『番外編』
2011☆SUMMER38

 ようやく険悪な雰囲気が消えた途端、二人の間を隔てる距離にもどかしさを覚えた。

 自分のアパートの部屋の倍はあるだろう広い玄関がこんな時は恨めしく思えてしまう。

 手を伸ばしても簡単には届かない距離、足を踏み出して和真の胸元に飛び込みたくても、さっきまでのことを考えるとさすがに躊躇する。

(和真が抱き寄せてくれたら嬉しいのに)

 ホスト達との会話の中で、たまには女性の方から積極的に誘って欲しい、なんて話題が出たことを思い出したけれど、実際はそんな簡単じゃないと思った。

 相手にその気がないのに、自分ばかりが盛り上がっていたら恥ずかしいし、はしたないと軽蔑されたくもない。

 主導権を握る、という魅力的な言葉もあったけれど、最初から和真に主導権を握られっぱなしの立場としては、自分が主導権を握ってもきっと何も出来ない自信がある。

(ギュッてされたいな)

 さっきまではあんな冷たい視線や言葉を向けていた和真も、今はとても穏やかな空気を纏っている。

 それをもっと側で感じたくてたまらない。

 かのこは精一杯の勇気を振り絞り、壁から背中を離すことを成功させた。

 足を踏み出そうとしたかのこは、床に散らばった自分の荷物に気が付いた。

(あ、さっき落としちゃったから)

 和真に向かって足を踏み出す勇気ないけれど、落ちた荷物を拾うことは簡単で、しゃがみ込んでカバンを拾い、落ちた荷物を順番に拾って、最後に一番遠くにあった携帯に手を伸ばした。

「あ……」

 携帯はかのこが手にするより早く、上から伸びて来た手が拾い上げ、顔を上げたかのこは真上に和真の顔があることに驚いた。

(ど、どうしよう……こんなに近くにいたなんて)

 さっきの勇気は何だったのかと思うほど、和真は側にいて立ち上がれば、あれほど顔を埋めたいと思っていた胸はきっと目の前にある。

「どうした?」

 立ち上がることに躊躇していたかのこは、和真に声を掛けられてハッとした。

 携帯を持った手を振って見せる和真の顔が意地悪そうに唇の端を上げて笑っていた。

(もしかして……)

 よほど自分が分かりやすいのか、それとも和真に特別な能力があるからなのか、自分の考えていることを、和真は察していることが多い。

 きっと今もそうなんだと確信して、もしかしたらもっと前から気付かれていたんじゃないかと思うと、たまらなく恥ずかしくなった。

「携帯、要らないのか?」

「い……要ります」

 取りに来い、と言われているのだから、素直になれば何も悩む必要はないはずなのに、どうしてこんな簡単なことが出来ないんだろう。

 立ち上がればほぼ間違いなく、和真は抱きしめてくれると思っていても、もし携帯を返されただけで終わってしまったら、触れそうで触れないその距離では、どうにかなってしまうかもしれない。

 考えれば考えるほど、立ち上がることが出来なくなったかのこは、持っていた鞄を両手で持つと、おもむろにその口を広げた。

「何だ」

「携帯、入れて下さい」

 明らかに失礼だと思うその行為は、当然のことながら恋人でもあり上司でもある和真が、簡単に見逃してくれるはずもなかった。

「よほど俺に酷くされたいようだな?」

「ち、違……っ」

「今夜は優しくしてやろうかと、考え直したんだがな……」

(そんな……っ)

 和真の言葉にかのこは慌てて立ち上がったけれど、既に和真の顔は決断をした後の顔になっていた。

 大きく口を開いた鞄の中に携帯を落とし、和真はその鞄を取り上げると静かに床へと落として笑みを浮かべた。

「お仕置き、決定だな」

 時間を巻き戻せたとしても、一体どこからやり直せばいいのか、頭を抱えたくなるほど、今日のかのこは失敗が多すぎた。

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