関ヶ原の合戦―再燃―【序】 小生が秀吉と半兵衛の墓参りにやって来たのは、気持ちのいい風が吹き抜ける、とある秋の日だった。 きっかけは、ほんの思い付きだった。 何かこれといった理由があるわけでもなく、ただ何となく思い立ったのさ。 久々に、あいつらに顔を見せに行ってみるか――と。 なんせ自分の意思で自由に動き回ることの出来ない、九州の地に繋がれているも同然の日々を送っていたもんだから、これが、秀吉が半兵衛の元へ逝ってから初めての墓参りになっちまった。 せっかちな小生の片割れは「遅いじゃないか、僕たちを待たせないでくれ」と嫌みを言うだろうか。 それとも今は時間に急き立てられる焦燥から解放されて、無二の友とのんびりやってんのか。 そしてその友は――秀吉は、今のこの国を見て何を思うのか。 質素な花を手向け、手を合わせ、 「――お前さんたちが目指してた理想とは大分違うだろうが、まあしょうがないと思ってくれ。時代は生きてる奴が作ってくもんだからな……」 静かに一言そう声を掛けて、短い再会は終わった。 くるりと踵を返してとって返そうとした時、ちょうど入れ替わりにこちらに来る人物があるのに気付いた。 それは墓場にはちょいとばかり場違いな派手派手しい身なりをした男で、あまりにも目を引くもんだからつい不躾にじろじろ見ちまった。 だが、それはどうも向こうも同じだったらしく、鉄球付きの枷で両手を戒められ、格好もお世辞にも身綺麗とは言えんだろう小生に、不思議なものを見るように視線を投じて来た。 そして。 「よっ、こんちは。兄さんもそいつらの知り合いかい?」 懐っこい笑顔で、意外なほど気さくに話し掛けて来た。 ――それが小生と、「風来坊」との出会いだった。 偶然の、と呼ぶには色々出来すぎたそれはもしかすると、「導き」だったのかもしれない。 小生を、何にも代えがたい、たったひとつの「恋」へ至らしめるための――。 ▲ ▽ ▲ ▽ 「まさか、お前さんが噂の風来坊とはな」 「ヘへ、音に聞くよりいい男でびっくりしたかい?」 誘われるまま茶店の店先に並んで座って、団子なんぞ食らいながら茶を啜り、小生らはようやく互いの名と身の上を明かした。 この派手な男の名は前田慶次、つい先日雑賀衆を率いて関ヶ原の戦場に乱入し、天下分け目の大戦を少々手荒に仲裁したという、文字通りの傾奇者だ。 おかげで東軍・西軍ともに一時撤退を余儀なくされて、今や完全に休戦状態だ。 まあそのお陰で小生は、両軍の混乱に乗じてこんなふうに好き勝手出来るわけだが。 風来坊はだんごを一粒指で串から抜いて、肩に乗った小猿にくれてやりながら口を開く。 「俺も北条のじいちゃんから、官兵衛さんの話よく聞いてるよ。じいちゃんの大恩人で、キレ者な上に、仏様みたいに情けの深い兄さんだって」 「そいつは買い被りだな、確かに小生はキレ者だが、別に神でも仏でもない。北条殿は大袈裟に物を語り過ぎなんだよ」 「そりゃま、確かにそういうとこもあるよ。でも、俺の見た限りじゃあ、あんた本当に気のいい人みたいだけど?」 「は、あまりそうは言われたことがないがね」 首の後ろがくすぐったくなるような評価を笑い飛ばして、湯呑みに口をつける。 渋めの茶を味わいながら、前田家の風来坊が秀吉や半兵衛と旧知だって話も小耳には挟んだことがあったが、あの連中とは随分ノリが違うな……などと考えていると、 「でさ、官兵衛さんには、いい人はいるの?」 なんてことを何の脈絡も無く問われて思わず軽く噎せた。 「げほッ……はぁ?」 「聞かせてほしいなぁ、官兵衛さんの恋の話をさ!」 「こ、恋?」 「そうそう!官兵衛さんほどの色男なら、惚れた相手も、惚れられた相手も数知れずだろ?」 何がそんなに楽しいのか目を輝かせる風来坊の肩で、小猿まで楽しそうにキキッと高く鳴いた。 「恋……か」 一人と一匹の期待の眼差しに押しきられ、思わず口をつく。 「そりゃ無いことも無いが……」 「恋の話」――小生が頭の中に最初に思い描いたのは、今までの人生で一番最悪の「恋」だった。 ▲ ▽ ▲ ▽ 「ん……」 どちらからともなく舌を差し出し、絡め、口付けを深くする。 深さが増すほどに、背に回された細い両腕が痛いほど締め付けてくる。 息を使いきるまで口付けを続け、ちゅ、と湿った音を立てて唇が離れると、心地好さそうに閉じられていた切れ長の瞳がゆっくり開いた。 「――これで、貴様は私の所有物となった」 「……あのなぁ、どうせならもっと色気のある表現にしてくれよ」 思わず苦笑する小生を、むすっとした顔で睨みつけてくる。 「……知るか。そんなことより、もう一度だ」 「……はいはい、わかったわかった」 再び始まる激しい口付けを受け入れながら、小生は、締め付けてくる腕と同じ強さで抱き返した。 たった今しがた、「恋仲」になった男を。 あちらに言わせりゃ小生は恋人なんかじゃなく、「所有物」だそうだが。 だが物欲が薄く、私物らしい私物をほとんど持たないこの男にとっての「所有物」が、どれほど特別なものか――そこは、わかってやってるつもりだ。 そうじゃなかったら、こんな男を選ぶわけがない。 最初のそれより気持ち長くなった口付けの終わりに、細くて白いが、女のそれとは違う筋ばった手を握り締めた。 「……三、成……」 荒くなる呼吸の狭間にこの手の主の名を呼んだ。 もはやこのままでは済まないだろう、互いの体の熱をどうするかの算段をつけるために――。 ▲ ▽ ▲ ▽ 「――こいつと生涯添い遂げるのも悪くないか、と考えた相手ならいたことはいた」 「へえ、そんなにいい女だったのかい?」 「まあ……な。色々厄介な性格の持ち主だったが、少なくともあの頃の小生にはそう思えていた」 女じゃないけどな、と心の中で呟きつつ、小生は自嘲に口許を歪めた。 「――あんな最低な別れ方をするまではな……」 「ありゃ、捨てられちゃったのかい?」 おどけた調子で問われた言葉があまりにも的を射ていておかしくなった。 「ああ、捨てられたのさ」 喧嘩は多かったがそれなりにうまくやれていると、そう信じきっていたある日、突然態度を一変され、冷たく突き放され、挙げ句枷を付けられ、九州に追放された。 理由を問い詰めても主君への不敬が目に余るからだ、斬滅されないだけありがたいと思え、としか言わなかった。 なぜ今更? 小生の性分などわかりきった上で求めたんじゃなかったのか――到底納得がいかなかったが、納得するしかなかった。 小生はあくまでも「所有物」でしかなく、所有者にとって不要な存在となれば、あっけなく捨てられる他ないのだと。 「そっかそっか、わかるよ、うん」 びっくりするくらい軽い口調で同情を示しながら、馴れ馴れしくぽんぽん肩を叩いてくる風来坊。 「そりゃあ、さぞかし辛かったろうね。その頃あんたとともだちになれてりゃ、憂さ晴らしでもなんでも付き合ってやったんだけど」 その言い方だと、今は小生と「ともだち」という認識なんだろうか? ついさっき初めて会って幾らも経っちゃいないってのに。 どうにも変わった奴だ。 「――まああの時は、流石の小生も『二度と恋なんか』と思ったりしたもんだ」 「けどそうは思っても、気がつきゃまた火が着いちまうのが恋ってやつだろ?」 「――ああ。まさに、それだ」 ▲ ▽ ▲ ▽ 「三成の代わりと言うならそれでもいい」 真剣な顔つきで、枷の付いた小生の手を取り、権現は力強く告げた。 「ワシは、お前を――官兵衛を心から愛す」 あまりにも真っ直ぐな物言いに、何と返していいかわからず押し黙った小生を、権現は急かすでもなく静かに見守る。握った手はそのまんまで。 あったかい手だ。さながら日溜まりのように。 何もかもを失い、自分の想いの行き場すら見失っていた日々の中、三成の目を盗んでは足しげく九州まで通い、励ましてくれていた権現に救われてきた。 好意を抱かれているのも察しはついた――だが、いざ面と向かって告白されると動揺しちまうもんだな……。 小生はたっぷり考えてから、一番今の自分の気持ちに即した答えを導き出した。 「三成の代わりとは思わない……だが小生に、お前さんほどの気持ちがないのは確かだ。それでもいいのか?」 「構わない――お前にとってかけがえない存在となれるように、これからワシが努力すればいいだけだ」 優しく笑い、妙に恭しい仕草で小生の手に口付ける。 「ワシはお前だけを一生愛し続けると誓う――お前はまだ誓ってくれなくてもいい。ただ、出来ればひとつだけ約束をしてほしい」 「約束……?」 反芻すると、権現はそうだ、と首を上下して見せた。 「――何があってもワシを、ワシの想いを信じてくれ。それだけでいいんだ……」 ▲ ▽ ▲ ▽ 「なるほどー、捨てる神あれば拾う神ってね。その人とはうまくいったの?」 「……」 「まさか……また捨てられた、とか?」 気の毒そうに声音を落とす風来坊に、小生は首を左右してやった。 「いや……どちらかと言えば、捨てたのは小生だな」 秀吉を討ち、豊臣から追われる立場となっても欠かさず送ってきていた権現からの文に、小生は返事を書かなかった。 東軍に迎えたいと言う権現の誘いをひたすら黙殺し続けた。 理由は権現が嫌いになったから、じゃない。 徳川を陥れる計略――四国攻めの命令を拒めず、小生は権現を裏切った。 権現はそれを、未だ知らないままだ。 真実を知られることも、偽り続けることも耐えられない――そんな小生に、権現と幸せになることなど許されないだろう。 「……ごめん、あんまり話したくないことだったみたいだね」 晴れ空のような笑顔を打ち消して項垂れる風来坊に、小生は、 「終わった恋のことだ。今更どうということもないさ」 そう言って笑って見せた。 だが言葉とは裏腹に、突然呼び戻された過去の記憶が、その痛みが、胸の内に重くとどまったような気がしていた。 こいつは笑えるな――まだ未練があるみたいじゃないか。とうに過去になってしまった恋なんぞに。 風来坊は、この上なく重い空気を察してか、何か別の話題を探すように「えーっと」と呟き、せわしなく視線を巡らせた。 意外に他人に気を遣う質なんだな、と思いながら湯呑みに残った茶を一気に煽った刹那、 「あ。そういやあんたは最近、家康か三成さんと会わなかったかい?」 「!! っく……ぐぇほッげぼッ……」 今度は盛大に噎せた。「どうした?大丈夫?」と小生の背中をさすりながら、風来坊は言葉を続けた。 「実はあの2人が性懲りもなくまた戦の支度をしてるって情報があってさ。まったく……恋の炎なら何度燃えてもいいもんだけど、戦の火なんてもうたくさんだよ」 小生は数度咳払いし、喉の具合を確かめてから口を開いた。 「……また止めようってのか?」 「ああ、もちろんだよ。平和になんなきゃ、あんただって安心して新しい恋を探せないだろ?」 新しい恋――風来坊の言葉にまた胸の奥がざわついた。 小生に、新しい恋など出来るだろうか……? いまだ塞がりきらない傷を抱え、そこから目を背けたままで――? 《続》 ★戻る★ ★Topへ戻る★ |