関ヶ原の合戦―再燃―【本編】 /慶官慶 | ナノ
「――え?俺と?」

「まずいか?」

「いや、まずいどころか……」

 風来坊は酒気を帯びているからか、僅かに紅潮した頬にぱっと満開の笑みを浮かべた。

「――いやー、もしかして、そう言ってくれないかなってちょっと期待しててさ」

 ああ、そうだろうな。そんな気はした。

 わざわざ九州くんだりまで足を運んでおいて、ただ意味もなく酒を酌み交わしに来ただけなんてことは……まあ、こいつならないこともなさそうだが、少なくとも今回は違ったんだろう。


 ――三成と権現。

 そのそれぞれが小生の心に残した爪痕が、完全に消えてなくなることはないだろう。

 生涯、この記憶に留まり続け、この身体に刻まれ続け、小生の一部として存在していく。


 だからこそこれ以上、あの2人とのことを後味の悪い過去にはしたくはない……そのための話を、して来なくちゃならない。


――後ろを振り返らず、前に進むために。


 杯を置いた風来坊は、おもむろに膝立ちになってこっちに向き直ると、小生の凝りっぱなしの両肩に手を置いた。

「ありがとう!じいちゃんのこと助けてくれた官兵衛さんなら、俺の話もちゃんと聞いてくれると思ってたよ!」

 そんなふうに心底嬉しそうな笑顔を目の当たりにすると、なんとなく落ち着かない心持ちになる。

 風来坊の言葉に心を動かされたのは確かだが、まるっきり下心がないというわけでもない。

 風来坊に協力して東西両軍を牽制することで、漁夫の利を占める好機が来るかもしれないという考えもないことはない。

 天下が欲しい、という野望はまだ捨てたわけじゃないからな…。

 風来坊は、北条殿にあることないこと吹き込まれて小生を善人だと信じきっている様子だが……一応、言っておいてやったほうがいいか??

「……そんなに小生を簡単に信用していいのか? 土壇場でお前さんを裏切って、これ幸いと天下に名乗りを上げるかもしれないぞ? 第一、小生はお前さんが考えているほど優しくも、誠実な男でもないんだよ。
小田原の件だって、別に人助けじゃなく、色々と政治的な意図があってだな……」

「んー……よくわかんないけど、あんたが俺を騙そうとしてるなら、普通わざわざそういう話はしないんじゃないの」

「なっ……」

 思いがけず的を射た返しを受け、思わず言葉に詰まった小生に対し、風来坊はあくまでも笑顔を絶やさず口を開いた。

「――なんにせよ、まあ人間なんだし、たまに自分の欲に走ったり、間違えたりすることはさ……俺だってあるし、しょうがないことだって」

 しょうがない、と風来坊は言う。何でもないことのように、業の深い小生の「全部」を肯定する。

「そういう時は、きっと俺が全力で止めてやるよ――……だから、俺と一緒に来てくれよ」

 人生において失敗を繰り返し、何度も恋も失って、他人から愛される自信も、他人をちゃんと愛せる自信も失くして……どんどん心細いものになっていった小生自身の存在の価値を、ただ認め、必要としてくれる言の葉。

 ――不覚にも胸の奥が熱くなった。

 小生はもしかすると、ずっとこんな言葉を言ってくれるやつを求めていたのかもしれない……と。

 ざわざわと心が騒いだ。

 もう誰に対しても抱くことなどないと思われた感情が、ゆっくりと動き始めるかのように。

 おい。

 まずいんじゃないのか、これは。

「官兵衛さん……?」

 小生の変化に気付いたのか不思議そうに顔を覗き込みながら名を呼ぶ風来坊。

 改めて近くでよくよく眺めると、やたらと綺麗な顔をしている。

 そんなにじっと見るなって。

 そしていつまで肩に手を置いてる気なんだ、こいつ。

 いよいよ落ち着かない気分になり、視線を泳がせながら、あたりさわりない話題を探した。

「と、ところで……あれは一緒じゃないのか?この前連れてた……」

「え? あ、夢吉のこと? 大抵いつも一緒なんだけど、俺も孫市も留守にするって言ったら、なんか自分が留守番するってはりきっちゃってさ。雑賀衆のみんなを手伝ってるよ」

 ようやく手がどいたことに、なんとなく安堵する。

「なるほど、番犬ならぬ番猿か……」

 大して面白くもないことを呟きながら、ふと、そういえば風来坊は孫市のところで厄介になっているんだったな……と今更のように思い出した。

 そうなった因果も、この間茶を飲んだ時に聞いたし、あの孫市が……と驚きもした。


 小生が雑賀衆と同行していたのは一時だけだが、孫市がどういう人間かはそれなりに知ってるつもりだ。

 だから、風来坊を相当気に入っているのだろうということはわかる。

 風来坊は、結局孫市と恋仲にはなっていないと言っていたが……満更でもないんじゃないのか……?

 ただそんなことを思っただけで、胸がちくりと痛む。

 まさかこれは……嫉妬なのか?

 小生は妬いているというのか?

 ……。


 世の中が平和にならなけりゃ、安心して新しい恋も出来ないだろう――と風来坊は言ったが、そんなことはない。

 ほんの少し、運命に後押しされれば、どんな時にだって、恋はする。

 明日があろうとなかろうと。

 報われようと砕け散ろうと。

 出会ってしまえば、もうどうにもならない……。

「風来坊……」

 思えば酒の勢いもあったのだろう。

「……お前さんにひとつ尋ねたいことがあるんだが」

 後から冷静に考えれば、もっといくらでもやりようはあった筈だが、そんな程度の知恵も回らないほどに、強い何かが小生を動かしていた。

「ん……? なに?どうしたの?」

 無防備な笑顔を晒す風来坊に小生はゆっくりと、こう尋ねた。

「……風来坊、お前さんは今……」



【天】『まだ誰のものでもない、ということでいいのか?』 


【地】『孫市に、恋をしているのか?』 




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