『番外編』
2011☆SUMMER16

 身体を屈めた直紀に、顔を覗き込まれたまま、奈々は勇気を振り絞った。

「ポ……ロシャツ、似合ってます」

「な……っ」

「カッコいいです」

(い、言っちゃったけど……)

 顎が外れているんじゃないかと思うほど、大きく口を開いたままの直紀に、奈々はどうしたらいいのか困った。

(怒ってる……のかな。それとも今さらこんなこと言って呆れてる……とか?)

 至近距離で視線を合わせたまま、自分から逸らしていいのかも分からず、奈々はジッと直紀の顔を見つめた。

「ば…………っ」

 長く感じられた沈黙を破ったのは直紀だった。

(……ば?)

 大きく口を開いたまま、一言発した後の言葉が続かない。

 一体なにを……と奈々が首を傾げる前に、唐突に言葉が続いた。

「バカヤロウ!!」

「えっ」

 大きな怒鳴り声に、一瞬頭が真っ白になる。

(ど……しよう)

 調子に乗りすぎたのかもしれない、いまさら後悔しても口から出てしまった言葉は取り消すことは出来ない。

 心臓が嫌な感じに、バクバクと音を立てて、自分の乱れた呼吸音はどこか遠くで鳴っているような気がする。

(あ、やまら……ないと)

 声の出し方を忘れてしまったみたいに、喉が凍り付いて動かず、唇だけがパクパクと空気を吐き出した。

「あ……あの……っ」

 ようやく絞り出した声は、自分の声からはほど遠いほど掠れている。

「ごめ……んな――」

「ったく……大人をからかうんじゃない。着慣れないもの着てるから、似合わないことくらい分かってんだよ。子供が一人前に気を使ってお世辞なんか言うんじゃな――」

「違いますっ!!」

「奈々?」

 気が付いたら、大きな声を出している自分がいた。

 強張っていた喉はなんだったのか、思っていることがスラスラと出てくる。

「お世辞なんかじゃないんです」

 余計なことを言って嫌われたくないと思う一方で、好きという気持ちを伝えたくて、言葉にしたいと思う時がある。

 学校では常にジャージ姿の直紀が、年に数回見せるスーツ姿に、胸が苦しくなるほどドキドキしたように、初めて一緒に歩く夜の街で、いつもと少しだけ違う姿は、あの時よりもドキドキさせられる。

「本当に……すごくすごく、カッコ良いんで――」

 最後の一文字は、不意に口を塞いだ直紀の手によって、声になることはなかった。

「分かった、分かったから……。あのな? お前も少しは察しろ」

 押さえられていた手が離れ、奈々がその手を視線で追いかける。

 直紀はきれいにセットされた髪を、手でグシャグシャとかき混ぜたかと思うと、鼻と口を手で覆い天を仰いだ。

(察しろって?)

「恥ずかしいだろうが」

「……え?」

「いつもと違う格好してるってだけでも落ち着かないのに、お前にそんなこと言われたら、どうしていいか分かんねぇだろ」

 直紀は頭を大きく下げて、背中を丸めたかと思うと、ハァーッと大きく息を吐き、それからゆっくりと頭を上げた。

 まだ口を手で覆ったままの直紀に、下から覗き込まれる奈々は、そこでようやく直紀の目元がほんのり染まっていることに気が付いた。

「ったく……今日のお前は、なんだってそう心臓に悪いことばっかりしてくれるんだ」

 口調が柔らかくなったせいか、怒られているとは感じないけれど、責められていることは間違いなかった。

 自分が言った以外にも原因がある、そう取れるような直紀の言葉。

(私……他にも何かしちゃったのかな)

 直紀とのデートの時は、いつも舞い上がってしまうことが多くて、何か失敗していたとしても不思議じゃない。

 気付かないうちとはいえ、困らせるようなことばかりしてしまったのかと思うと、居たたまれなくなる。

「…………く」

「え?」

 どこかで鳴った車のクラクションと、直紀の言葉がちょうど重なった。

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