35
「幸せになりたくないのか?」
バンっと勢いよく開けられたドアに冬は振り向く。体を引き摺るようにして入ってきた人物を見て目を丸くした。「かりや」と冬の無音の言葉は吐息に混じり空気に溶けた。
「"白神冬"は幸せになりたくないのか?」
静かに問う。冬の本音を暴く為、ゆっくりと発音した。
「僕は…」
「白神。俺はお前の心が知りたい」
明は松葉杖に体を預けて冬の目の前に立った。大きな瞳が明を映し出す。幻覚を見ているかのような危うい焦点で、冬は震える口を小さく開けた。
「………たぃ」
弱く小さな声が冬の口から発せられる。
「幸せに、なりたい」
二度目も小さな声ではあったが、ハッキリと聞き取れた。それを切欠に想いが溢れ出す。
「幸せになりたい。ごめん、ごめんね、雪。許されないかもしれないけど、僕は…僕は」
漸く焦点の合った瞳が再び明を映し出す。そこに映った彼は杖を離し、両手を大きく広げた。
「―――狩矢と、幸せになりたい」
明の鼻腔を甘い香りが擽る。勢いよく、だが明を気遣い傷口が痛まない程度に愛しい人が飛び込んできた。
その遠慮も、全部いらない。そういう意味を込めて腕の中の脆い存在を力強く抱き締める。空中でさまよっていた冬の細い手も、戸惑いつつ明の腰に回された。
「…ふゆ」
「!」
初めて名前で呼ばれ、冬は動揺に体を揺らす。しかし明は気にせずに抱き締める腕の力を更に強めた。
「ふゆ、ふゆ、冬」
何度も何度も。愛でるような、切実に願うような声音が名前を呼ぶ。
▼
top