擦りむいちゃってますねえ」

 これかさぶた目立ちますよ、と言いながら、サシャがガーゼの上から頬を撫でる。くすぐったいのか肩を竦ませて、オミはサシャの手にそっと触れた。それと同時に教官が「対人格闘を終了する!」と声を上げた。組み合っていたやつらも額ににじんだ汗を拭い、教官のいる方向へ集まる。立ち上がったクリスタがオミの両手を取って、足を傷めないよう配慮しながら立ち上がらせた。私のクリスタは今日も人に優しく非常にかわいい。おぶっていこうかと提案するサシャに、悪いし重いからと必死に抵抗するオミ。それを眺めていると、クリスタが私の横に並んできた。

「ふふ、ユミルは優しいね」
「またそれかよ」
「本当のことだよ」

 私は自分がサボりたいがためにあいつを利用しただけに過ぎない。にっこりと可憐に笑ってみせるクリスタのほうが、ずっと優しい。ふんと鼻を鳴らすと「素直じゃないんだから」と言われたので、サラサラの綺麗な金髪をぐしゃぐしゃにしてやった。オミとは違ってきゃあっと女の子らしいかわいい悲鳴が上がる。これだよこれ、オミもちょっとは女子力をクリスタに分けてもらえばいいんだ、ついでに食い意地の張った芋女も。走り込みをやめて集まってきたベルトルさんが心配そうにオミに声をかけている。きっとあいつはまた大丈夫だから気にしないでと言っているに違いない。そういう性格だ。慰めるようにベルトルさんの腕を撫でたオミは、私の視線に気付いてこっちを見て、にっこりと笑って手を振る。こっち見んなバーカ。べえっと舌を出す私の背中を叩いて、かわりにクリスタが手を振り返した。

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