私の手からひらり、ひらりと桜吹雪のように舞い落ちるのは、破れた彼女の教科書。

起きていることが理解できないのか、ただ呆然と見ているだけの彼女に私の中の良心が激しく揺さぶられる。

本当にごめんなさい。

何度も何度も、繰り返し声に出さずに謝罪する。
でも、これは貴女と彼の幸せの為だから。

「貴女ごときが晴貴(はるき)様に近付かないでくださる? 不愉快だわ」

溢れそうな本心に蓋をして、私は冷たく微笑んだ。


ああ、早く、早く来て。

でないと念入りに被った仮面が剥がれてしまうから。


そのとき、微かに此方に向かってくる切羽詰まったような足音が聞こえ、私は彼女に気付かれないよう小さく安堵の息を溢した。





私が晴貴様と初めて出会ったのは、七歳のときだった。

「今日は杏利(あんり)の婚約者の方とお会いする。失礼のないように」

そう父に言われたあと、向かった先の応接室にはお父上の隣に座っている晴貴様がいた。
サラサラとした柔らかそうな栗色の髪に、目尻の下がった優しげな翡翠の瞳。
白く透明感のある肌はまるで陶器のようで、その美しさに私は思わず見惚れてしまった。

「はじめまして、巫晴貴(かんなぎはるき)と言います」

そう言ってふわりと笑った晴貴様に、私は恋に落ちた。





晴貴様に恋をした私は、それまでの私とは一変して努力を始めた。
お稽古事も真剣に取り組み、料理を練習したり自分の容姿を磨いたりもした。

全ては晴貴様の為に。

私は晴貴様にかなり頻繁にお会いすることができた。

「こんにちは、杏利。何をしているの?」
「晴貴様! こんにちは、クッキーを作っているのです」
「へえ、クッキー作れるんだ。杏利のクッキー食べてみたいな」
「そう言っていただけて嬉しいです、では出来上がったら一緒に食べましょう」

晴貴様が私の努力の欠片を見つけてくれる度、私は天に舞い上がってしまうんじゃないかと思うくらい幸せを感じた。

晴貴様は私によく笑顔を見せてくれた。
けれどその笑みには親愛の色しかないことには気づいていた。
それでも、私と晴貴様は婚約者という関係にある。よっぽどの事件が起きない限り、私は一生晴貴様の隣にいることができる。
まだまだ時間はあるのだから、親愛を少しずつ恋心へと変えて行けばいい。
そう私は、楽観的に考えていた。





それから五年の歳月が過ぎた。
私は初等科から通っていた、私立双葉学園の中等科に進学した。
晴貴様は私と同じく双葉学園に通っているけれど、私よりも一歳年上なので一年早く中等科に入学していた。
晴貴様と校舎が離れている間、晴貴様が誰かに恋をしてしまっていたらどうしようと不安で仕方なかったので、中等科に入学したときはこの不安から解放されると安堵した。

一年ぶりに校舎内でも晴貴様とお会いできることで、私は完全に有頂天になっていた。
晴貴様を見かけたら私は小さく手を振り、それに晴貴様も片手を上げて答えてくれる。
そんな小さなやり取りが心の底から幸せだった。

その日は何故か酷く胸騒ぎがした。
空には暗雲が立ち込め、今にも大粒の雨が降りだしそうだった。
私は放課後美術室に荷物を忘れたことに気付き、慌てて取りに行った。
美術室に着き、荷物を探しているとき、本当になにげなく窓の外に目をやった。
美術室の窓は学園の中庭に面している。
その中庭で、晴貴様が見知らぬ女子生徒と話していた。

私は愕然とした。

晴貴様の女子生徒を見詰める目には、ただの友人を見る目とは違い、隠しきれないほどの熱が込もっていた。

その日はどうやって家に帰ったのか記憶がない。
気が付くと自室のベッドの上で膝を抱えて丸まっていた。

結局私は晴貴様を振り向かせることはできなかったのだ。

その事実が私の胸を切り裂き、私は声も出さずに泣いた。


≪ |

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -