『番外編』
ある冬の夜【1】
ため息を一つ零してテレビを消すと、ゾクッとするほどの静けさが訪れた。
全身を某衣料量販店で購入した温かいルームウェアで包む田口麻衣は、二十代とはいえすでにアラサーと呼ばれる年齢に入ってから久しい。
下半身を覆っていた手編み風のひざ掛けを畳み傍らに置き、ソファから立ち上がるとテーブルの上のマグカップに手を伸ばした。
ライチのフレーバーティーはお気に入りのはずなのに、マグカップに半分ほど残してすっかり冷めてしまっている。
貧乏性の性格がもったいないなと思わせるけれど、それを飲む気にはなれずそのままキッチンのシンクに置いた。
いつもなら寝る前にすべて片付けるけれど、今夜はそれさえも億劫で、キッチンから真っ直ぐ寝室へ向かった。
寝室の空気はリビングより冷えていて、上着を着ていても身体が寒さで震えてしまう。
寝室の部屋の明かりは点けず、慣れた足取りでベッドまで行き、ベッドサイドに置かれたライトを点ける。
オレンジ色の優しい光が、部屋を照らし出すといくらかホッとして上着を脱いで、身体が更なる寒さを感じると前にベッドへと潜り込んだ。
新調したばかりのボアの敷パッドは暖かく身体を包み込んでくれるはずが、まったくその効果を発揮しておらず、麻衣は横を向きライトの明かりを絞ると、子供のように足を引き寄せて丸くなった。
原因はハッキリしている。
一人で眠るにはあまりにも広すぎるこのベッドのせいだった。
大人二人が寝ても十分余裕のあるベッドは、この部屋の主でもあり麻衣の八歳年下の恋人でもある陸が購入した。
広いベッドで寝るのが夢だったんだ。
冗談なのか本気なのか、そんなことを言っていたことを思い出す。
その陸は今は居ない、正確にはまだ仕事中で彼がこのベッドに入るのは、まだ数時間も後のことだ。
時刻は午後10時を回ったばかり、いつもなら麻衣もテレビを見て過ごしている時間だけれど、今日は何だか気分が乗らなくて、お笑い番組もまったく楽しむことが出来なかった。
こんな日はたまにある、こういう時は何も考えず寝てしまうに限ると、ベッドに入ったのはいいけれど、眠気は一向に訪れなかった。
何度も寝返りを打ち、携帯に手を伸ばして時間ばかりを見ても、数分しか経っておらずますます目は冴える一方なのに、気持ちはどんどん沈んでいく。
「はあ」
ため息を零しても何の解決にもならないけれど、出てしまうものは止められず、気を紛らわそうと再び携帯に手を伸ばした。
携帯を開くと明るくなった画面の中で、マイクを片手に陸がこちらを指差して楽しそうに笑っている。
去年の年末近くに遅くなったクリスマスパーティとかなり気の早い年越しパーティという、結局は理由は何でも良かったらしいパーティをした時の一枚。
場所はいつものようにこの部屋で、みんながお酒や食べ物やケーキ、懐かしいボードゲームやさらにはカラオケまでも持ち込み、当然ながら麻衣は朝から料理に腕を奮い、昼間から集まった仲間達は大いにはしゃいでいた。
そんな彼らもまた今は仕事中。
彼らの勤め先は繁華街の大通りから一本外れた場所にある「CLUB ONE」男性が女性をもてなす、いわゆるホストクラブ。
毎晩スーツを着込み、髪型をキメて、アクセサリーと香水を纏い、自分を演出する彼らだけれど、二十代前半の彼らは仕事から離れると年相応の屈託のない笑顔を見せる。
仕事中は意外なほどルールに厳しく、入店順や売上げ順で決められる厳密な上下関係の中で、陸は十代の頃から店の厨房で下働きをしていたこともあり、また売上げも勤続年数に負けておらず、年は若くても店の中では誰からも一目置かれる立場になっていた。
そんな彼が素の姿を見せるプライベートなパーティは、店で開かれるパーティとは違い心から楽しめて、仲間との距離を埋める大切な時間でもあるらしい。
パーティの最中、酔った陸が珍しく人気アイドルグループの歌を歌っている時に撮ったのが、携帯の画面の中の写真だった。
年末から年始にかけて連日のパーティ、年が明けても今度は成人式というイベントに絡めて20歳になったお客さん達を招待してパーティと続いた。
ようやくパーティ続きの日々が終わり、いよいよアルコール浸しの身体を本気で心配していた麻衣がホッとしていた矢先、店から正式な冬休みを貰えることが出来た陸と、三日間の温泉旅行に出掛けたのは数日前。
そしてまた日常が戻って来た。
眠るときには居ない彼が、朝目覚めると隣で少し幼い寝顔をしている。
会話は朝の数分だけれど、二人とも休みの週末の日曜日にはゆっくり過ごせるから気にならない、すっかり慣れたそんな生活スタイルだけれど、こんな日はやっぱり側に居て欲しいと思ってしまう。
いくら待っても訪れない睡魔と温まらないベッドに、悶々としていた麻衣はしばらく考えた末に身体を起こした。
どうせ眠れないのだからと諦めて、部屋の電気を点けるとクローゼットを勢いよく開けた。
「まだ電車がある時間だし、それに今から行けば間に合うもの」
そんな独り言を口にしながら、手早く着て行く服を選び出した。
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