優しい黒魔女 | ナノ


▼ 029

「マトリカリア?」
「王城で一番の腕を誇る魔法使いの名です。ご存知なかったのですか?」
「知らなかったわ」
「覚えておいて損は無いと思いますよ。いずれ、彼とは対面するでしょうからね」
「それは、味方として?敵として?」


 その問いに答えず、バッカリスはふわりと微笑むだけだった。どうして周りには読めない人ばかりなのだろう、と自分のことは棚に上げて溜息をついた。もし「溜息をつく度に幸せが逃げる」という話が本当なのだとしたら、どれだけ幸せを逃がしただろうか。そう考えて更に落ち込んだ。


「まあ良いわ。せめて王都の門まで薬を取りに来なさいよ。それくらいはしてもらわないと」
「分かりました。その時に現状報告もお願いしても?」
「ええ。紙に書いて渡すわ。人に聞かれると困るでしょう?」
「助かります」


 話が一段落ついたところで、グラジオラスにいつ出発するのか聞けば、準備が出来次第という曖昧な答えが返ってきた。次いでどれくらいの旅になるのか尋ねたが、返事はまた曖昧なものだった。


「各国を回る予定だが、協力してくれるのなら早く終わるし、そうでなければ長くなるだろうから、どれくらいかかるのか全く分からない」
「そうね。…その旅費はどうするの?無いなら稼ぐけど」
「正直、あまり無い。その都度ギルドで依頼を受けようかと思っている」
「分かったわ。ジオの武器は剣?」
「今は長剣だが、普段は大剣だ」
「了解」


 グラジオラスが使っているという大剣はまた今度見せてもらうことにする。強化することくらいなら、やったことは無いがきっと出来るだろう。そう伝えると彼は頷いた。


「最初に行く国は北にあるノーザンレイだ。そこの王都に向かう」
「寒いのかしら?」
「ここより随分寒いですよ。冬には雪が成人男性の身長以上に降り積もることがあるそうですから」
「なら新しくコートを買うか、作らなきゃね」
「作れるんですか!?」
「材料があれば。魔法って便利よね」


 なんてこともなく言ってのけるマイコにあんぐりと口を開ける。そんなバッカリスの肩を、グラジオラスは慰めるように叩いた。


「諦めろ。マイコは規格外だ」
「規格外って何よ。ジオに言われたくないわよ」
「どっちもどっちですよ。私も人のこと言えませんが」


 不意に三人顔を見合わせて、一斉に噴き出した。似ていないが、どこか似通っている三人である。


「ところでバッカリス。お前は何故魔物の森に入ってきたんだ?」
「魔物がどれくらい魔力を持て余しているのか調べてもらおうと思いまして。クロッカスに頼もうと」
「ああ、あの廃人な」
「廃人?」
「研究馬鹿だ。会えば分かる。まだ出発には時間があるから会いに行くか?」
「おや、デートにはさせませんよ。私も行きます」
「チッ」


 黒い笑みを浮かべるバッカリスに、舌打ちするグラジオラス。マイコはそんな男二人に呆れを隠さない。


「…人に会うんだからデートも何もないでしょ。とりあえずそのクロッカスさん?には会ってみたいわ」
「よし、決定だな。いつ行く?ついでに服屋にも行こう」
「そうね、明日にしようかしら」
「明日ですか。じゃあ今日泊めてください」
「お前…!」


 怒鳴ろうとしたグラジオラスだったが、「別に良いわよ」という声にぎょっと目を剥いた。バッとマイコを見ると、彼女は飄々とした様子でバッカリスを見ていた。が、次の言葉にハーっと息を吐いた。


「怪我が完治したか見ておきたいし」
「お前は…」
「なに?」


 キョトンと首を傾げる彼女に、先にバッカリスが「マイコさんは危機感が足りませんよ」とやれやれといった様子で注意した。


「バッカリスは男で、マイコは女だろう。襲われるとか考えないのか?」
「そんな人なら泊めないわ。でも、バッカリスはそんなことしないでしょう?」


 何を当然といった風に言い切るマイコに、バッカリスとグラジオラスは溜息をついた。どうやったらこれほど危機感の無い性格になるのだろうか。と思ったが、それを危惧する機会など無かったのだとすぐに悟った。
 マイコは強い。そんなことがあったとしても、魔法で吹き飛ばしてしまうだろう。危機感を覚える前に。しかし彼女は一度懐に入れた者には弱い。グラジオラスが王都で壁に押し付けた際も、彼女は魔法を使役することはしなかった。このままでは誰かに喰われてしまいそうだ。それは絶対に自分であってほしい、などとグラジオラスは内心で呟いた。


「警戒心を持ってくれ。男っていうのは理性が切れたら何でもする生き物だからな」
「そんなこと言ってると、本当に襲いますよ」
「わ、分かった。分かったから離れて、バッカリス!」


 マイコの腕を掴み、ぐいと引き寄せる。これにはグラジオラスも黙認だ。マイコが悪い。
 だが、彼女は捕らえられていない方の手に何やら魔力を集め出した。右手が光っていることに気付いた時には、既に遅く。


「―――ホーリーアロー!!」


 光の矢がバッカリスを突き抜けたのだった。

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