次の日、私は風邪をひいた。

私の世話係の知絵(ちえ)にはお小言を言われてしまった。
知絵が言うには、どうやら昨日私は、雨の中傘もささずに歩いて帰ってきたらしい。
私は雨が降っていたことさえ記憶になかった。
自分で思っているよりも、あの出来事がよほどショックだったのだろう。

そこまで考えたところで、晴貴様のあの眼差しを思いだし、再び視界が滲んだ。

その内知絵は何処かへ行ってしまい、私は一人になった。
恐らく、風邪をひいているので一人で静かに寝かせてあげようという配慮なのだろう。

しかし今の私は静かに寝るなど、とてもできそうにない。
目を閉じれば中庭の晴貴様の様子が浮かんでしまう。
昨日あれだけ泣いたと言うのに、私の目からは後から後から途切れることなく涙が溢れていた。


最初、私の胸を占めるのは悲しみだけだった。

しかし、今は別の何か、おぞましいものが心の奥底から這い上がって来ていることに気づいた。
本来ならば振り払わなければいけない感情なのは薄々わかっていたが、弱った私にはそれは困難なことだった。

ふと、あのとき晴貴様と話していた女子生徒の姿が目に浮かぶ。

中の上といったところか。
確かに愛らしい容姿をしているが、彼女程度のレベルだったら探せばいくらでも見つかるだろう。

ーーーーどうしてあんな女。

そう思ったところで、私の心はおぞましい感情に染まり始めた。

父様に頼んであの女を潰してもらおうか。
それとも、私は学園内ではかなりの権力を持っている。
私が直接潰しにかかろうか。
なにをしようか。
家を潰すか、事故を装ってあの女自体を潰してやろうかーーーー

「……杏利」

完全に私の心がおぞましいもので支配されそうになったとき、晴貴様の声が耳に飛び込んできた。

自分の思考にのめり込んでいたため不意をつかれ、驚きと緊張で心臓がバクバクと大きな音をたてる。
咄嗟に返事ができなかったので、晴貴様は私が寝ていると判断したのだろう。
足音をたてないようゆっくりと此方へ向かってくる気配がした。

晴貴様が私のすぐ隣で立ち止まる。
私の後頭部に視線を感じる。
扉の方に背を向けていて本当に良かったと思った。
目は腫れているし、熱で汗もかいている。きっと酷い顔だろう。
なにより、ついさっきまでドロドロとした汚い感情に支配されかけていたのだ。
そんな醜い顔だけは、晴貴様に見せたくなかった。

そっと、晴貴様が私の頭に触れた。

驚きと嬉しさと羞恥で体が強ばる。
そのまま優しく、まるでほんの少しでも乱暴に扱えば、私が壊れてしまうとでも思っているかのような慎重な手付きで、私の頭を撫で始めた。

晴貴様に触ってもらえているというだけで、私は幸せで涙が出そうだった。

「……ごめんね」

悲しそうにも、後悔しているようにも聞こえる声で晴貴様はそう言った。

晴貴様、その謝罪はどういう意味ですか。

私ではなくて、あの素朴で愛らしい彼女に恋をしたことを謝っておられるのですか。

その問いは声になることはなかった。





それから一時間ほど経った頃だろうか。
私の後ろから、穏やかな寝息らしきものが聞こえ始めたのは。

私は少し躊躇したが、思いきって後ろを振り返った。

そこには、晴貴様が私のベッドの端で、腕を頭の下に置いて寝ている姿があった。

「……ふふ」

あまりにも晴貴様の寝顔があどけなく安らかで、胸が暖かくなり小さく笑みが溢れた。

「晴貴様、いいのですか? 私は晴貴様の愛しい方を害そうと思ったのですよ」

呟くように問いかける。
そうだ、私は晴貴様の大切な人をこの手で潰そうなどと考えたのだ。

「あの方のことを好いておられるのでしょう? 私の部屋にいてはあらぬ誤解を招いてしまいますわよ?」

私の部屋で二人きりでいたなんて、彼女が勘違いするには十分な事だろう。

「……私は、晴貴様の妹では、ないのですよ…?」

震える声で尋ねる。

わかってしまった。
晴貴様が親愛を越えて、私のことを妹のように思っているのに気づいてしまったから。

「……っ」

辛くて苦しくて叫び出しそうになるのを、唇を強く噛んで堪える。

望みが全くないことはわかっている。

それでも、私は晴貴様のことを諦められないのだ。


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