▼ 030
「痛いですよ、マイコさん」
「…何で平気なのよ」
「平気でもないですよ」
ほら、と吐き出した血に塗れた掌をマイコに見せる。割と、というかかなり本気で魔法をぶっ放したのにも関わらず、バッカリスは相変わらず飄々とした姿で立っている。
無傷ではないものの、致命傷には至らなかったようだ。この調子だと回復魔法を使わなくても大丈夫そうな気がするが、一応治しておこう。
「ヒール」
「ありがとうございます」
にこにこと笑むバッカリスに脱力してしまう。普通の一般人なら先程の一撃で倒れてもおかしくないというのに、やはりこの男は想像を超える。一体どういう鍛錬を積めばこんな風になれるのだろうか。
もしこの世界に魔王がいれば、勇者に大抜擢するくらいの強さだと思う。まあ、まだ剣術自体は目にしていないので何とも言えないが。
ここまでくると人間離れしている。彼の魔法耐性は天性のものだろうか。
ケルベロスには負けていたが、それは魔力が無ければ当然のことである。ケルベロスは物理防御がべらぼうに高いが、魔法防御は低い。だからこそマイコはアッサリ勝つことが出来た。しかし対ケルベロスでは彼の実力は測れない。
「信頼してくれるのは嬉しいですが、男には限界というものがあることを覚えておいてください。でないとその内痛い目を見ますよ。マイコさんは特に身内には甘いようですから」
「…軽率だったわ」
「分かってくださればいいのですよ」
素直に謝る彼女にバッカリスは変わらず柔和な笑みを浮かべる。傍観していたグラジオラスも息をついた。
これで彼女が男に対して警戒を強めてくれたらいい。どうにも、彼女は無防備すぎるのだ。隙があるのは惚れている身としては万々歳ではあるが、同時に心配は絶えない。他の男につけ入られてやしないか、と。賢いマイコのことだ、騙されることはないと信じたいものである。
「バッカリスは俺が連れて帰る。怪我に関しては気にしなくていい。馬鹿なことを言えるくらいには元気そうだ」
「それもそうね」
「馬鹿なことなんて言ってませんよ?」
「どの口が言うんだ」
「いたたたた」
ぐいっと遠慮なくバッカリスの頬を引っ張る。地味に痛いのか涙目になってしまっている。その様子を見てクスリとマイコは笑った。血は繋がっていなくとも、この二人は良い関係を築いているようだ。微笑ましいに限る。
「明日は、私が王都に向かえばいいのね?」
「ああ。朝からでいいか?」
「ええ。いつも通り店に向かうわ」
「分かった」
グラジオラスは頷いてバッカリスの首根っこを掴んだ。
prev / next