ホットワイン







 ホテルを出れば、ひんやりとした空気が肌を撫でる。彼に抱かれて、未だに火照っている体には丁度良い。目を細めて空を見上げれば、いくつかの星が瞬いている。
 今にも消えてしまいそうだ、と思った。汚れていく度、肉眼では見えなくなる星達。私と同じだ、とも思った。抱かれる度に、私の本当の心は見えなくなっていく。
 最初は軽い気持ちだった。お互い、体だけの関係だと割り切っていた。それなのに、いつからだろう。快楽だけに身を任せることが出来なくなったのは。最中は良くても、その後に後悔して切なくなる。


「じゃあな。また連絡する」
「うん」


 暗くて良かった。きっと醜い顔をしているだろうから。痛む胸を無視してそれぞれ別方向へと歩き出す。人気のない夜道にヒールの音が響く。少し歩いてから振り返れば、背広姿が遠くに見えた。迷いなく真っ直ぐ去っていく彼に、泣きそうになった。


「…私って、こんなに臆病だったっけ」


 点滅する電灯の下、呟いた声に反応したのは一匹の野良猫だけ。嘲笑うかのように尻尾を揺らして、ぶち模様をしたその猫は姿を消した。
 私には、気持ちを伝える勇気なんてない。言ったら最後、この関係に終止符が打たれる。それを分かっていて言えるわけがない。唯一繋がれた細い糸を断つことなんて出来ない。だから、連絡を待っている自分がいる。浅ましいと思っていてもどうすることも出来ない。


「都合の良い女、かぁ」


 彼の、私に対する認識はそんなものだろう。自分で言っておいて辛くなった。頬を熱いものが走る。止める術なんて知らない。再びヒールを鳴らしながら歩き出す。
 ホテルで化粧直ししたけど、意味の無い行為だったと気付く。私の顔は酷いことになっているだろう。アイラインとマスカラで黒く染まった涙。ウォータープルーフにしておけば良かった。化粧は剥がれ落ち、私を丸裸にする。
 無性に大きな声を出して泣きたくなった。周囲の目を気にせず、癇癪を起こした子供のように。けれど、それさえもする勇気を持ち合わせていない。堂々巡りだ。


「…好きです、喜一さん」


 行為時でさえも呼ぶことの許されない彼の名前を、舌の上で転がした。溢れる水の量が増す。ああ、水分補給しなきゃなぁ、なんてわざと見当違いのことを考えてみた。

 家に帰ったら、ワインを飲もう。赤い、情熱の色したワインを。温めよう。ホットワインにするんだ。彼に貰った熱を忘れないように。
 そして明日になればまた、携帯を握り締めて仕事をしながら待とう。彼との愛の無い関係を。






 こんなに愛しくなると分かっていたなら。

(最初から会わなければ良かった、なんて馬鹿げたことを言ってみようか)





*確かに恋だった(http://85.xmbs.jp/utis/)様より
選択「抱きしめてみたらいいのに」から一題
「こんなに愛しくなると分かっていたなら」

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