▼ 004
村を出た後、特に何事もなく隣町に着いた。徒歩で2週間程かかったが、別段困ったこともなかった。野宿のやり方は老婆に教えてもらっていたし、彼女に放り出されて実践もした。優しい婆然とした老婆は、意外にも体で覚えろ派だったのである。
彼女の教え方には苦労したものの、しっかりと身についたのは確かなので感謝している。今思うと、老婆はナートが1人でも生きられる術を率先して教えてくれていたようだった。きっと間違いではないだろう。聡い人だ、自分の死期が分かっていたのかもしれない。
そうして老婆の死後までも、彼女の思い通りだと気づく。単純な自分の思考回路にくすりと笑みが零れた。彼女のおかげで今こうして、村とは比にならない街にたどり着けたのだ。
「すごいな、」
「にーちゃん、身分証明書を提示してくれ」
この世界に来て初めて、人々のざわめきを感じていた。人混みは、ナートにとって馴染み深いものである。懐かしさに目を細める。しかしその光景は日本では有り得ないようなもので溢れていて圧巻だ。
感動からこぼれ落ちた言葉は、門番によって上書きされた。興が削がれたナートは少し口を尖らせながら門番に向き直った。が、すぐに身分証明書など持っていないことに気づき慌てる。
「なんだ?持ってないのか?」
「えっと、その、…あ」
そういえば、と鞄から一通の蝋で封された手紙を出す。老婆が必要になるから持っていきなさいと言っていたのを思い出したのだ。どうやら招待状?的なものらしい。
ナートから受け取った門番は訝しげにしながらも丁寧にそれを開く。眉間に皺を寄せていたのが段々と驚きの表情に変わっていくのを黙って見ていた。中身、何が書いてあるんだろう。
「…、お前が、賢者の弟子?」
「けんじゃ…?」
「エレオノール・ジャネット様のことだ」
ナートは、エヌ婆エヌ婆と呼んでいたのを思い出し、そんな名前だったなと頷いた。その瞬間、門番は顔色を変えた。
「無礼な真似を…!」
「大丈夫ですよー、気にしないでください」
土下座しそうな勢いをふんわり笑って遮る。訳がわからないが、師事していた老婆が大層お偉い御仁だということは話の流れで悟ったので先手を打ったのだ。ナートは空気が読める男である。
「それに、凄いのは彼女であって、自分ではないので。出来れば普通に接してください」
「わ、わかった」
やんわりと、しかし隙のない笑みで強引に話を持っていく。門番が頷いたのを確認してからナートは内心ホッと息をついた。
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