アストロノート | ナノ


▼ 001

 見知らぬ土地に捨てられて、早五年。前の世界での彼の名前は、彼の言葉を発音出来ぬ周囲の者により訛って呼ばれるようになった。いまや彼を本名で呼ぶ者はいない。


「ナート、話がある」


 ゆったりとした話し方で彼に話しかけた老婆が手招きをした。パチパチと薪の弾ける音が部屋の中の静寂を際立たせている。ナートは素直に老婆の元へと向かった。老婆はもう、杖なしでは歩けぬ体になっていた。


「何でしょうか」


 目の見えない老婆を気遣い、椅子に座る彼女の手をとり自身の存在を知らせた。しわしわの手は骨が浮き出ており、生気が感じられない。老婆の穏やかな表情は、ここ数日病に蝕まれ激痛の走る体をどこか置き去りにしていた。
 ナートは自分の手が震えそうになるのを必死に堪えた。ナートも、そして老婆自身も、彼女の命の灯火が今にも消えようとしているのを知っていた。


「薪は足りているな?」
「はい。食料も十分にあります」
「よろしい」


 老婆は手を持ち上げて、何かを探すようにさ迷わせた。ナートは意図を汲み上げて頭を差し出す。老婆の手はナートの頭に辿りつき、ゆっくりと撫であげた。五年前に彼女に助けられた時も、こうして撫でてもらっていたことを思い出して懐かしさに目を細めた。


「冬を越えたら、お前は旅に出なさい」
「それはっ…、この家はどうするおつもりですか」
「なぁに、心配することなぞ何もない。結界が張ってある。誰かがここに入ることも、朽ちることもないさ」


 老婆は、見えぬ視界の中でナートの姿を思い浮かべた。ふふ、と笑いが漏れる。


「お前は外に出る権利がある。そんじょそこらでくたばるような鍛え方はしていないし、大丈夫だ」
「僕は、そんなのいりません!」
「そう言わずとも、外に出るだろうよ。お前さんは1人では生きていけぬ性分だから」


 老婆はふぅ、と息を吐いた。苦しそうなその様子に、ナートは体を強ばらせた。


「…婆はもうすぐ死ぬだろう」
「エヌさんッ!!」


 ナートは鋭く老婆の名を叫んだ。不治の病にかかった彼女がゆっくりと衰弱していく様を、ナートは傍で見続けていた。神隠しのように見知らぬ土地に立ち、言葉も何もわからなかった彼を、老婆はその優しい心で包み込んでくれた。そんな彼女ももう。


「…婆は、しあ、わせ、だった。つぎは、おま、え、の番…さ…」


 ことりと、老婆は静かに息を引き取った。ナートは慟哭した。この世界に1人、取り残された気分だった。泣きながら、冷たくなっていく老婆の抜け殻にすがりついていた。

prev / next

[ back to top ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -