関ヶ原の戦い―凶星―【後編】 | ナノ


関ヶ原の戦い―凶星―【後編】




――北条殿、達者にしているか?

おかげさまで小生は息災だ。
人の縁、世の巡り合わせは不思議なもの……あの時貰った書状に書かれていた言葉の意味を、近頃いよいよ深く実感している。

思えば、あの熾烈な籠城戦から一月になろうとしてるのか……もっとずっと昔のことのようにも思えるし、昨日のことのようにも感じられる。

……こうして時代は、止まることなく着々と進んでいくんだな。

時は穏やかに傷を癒し、どんなに酷い出来事だろうともやがては過去の思い出にしてくれるのかもしれない。

――だが、どうしても過去には出来ない、諦めきれないものが小生にはあるんだよ。

……一体、どうすりゃいいんだろうな……。


あの日、見失ってしまった大切なものは――まだ小生の元へは戻って来ないんだ……。



   ▲ ▽ ▲ ▽



「――いけねえ、官兵衛さん……ッ!あっちも陥とされちまった……!!」

「そろっと火薬も砲弾も底をつく……もう幾らも押し留められないかもしれないぜ……!!」

 確実に、終わりは近付いていた。

 白々と夜が明けゆく頃に怒濤のように流れ込んできた喧騒は、瞬く間に城全体を覆い尽くしていく。

 高く響く剣戟と、低く轟く爆音に包まれ、全てが軋み崩れて焼けていく様を目の当たりにしても、小生の心は何故か静かだった。


――ああ……こんなに派手に壊れちまったら……後で三成が、秀吉様の城が〜、とかなんとか喚き散らすぞ。

なんて言い訳をすりゃ、許してくれるのかね……。

 そんなことを思って苦笑しながら、小生は共に本丸に残ってくれた仲間たちを見渡して告げた。

「……お前さんたち、ここまで小生に付き合ってくれてありがとうな――もう十分だ、とっとと逃げてくれ」

「なんだよ、まさか独りで残ろうってんじゃないだろ?」

「そりゃまあ、今は小生がこの城の主みたいなもんだからな。早々逃げるわけにはいかんだろうよ」

 出来るだけあっけらかんと軽い口調で言ってやったつもりだが、連中は真剣な顔でにじり寄ってきた。

「おいおい、そりゃないぜ……逃げる時ゃ官兵衛さんも一緒だろうが」

「逃げようぜ、官兵衛さん。凶王の旦那だって、あんたにこの城と心中してくれ、なんて望んじゃいないさ」

 本当にいい奴らだな……小生のわがままに付き合った挙げ句、こんな酷い目に遭ってるってのに、恨み言の一つも言わずに最後まで小生を気遣ってくれるのか。

 仲間の気持ちは、泣きたいくらいありがたかったが――小生の腹は決まっている。


 三成……――小生は、お前さんを待つ。最期まで待ち続ける。

 待ち続けて、それでももしお前さんが帰って来なかったら……お前さんと添い遂げられなかった代わりに、お前さんの大切にしてたこの城と添い遂げてやる。

 それが小生の決意だ。

 ――だが、その決意に巻き添えなんざ不要なんだよ。


「――風切羽」

 小生が静かにその名を呼ぶと、はらりと黒い羽を散らしながら、中空から無口な忍が再び姿を現した。

 突然のことに、なんだなんだ?と騒ぐ連中をよそに、

「――やってくれ。この場にいる者、小生以外全員だ。よろしく頼む」

 小生がそう口にした途端、伝説の忍は微かに首を上下し、音も立てず素早く印を結んだ。

 結び終えたと同時に、轟音とともに強い風が生まれる。

「……ッ」

 舞い上がる塵から顔を庇って枷を眼前に掲げ、目を瞑る。

 やがて風が収まる気配を感じて目を開き、枷を下ろした時には小生は独りになっていた。仲間たちも、風切羽も、もういない。

 名残の一羽がふわふわと舞い降り、足元に落ちる。

 小生はそれを拾い上げ、懐にしまっていた書状に挟み、しまい直した。

「――すまんな、北条殿……」

 開城を促す書状には続きがあった。

 たとえ開城を受け入れなくとも、後からいつでも逃げられるように風切羽は貸しておく、好きに使うといい――と。

 風切羽が連れ帰った面子に小生がいなくて、北条殿は落胆するかもな……だが、おかげで後味の悪い幕切れにならなくて済んだ。本当に、助かったよ。


 ――小生の人生、最期まで負けっぱなしだったが……だが、いい出逢いにだけは恵まれたほうだったかもな……。

「さて、と……後はただ、待つだけだな……」

 独りごちながら、かつて穴蔵の中で思案する時にそうしていたように、小生は鉄球の上に静かに腰を下ろした。

 外の喧騒はじわじわと近づいてきている。

 兵が雪崩れ込むが早いか、炎がなめ尽くすが早いか、あるいは壁が崩れ落ちるが先か――それとも……。

 目を伏せ、重く冷たい戒めを見やる。

「――三成……やっぱこいつはどうにも邪魔だ……早く外してくれよ……頼むから……」

 不意に溢れ落ちた一粒の雫が、枷を濡らした――。



   ▲ ▽ ▲ ▽



 今も枷の木枠には、あの時の染みが残っている。煤や泥は洗えば落ちるのに、これだけは何故か、いくら拭っても駄目だったな……。

 深く溜め息をつき、小生は筆を置いた。
 慣れちゃいるが、枷をつけた手で書き物をするのはやはり肩が凝る。

 ――あの日、大坂城はあっけないほどの早さで落城し、跡形もなく燃え尽きた。

 だが小生はまだ、こうして生きている――結局あの城と添い遂げることは出来ず、忌々しい枷ともおさらば出来ないままに……。


「……ッ」


 ――畜生……。


 なぜじゃ……。


 お前さん、約束したじゃないか……。

 戦場から戻ったら、この枷を外してくれると……それを小生は信じてたんだぞ……ずっと……ずっと……。


――信じて、待ってたんだぞ……?


――……なんでこんなことになっちまったんだ……小生は、一体これからどうすりゃいいんだ……。


「――……三成の、大馬鹿野郎め……」


「――聞こえているぞ、官兵衛」


「おうおう!!聞こえるように言ってやったんだよ……小生の、大切な、大切な鍵を無くしやがって……ッ!!」



   ▲ ▽ ▲ ▽



「別に気に病む事はないだろう。貴様にはその枷がこの上なく似合っている」

「あーのーなー……まったく、お前さんって奴は……」

 呆れたように目を半眼したかと思えば、不意に微かな笑みをたたえる。

「……ま、お前さんが今ここに居てくれてる幸せの代償って奴なのかもしれんが、な」

「――官兵衛……」

 手を伸べ、顎を引き寄せて、口付けた。

「ん……ぁ……」

 貪りながら衣の裾に空いていたほうの手を潜らせ、脚を撫でる。

「三成……ッ……まだ昼過ぎで……」

「――黙れ、貴様が悪い」

 言葉一つ、微笑み一つで私の中に毒を流し込み、狂わせる。

 貴様が全ての元凶だと知れ――邪で、されど目映い……私の、凶星――。

 あの日、燃え堕ちる城郭からこの男を連れ出すことが出来なかったら――恐らく私は毒に喰い尽くされ、正気を保ってはいない。

 常々「悲嘆は許可しない」と言っていたにも関わらず、崩れかけた本丸の中心で項垂れ泣いていた官兵衛を見つけたあの瞬間でさえ、胸が焼け焦げる思いがしたというのに……。

 畳の上に組み敷き、帯を解き、前を寛がせて、さらけ出した肌にくまなく触れ、口付けを落としていく。

「あ……駄目……だ……傷、開く……から……ッ……!」

 枷と共に伸ばされた手が布の上から私の脇腹を撫でる。

「傷?そんなものはもう癒えた」

 一月前に受けた刀傷――あの時私は、死を覚悟した。死しても尚、彼の地を目指すと覚悟したのだ。

 半ば捨て身で挑み、あの場にいた敵を討ち倒すことは出来たが、その直後に地に倒れ伏した私は、束の間彼岸を漂った。

 朧気な意識の中で、私の肉の器はこの地に朽ちるのだと、そう思った時――


――案ズルナ……ヌシハ、生キル……


 ――そう囁く声が聞こえ、柔らかな光に包まれたような気配を感じた。

 やがて目を覚ました時、この身を蝕む苦痛は急速に和らいでいた……立ち上がり、見上げた空を覆う雲はいつの間にか流れ去り、私の眼前に目指すべき場所が見えた――。

――あれは、恐らく……。

「ッ……み、つなり……ぃ」

 追い上げられ、ようやく拒絶を諦めたらしい官兵衛は、淫らがましく腰を揺らし、更なる刺激を請う。

 私はとりとめない思考を一度中断し、両脚を大きく開かせ、勃ち上がりかけた雄にしゃぶりついてやった。

「っ……ひ……ぁ」

 強弱をつけて吸い扱いてやると、短く悲鳴を上げながらあっけないほど早く達し、吐精する。

 口内に出されたそれを舌を使い、後孔に塗り込める。

「あ……ぁ……ッ」

 悦び、収縮を繰り返すそこを舌先で抉り、ほぐしていく。

「っ……ぅぁ……ぁッ」

 奴は大きな体躯をくねらせ、嬌声をほとばしらせる。今しがた絶頂を迎えたばかりの陰茎も再び屹立し、このまま尻を舐めるだけでまた達してしまうのではないかというほど、止めどなく透け色の蜜を溢れさせる。

「っぁ、ぁ……も……入れて、くれよ……ッ」

 まるですがるように、まだ衣を纏ったままの私の下腹に手を伸ばし、熱を帯びたそこに触れてくる。
 秘孔から舌を抜き取り、奴に覆い被さりながら囁く。

「――欲しいのか、私が」

「ん……欲し……ぃ……早く……早く、くれ……!」

「淫蕩な僧もあったものだな……如水」

「……や、めッ……官、兵衛……が、いい……お前、さ……には……」

「――官兵衛、私を受容しろ……」

 下帯を緩め、取り出したものを宛てがうと、待ち詫びていたように枷で繋がれた手が私の背に回された。

「……三、成……!」

 私の名を呼ぶ声、伝わる胸の拍動、通い合う熱を通し――こうして何度も確かめたくなる……まだ貴様と私の生命が、今生での縁が断絶されることなく、継続しているということを――。



   ▲ ▽ ▲ ▽



 ――我が技量、覇王の後継を自負するには遠く及ばず……私は秀吉様よりお預かりした兵も、城も、領も……何一つ守れずに、失ってしまった。

 残ったものはこの身一つと、私のかき抱くこの男だけだった。

 西軍総大将「石田三成」と、その軍師「黒田官兵衛」は大坂城と命運を共にした――と、巷では信じられている様子だ。恐らくは何者かがそう喧伝しているのだろう。

 私とこの男に追討の命令が下されないことを望む誰か――或いは……下す立場の者なのかもしれないが、今更そんなことはどうでもいい。

 官兵衛は自らの身を僧と偽り、京の都の外れに庵を結んで引きこもっている。
 他を欺くなど私の好むところではないが、あまりにも目を引く容貌故に、人目に触れられないのだからやむを得ない。
 そうなれば当然私が表へ出て動く他無く、私がこの男の小姓だと誤解している者が多いのが不本意この上ない……。

 だがもうそれもいい――全て失い、最初に戻っただけだ。またここから歩き出せばそれでいい。

 ――私の心は折れていない。豊臣の描いた未来を掴み取る日まで、私は何度挫かれようと刀を取る。

 私と、その半身とが生き続ける限り、何も終わりはしない。


 ――かつてはあのお方も、何一つ持ってはいなかったのだ。かけがえなき半身を除いては……。


「――官兵衛」

「ん……?」

 行為後の微睡みに包まれ、私の傍らで眠りに落ちかけている奴の、以前より少し短くなった髪を撫でながら、その耳元に問い掛けた。


「――まずは、何を目指す……?」


 奴は気だるげに欠伸をかみ殺しながら私を見やり、答えた。

「決まってるだろ……鍵だよ、鍵、鍵、鍵。一にも二にも三にも鍵なんだよ……!」

「――訊ねた私が愚かだったな……」



 この身を導く星は、不吉な凶つ星……だがこの愛しき凶星が、永劫にこの腕の中で瞬くことを、心から願う――。


――……官兵衛、私は貴様を、ひたすらに、愛している。






《終》



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