幸せでした2 宣告から三日後、散歩をしていた俺の視界に薄紅色の何かが横切って、何だろう、と見上げた。 そこには満開になった桜の木があった。 ザァっと風が巻き上げるのに身を任せる花びら。前の俺ならば、きっと綺麗だなぁ、で終わっただろう。だけど、今の俺には寂しさが残った。 「…っ」 目元が熱くなって、堪えられなかったものが零れ落ちた。散ってしまうんだ。この桜も俺も。来年も見れるのだろうと思っていた。出来れば、愛しい彼と見たかった。「綺麗だな」と二人で見上げて笑いあいたかった。 春には花見をして、夏には一緒に浴衣を着て花火大会に行って、秋には紅葉を見て、冬には二人で白い吐息を吐きながら手を繋いで。まだまだしたいことはたくさんある。けれど、俺にはもう出来ない。もう出来ないんだ。一緒にいることすら出来ない。とめどなく溢れる涙。きつく目を閉じてやり過ごす。 「決めた」 もう、涙はいらない。俺は、決意した。けりをつけよう。 Purrrrrrrrr… 携帯を取り出して、彼を思い浮かべて電話をかける。 『―――なに?』 「あのさ、俺ら別れよう」 『は?』 「俺なんかと付き合ってくれてありがとな。ありがとう」 『ちょ、』 「俺、愛してたよ。本気で好きだった。浮気されたときも、相手女だったからその方が将来的にお前は幸せなんだろうなって思ってさ。諦めようと思ったんだけど、俺、やっぱり好きだったから諦められなくてさ」 『………』 「女々しいよなぁ。だって好きだったんだ。…愛してたんだ。これだけは最後に言っておこうと思って」 深く息を吸い込んで。 「愛してた。いや、愛してる。ずっと今も、これからも。幸せになってくれ。その権利がお前にはある」 電源ボタンを躊躇うことなく押す。彼が何か言っていたような気もしたけど、もう何も聞きたくなかったから。 ふ、と息をつく。珍しく緊張していたらしかった。久しぶりに聞いた彼の声は、やっぱり前と変わらなかった。それが嬉しくて、悲しかった。 もう、彼の声を聞くことも、姿を見ることも叶わないのだろう。それは、一生、だ。俺の一生ももう少しで終わる。この桜と同じように。 入院しなかったのは、最後の我侭だ。病院でじゃなくて、自然に死に絶えたかった。それが自然の理(ことわり)だから。 というのはきっと言い訳だろう。ただ、期待したかった。最後くらいは、この世から俺がいなくなる時くらいは、彼を見たかった。 この耳で、彼の声を。(聞いて) この口で、彼の名前を。(呼んで) この目で、彼の姿を。(見つめて) この手で、彼の肌を。(触れて) この身体で、彼の温度を。(感じて) 焼き付けたかった。 それも、もう叶わないのだろう。そんな奇跡が起きるわけがない。俺は自嘲する。 ←|戻|→ . |