『番外編』
2011☆SUMMER22

 夕方の混雑する時間帯はとうに過ぎたが、乗り込んだ電車の車内は、座席がすべて埋まり、立っている人がチラホラ見える。

 窓の向こうで流れる景色は、ビルなどの明るさが消え、濃くなった暗闇に住宅街の明かりが浮かび上がっている。

「ふぁ……ぁ」

 窓に腕を押し付けるように、扉に寄りかかっていた祐二は大きなアクビを一つした。

「祐二、大丈夫?」

「あ? ああ……」

「座る場所があったら、着くまで眠れるんだけど……」

 向かい合うように立っていた貴俊は、心配そうに祐二を見ていた視線を上げて、車内を見渡したけれど、やはりどこにも空席は見当たらなかった。

「大丈夫だって」

 返事の声にも、いつもの覇気が感じられず、窓の向こうを眺める大きな猫目は、何度もアクビをしたせいで濡れている。

(眠いけど……)

 祐二は眠さと疲労感を抱えていても、不思議と嫌な感じがしていなかった。

 その理由は、今が夏休みで朝から遊び尽くしたからで、本当はもっと遊んでいたいほど、気持ちは元気だからだった。

「遅くなったなぁ」
 祐二は窓から見える景色に目を凝らし、少しずつ家が近付いてくることに、寂しさのようなものを感じていた。

「そうだね。映画、一つ前の回、間に合わなかったから。でも、22時までにはギリギリ間に合いそう」

「ったく、22時とかありえねぇ……」

「それは、祐二がちゃんと宿題やらないからだよ」

 腕時計で時間を確認した貴俊に、チクリと嫌味を言われたけれど、事実だしそのせいで映画館から駅まで走らせただけに、何も言い返せなかった。

(行く前に宿題を一つもやってないのがバレたんだよなー。あれは痛かった)

 鬼のような形相の母親の顔を思い出して、祐二は身震いする。

 いつも遊ぶといえば、地元でも施設が充実しているおかげで、自転車で走り回っている。

 でも今日は夏休みだしたまには……と、特によく分からない理由で、学校へ行く時に降りる駅よりも、さらに電車に乗り街へと繰り出した。

 午前中は貴俊と二人で、フラフラと店を見て回り、午後からは日和とその恋人と合流して、初めてのビリヤードを楽しんだ。

 おかげで見る予定にしていた映画を、時間に間に合わないという失敗をしてしまった。

(あれは焦ったな)

 出掛ける前に母親から、1分でも遅れたら夏休み中、市外に出掛けることを禁止された上に、貴俊の監視の下で宿題をやり、庭の水遣りを毎日やることを約束させられていたのだ。

(つーか、貴俊の家に帰るのも、自分の家と同じ扱いってのは、どーかと思う)

 貴俊が電話すると、なぜか不可能が可能になる。

 一体どんな魔法を使っているのか知らないけれど、約束の10時には(向かう先は貴俊の家だけど)間に合いそうだし、機嫌の悪い母親の顔を、明日まで見なくて済むなら何でも構わなかった。

 ギリギリ間に合う電車に乗れたことで、心の底からホッとした祐二は、アクビをしながら腹に手を当てた。

「眠ぃ……けど、腹も減った」

 思いがけず空いてしまった時間、普段あまり来ない場所では、時間の潰し方もよく分からず、結局は早めの夕飯を取ることにした。

「食べてから結構経つもんね」

「着いたらコンビニ寄ろうぜ」

「うん」

 提案した祐二が視線を上げると、いつからこっちを見ていたのか貴俊と目が合った。

 目が合うと嬉しそうに目を細めて、そのまま何かされるんじゃないかと思うような、変な空気を出して見つめてくる。

(なんだよ、バカ)

 祐二は居たたまれず、ふいと視線を窓の向こうへ向けた。

 今日の貴俊は朝からずっとこんな調子だ。

 普段から機嫌の悪い顔はあまり見せない貴俊だけれど、今日は輪をかけて機嫌の良さそうな顔をしている。

 視線を逸らしても、見られていると分かると、どうしても居心地が悪い。

 祐二は再び視線を貴俊へ戻すと、今度は少しだけ不快感を見せた。

「あんま見んな」

 すぐ近くには誰も居ないけれど、周りに聞こえないようにボソリと呟く。

「ごめん」

 すぐに謝るくせに、貴俊はさらに嬉しそうに目を細める。

(お前って、ほんとに俺のこと好きだよな。ビリヤードの時は、俺が日和の彼氏に教わってたらすげぇ不機嫌だったくせに)

 きっと貴俊にとってそんなことが些細な事になるほど、一日中外で遊んでいられたことと、貴俊の部屋に泊まることになったことは、無条件で機嫌が良くなる理由に違いない。

 わざわざ出掛けなくても、夏休みに入ってから毎日のように会っているのに、今日は貴俊にとって特別な一日になったらしい。

(週の半分はどっちかの家で寝てんのに、何でそんなに嬉しいんだかなー)

 貴俊の想いを分かっているようで、実のところ分かっていない祐二は、自分達の住む町が見えてくる頃には、コンビニで買う物のことばかりを考えていた。


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