関ヶ原の合戦―水月― 認めざるを得ない。 奴を枷から解き放ったことは、私の最大の過失だったと。 「――貴様……いい加減離れろ」 「……傍に居ると言っただろう? お前さんもそうしろと言ったじゃないか」 大坂に舞い戻ってからというもの、この男は四六時中このような調子だ。呆れ果てて物も言えない。 「――朝から晩までずっと腕に抱いていろ、などと言った覚えはない……」 「――堅いこと言うなよ、嫌じゃないんだろ? 三成……」 まるで見透かしたような言の葉を口にし、にたにたと気色の悪い笑みを浮かべながら、奴は――官兵衛は、慣れた仕草で私の唇を塞いだ。 「……ん……ッ」 ――拒絶出来ない。 舌を絡め取られ、強く吸われると脳髄が焦げ付く。 思考が、霧散しそうに、なる……。 「っ……ふ……ぁ……ッ」 ――これは背徳……なのだろうか。 あのお方を喪った日から、仇敵たるあの男を断罪し、討ち果たす――ただそれだけが私の生の目的となった。 故にこの胸の内には尽きせぬ憎悪のみが残留し、その他の感情は残らず死滅した――そう思っていたのだ……。 だが、私は……。 ――小生も、不要なのか……? ――所有物ですらなくなったのか? 小生は…… あの時、気づいてしまった。 憎悪以外の感情が、まだここに潜んでいたことに――。 ▲ ▽ ▲ ▽ 「……なッ……貴様ッ、離せ……!!」 無我夢中で、突き放そうとした。 力いっぱい目の前のぶ厚い胸板を殴り付け、逃れようとしたが、官兵衛は顔をしかめながらもけして私を解放しようとしない。 何故そんなにも必死になる――そんなに私を堕落させ、失墜させたいのか。 愛という惰弱の、その腐敗した沼底まで引き摺り込まれ、私が溺死すれば満足なのか。 「――愛じゃ駄目だってんなら、そうじゃなくていい……痛ッ」 獣のように肩口に噛み付いてやった――だが、その歯牙さえも許容し、奴は尚も私を説き伏せようとする。 「所有物でもなんでもいい――お前さんに都合のいい存在で構わんよ……だから……こうしてお前さんに触れさせてくれ。側にいさせろよ……」 ――貴様は救いがたい馬鹿だ。 「……っ……」 ――そんな言葉1つで容易く覆すな……。 今日までの私の自戒を。忍耐を。節制を。憂慮を。 ――……寂寥を。 「……官、兵衛……」 こんな男の口車に乗せられてどうする――そう自らを断じる理性に耳を塞ぎ、しなだれるように身を委ねた。 「ん……ッ」 待ち兼ねていたかのように直ぐ様与えられた深い口付けに震撼する。 身体の奥深くに火を灯すが如く激しく、しかし同時に微睡にも似た安息をもたらす、その懐かしい感触――官兵衛を南に追放したあの日、もう二度とこんな形で触れ合うことはないのだと思ったのに。 唾棄すべき悪しき情動も、嫌悪すべき浅ましき肉欲も捨て去り、何も知らなかった頃に戻れると信じた。 ――苛む寂寥も、いつかは跡形も無く消失すると、そう思っていたのだ……。 「……ぁ」 不意に水音を立てて離れた唇を惜しむように、微かに洩れた消え入るような声音が己のものとは思えなかった。 ――だが自覚はしている……。 まだこんなものではまるで足りない……満たされるどころか、餓えも渇きも酷くなるばかりだ……呆れ果てるほどに貪欲に、なっていく。 「――この枷、外しちゃくれないか……このままじゃ続きをするのが大変だからな……」 「っ」 囁かれた言葉に、心臓が跳ねる。 抑制出来ない期待にざわめく体を預けたまま、私は瞑目した――。 ▲ ▽ ▲ ▽ 「――考え事とは随分余裕だな」 「っ……」 不意打ちに耳朶にしゃぶりつかれ、ぞくりと波が走った。 「房事を共にする時くらいは、目の前の小生のことだけを考えてほしいもんだがね……」 まだ日も高いうちから獣のように発情し、一方的に組み敷いておきながら、不遜な言を繰る男をいくら睨み付けようと、最早無意味だ。 「――誰のことを考えてた……?」 「っ……」 神経の集まった箇所ばかりを執拗に刺激しながら、詰問を投げ掛けてくる。 「秀吉か……?」 首筋。 「半兵衛か……?」 胸。 「刑部のことか……?」 内股。 「それとも、権現か……?」 下腹。 嬌声など洩らさぬように息を殺しながら、首を左右にした。 「なら他に、気になる男でも出来……ッ、痛ッ……!」 膝頭で奴の腹を蹴り上げてやった。 ろくに力の入らない脚でもそれなりに効果はあったと見え、少しばかり溜飲が下がる。 この男は私をどんな目で見ているんだ――思えば、あの時もそうだった。 ――ほら、両手が使えたほうがいいだろう? ▲ ▽ ▲ ▽ 「前より感度が良くなったんじゃないのか……?」 「うるさ……ぁ……ッ」 硬く尖り出した胸の中心をきつく責められ、一瞬息が出来なくなった。 奴を罵倒しようとした口から溢れたのは、耳を覆いたくなるような淫らがましい艶声――羞恥に身を焼かれる私を面白がるように責め続けながら、官兵衛は耳元に更なる言葉を吹き込む。 「小生がいない間に、誰かにココを吸わせてたんじゃないだろうな……?」 「な、馬鹿か……そんなわけが……っ」 羞恥以上の灼熱が沸き起こった。 他人に肌を許したなどと、そんな疑惑をこの男に欠片でも抱かれることは我慢ならない。 途端、視界の外で官兵衛がにやりと笑んだのがわかった。 「そうか――つまり小生に操を立ててくれていたってことだな」 「っ……自惚れるのも大概に……ッ……んぁ……」 身体の中心に息づくものを直接握り込まれ、またしても私の反論は強制的に中断させられた。 「ん……」 ただ徒に欲情を煽る緩慢な刺激に焦れて、勝手に腰が揺れる。 次々と水滴を滲ませ、官兵衛の手を汚していくそれを見ていられず、両目を閉ざした。 だが視界を封じることで更に感覚は鋭敏になっていく。 緩慢で継続的な悦楽に頭の中がぼんやりと霞み出した頃に、ぬるりと滑るものが後孔に触れたのに気づき、思わず目を見開いた。 「っ」 すぐさま頭を引き寄せられ、また唇を奪われた。 「ふ……ぁ」 口付けに気を取られ、気が緩んだ瞬間に後孔に宛がわれた指が侵入を開始した。 挿入の感覚は、私の感情を不安定に波立たせる。 かつて苦痛しか生まなかったその行為が、いつからか快楽を呼び起こすものへと変じた。 「っ……ぁ」 私自身ですら知ることのない私の内部を、何もかも掌握したように動く指。 「は……ぁ……ッ」 いつの間にか自由になっていた唇からはだらしのない声が垂れ流され、もう触れられてもいない昂りが更に熱く猛り、号泣するように蜜をあふれさせる。 こうしていると、私が私ではなくなっていくような、何者かわからなくなるような不安が押し寄せる。 「……三成……いいか?」 すぐ傍らで私の名を呼ぶ声だけが、私が何者かを教えてくれた。 「――ちゃんと善くしてやる。善くなかったら途中で止めてもいい」 何を言われているのかもうよくわからなくなってきていたが、身体の向きを変えさせられ、声の主が目の前に現れたことに微かな安心を覚えた。 「っ……ぁ」 片脚を上げさせられ、さらけ出された秘所に熱が押し込まれる。 「く……ッ……ぅ」 溺れる者が藁を掴むように、すぐ傍の腕を必死に掴む。 「っ……ひっ……ぁ」 奥までねじ込まれた熱が、抽挿を始める。 「あ……ぁ……」 突き上げられる度に目の前に火花が散り、抜けるギリギリまで腰を引かれる度、甘い快感が満たしていく。 「あ……ぁ……んッ」 思考は完全に停止していた。 五感にくまなく与えられる快楽が私の全てとなり、私自身と、私を抱くこの男の存在以外何も感じられなくなる。 だが不意に、際限無く快楽を送り込む熱源がその動きを静止させた。 「……ん……?」 何故止めるのだろう、と目の前の男の顔を見やれば、髪を撫で付けられた。 「――どうする?止めるか?……続けていいのか?」 何故そんなことを問われるのかまるで理解出来なかった。 ――止めて欲しいわけがない。 「――もっと……私に……官兵衛……」 官兵衛、とその名を口にした途端、更なる疼きが内から沸き起こった。 ――そうだ……今私を穿っているのは、官兵衛……貴様なのだな…… 確かめるように締め付けた途端、更に熱が膨張するのを感じた。 「うっ……くっ」 官兵衛は低く呻くと、私の体を抱え直し、また行為を再開した。先程までと比較にならない激しさで。 「ひっ……ああぁッ……っ!!」 揺さぶられ、抉られ。 「あ……あ……ぁあ……っ!!」 ついに臨界に達した私の奥に、奴もまた欲の迸りを放った。 心地よい微睡から覚めるように急速に覚醒していく理性を、今一度眠らせようとするように口付けが施された。 「ん……ふ」 まだ終わりはしないのだ、この熱情の宴は……互いに力尽きるまで――。 ▲ ▽ ▲ ▽ 「疚しいことがあるのか」 そう突き付けてやると、官兵衛は思いきり虚を突かれた間抜け面を私に晒した。 「え……?」 「貴様の身に覚えがあるから、私に対し疑心を抱くのだろう」 情交を終えたばかりで、まだ後始末も何も済んでいない体を横たえた私は、傍らに添い寝し、肘枕をついている奴を睨んだ。 官兵衛は嘆息する。 「……そうかもしれないな」 先程まで私を好き勝手になぶっていた手が、ひどく躊躇うようにそっと私の髪に触れた。 「……お前さんと離れていた間、ずっと清い身でいた、とは言えない」 「――貴様のような堪え性の無い俗物に、節操など期待していない……だが私まで貴様と同様に思われては甚だ心外だ……」 そう言って背けようとした顔を掴まれ、いきなり口付けを落とされた。 「……ああ、すまなかった」 こうも素直に謝罪されると調子が狂う。 「……解ればそれでいい。だがこれより先は、一切の裏切りを許さない……それだけは覚えておけ」 「おう、肝に銘じておくさ」 ――本当は、理解している。官兵衛が不安を抱く理由は、疚しさだけではないということは……。 私と奴との繋がりを、示す言葉が何もないからだ。 私の傍に留まる替わりに、永久に封印された言葉。 それを口にして伝えることも、確かめることも許されない――だから、貴様はそんなにも落ち着かないのだろう……? 私はあまり力の入らない手を伸ばし、官兵衛の手首を掴んで引き寄せた。 「――貴様は私の物だ……私だけの……」 唇をきつく押し当てて、失われた枷の代わりとなる「執着」の証を与えた。 私が貴様に示せるものはこれだけだ。 「――ああ、わかってるよ……三成」 満足気に笑う官兵衛の姿に、私もまた、確かな充足を覚えていた――。 《終》 ★戻る★ ★Topへ戻る★ |