『番外編』
寒い日の朝に【3】

 初めて入った弓道部の部室は、サッカー部よりも綺麗だったけれど、あちこち見る余裕はなかった。

「自主トレすんじゃなかったのか?」

「うん」

「うん、じゃねーよ」

「うん」

 結局、貴俊に捕まった。

 驚きながらも嬉しそうな貴俊に半ば無理矢理連行された弓道部の部室、日が入って来ないのに電気を点けないせいでかなり薄暗い。

 部屋に入った途端、貴俊に抱きしめられた俺はそのまま壁際に追い込まれてしまった。

「聞いてんのか?」

「うん」

 貴俊は俺を抱きしめて、肩というよりは首筋に顔を埋めたまま、さっきから「うん」しか返して来ない。

「なぁ、これ……寒くねぇの?」

 初めて触れる道衣が珍しくて、背中に手を回して少し撫でてみた。
 直に触れていないのに指先には鍛えられた身体の感触が伝わってくる。

「中にTシャツ着てる」

「んでも、腕出てんじゃん」

「うん。でも、もう慣れた」

 ようやく返事らしい返事をした貴俊は抱きしめる腕はそのままで顔を上げた。

 鼻先が触れ合いそうなほど近くから、俺の顔をジッと覗き込む、その顔はきっと弓道部の奴らが絶対に見たことがないだろう。

「びっくりした」

 本当に驚いたらしい貴俊は、そう言った後に小さく「理由とか、聞いてもいい?」と囁く。

「べ、別に……理由なんて、ねぇよ」

 正直、自分でも分からないんだから、貴俊が不満そうな顔をしても答えてやれない。

「練習、邪魔して悪かったな。朝練まで時間ねーだろ、俺のことはいいから続き……」

「もう、いい」

「はあ? 何でだよ」

「祐二がいるの見て、舞い上がってるから、今は何しても無理」

「んだよ……俺のせいかよ」

 来るんじゃなかった、とポソッと呟くと貴俊は抱きしめている腕をさらに強める。

「嬉しい」

 すごく嬉しい、と貴俊がもう一度囁く。

 その声が本当に嬉しそうに聞こえるし、バカみたいに抱き着いて離れない貴俊に、俺よりもデカイくせに何だか可愛く思えた。

「部長が部室でこんなことしてていいのかよ」

「生徒会長が生徒会長室でしてる、あんなことに比べたらどうってことないよ」

「ああ、ほんとにな」

 貴俊のファンが知ったら間違いなく卒倒するだろうな、と思ったしファンも減るだろうと思うが、その時は自分も学校に居られなくなるから、この秘密は絶対に明かせられない。

「でも……ここは人が来るだろ」

「鍵、かけた」

「朝練あるんだから、そろそろ誰か来るだろって言ってんだよ」

 いつの間に鍵なんて掛けたんだと思ったが、貴俊のことだから扉を閉めた時にぬかりなく掛けたんだろう。

「あと20……15分くらいは平気」

「そうか」

「うん」

 それきり俺達は何も言葉を交わさなかった。

 お互いの背中に腕を回したまま、しばらくはそうしていたけれど、先に動いたのはやっぱり貴俊だった。

 最初はまるで偶然触れてしまったかのように、掠めるように唇が頬に触れて、その唇が今度は確信を持って鼻先に触れる。

「15分しか、ねぇんだろ」

「うん。だから……キス、だけ」

 さっきまで真剣な顔をして、真一文字に結んでいた唇で俺を誘う。

吐く息が白い、そして火傷しそうなほど熱い、こんなに吐く息は熱いのに、身体はもっともっとと熱を欲している。

貴俊はは軽く閉じた唇で静かに触れる。少しカサついている唇はすぐに離れると、声を出さずに「スキ」と動いた。

「祐二は?」

 今度は声に出す貴俊に、俺は内心分かりきったこと聞くんじゃねぇ、と呟いた。

「嫌いな奴の顔見るために、こんな朝早く学校来る奴がいるかよ」

 素直に好きと言えたら、貴俊がすごく喜ぶと分かっていても、やっぱりそこまで素直にはなれなかった。

 でも、俺の答えは貴俊にとっては合格点だったらしい。

「朝練も見ててくれる?」
「あのな……俺も一応、あるんだけど?」
「……いつも出てないくせに」
「うるせぇ。そんなことより、時間なくなってもいいのかよ」

 これ以上何か言われるのを避けるためとはいえ、まるで自分から誘うようなセリフは言うべきじゃなかった。

 最初から触れるだけのキスをするつもりのない貴俊の唇が、少し急いて重なってカサついていた唇が濡れるのに時間はかからなかった。

 身体の熱が少し上がった。

 end
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