『番外編』
初めてのバレンタイン【13「】

「お、おお……」

「お?」

「お帰り、なさい」

 迷いながらそれでもちゃんと声に出して言いたかったかのこは小さな声で呟いた。

 小さな笑い声が聞こえたような気がした……それは間違いなく空耳だけれどそう思わせるくらい和真の表情が緩んだ。

 あまり見せることのない普通の笑顔。

 悪巧みしてるわけでもなく、愛想笑いでもなく、バカにしてるわけでもなく、身体から余分な力が抜け自然と零れた笑顔。

(どうしよう……すごいカッコいい……)

 その顔を見るのが気恥ずかしくてかのこはソッと目を伏せた。

 狭い密室の中では離れていても胸の鼓動が伝わってしまいそうでかのこはなるべく息を潜め気を張りつめた。

「かのこ」

「は、はい?」

「ただいま」

 音もなくすぐ側までやってきた和真はかのこの髪を撫でた。

 あくまでも優しい仕草の和真の指が髪を一房掬い上げると指を絡め髪の先を弄ぶ。

 いつ誰が乗ってくるか分からないエレベーターの中で少しずつ二人の距離が近付き、かのこは髪に和真の息がかかるのを感じて息を詰めた。

「震えてる?」

「べ、別に……」

「嘘つくなよ。まるで……狼に狙われた子羊というより子兎みたいだぜ?」

(なぜ子兎!? しかも子羊よりも弱そうだし!)

 和真の言葉に軽く突っ込んでいると髪を弄っていた和真の指が耳の後ろを撫でゆっくりとうなじへ下りていく。

 触れるか触れないかの絶妙なタッチで肌に触れられかのこは本当に体を震わせた。

 たったそれだけでかのこはわずかに開いた唇から熱い吐息を吐き出した。

「和真……」

 ――ポーン

 タイミングがいいのか悪いのか、呼びかけた同時に目的の階で止まった。

「残念だったな。続きは帰ってからだ」

 スッと離れた和真はエレベーターの開ボタンを押しながらまだポーッとしているかのこに声を掛けた。

 ハッとしたかのこは赤くなった顔を伏せながら出て行くがすれ違いざまに和真の呟いた言葉にエレベーターを降りたところで足を止めた。

「週末は外に出られると思うなよ」

 慌てて振り返ったかのこは締まっていく扉の向こうを凝視した。

 唇を歪めて笑う和真の意地悪な笑顔はこれまで見た中で一番……だった。

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