『番外編』
Another one37
ここで捕まったままでは面倒だと思った時だった。
「抜け駆けしてんなよ」
「あ、竜さん! お疲れ様です!」
その声に振り返った陸の瞳に映ったのはば悠然と歩いてくる姿、この店のオーナーというよりはそれはまるで王者のよう。
威風堂々としたその姿は同性の自分でさえも見惚れてしまう。
「俺が口説く前に口説いてんじゃねぇぞ」
まるで子供にでも接しているみたいに副店長の髪をくしゃりと撫で、目を細めて笑っていた竜之介の視線がゆっくりと陸に向けられた。
「よぉ、よく来たな」
陸は緊張していたせいなのかか、それとも久々の夜の匂いのせいなのか、竜之介の瞳にいつものからかいの色がないことに気付くことが出来なかった。
案内された場所は個室、いわゆるVIPルームと呼ばれる部屋だった。
個室といってもゆったりとソファが置かれ優に10人は座ることが出来る、小さな店だと思っていたけれど意外に奥行きがあることに陸は驚いていた。
その部屋に陸と竜之介の二人きり、来る前に気持ちの準備は出来ていたはずなの陸は、いざ二人きりになった途端緊張を隠し切れない様子で視線を泳がせた。
「飲めるか……なんて聞くのは愚問だな。若いし、シャンパンがいいか?」
すぐに頷きそうになった陸は脳裏に浮かんだ『CLUB ONE』のドリンクメニューに慌てて思いとどまった。
(無駄遣いではないけど、ここは格好悪くても安いもん飲むしかねぇよなぁ)
自分の金銭感覚はあの頃とは違う、自由に出来る金が根本的に違うのだから当たり前といえば当たり前だ。
(ビールかサワーか……いやカフェドパリぐらいなら何とか……)
「シャンパンじゃゆっくり話も出来ないし、リシャールでもいいか?」
「あ、いや……えっと……」
先を越されたと頭が一瞬真っ白になった。
今の自分には到底払えない額、だが断り方によっては心象を悪くして取引停止になりかねない。
回らない頭で必死にベストな答えを見つけようとしていた陸は髪に何かが触れたような気がして顔を上げた。
「俺は誰かに貢いで貰わなきゃいけないほど売上げに困ってねぇよ」
相好を崩した竜之介に頭を撫でられ、心の奥にくすぐったさを感じた。
(父親に似てる……)
それはもうずっと遠い昔の記憶、少し冷たい大きな手で頭を撫でてくれた、見上げればいつも優しい瞳が自分を見守ってくれていた。
もう二度とそんな風に誰かに触れられる日は来ないと思っていた。
陸の人生を変えた面倒見の良い誠は父親というよりは兄のような親しさがあり、手が届きそうな位置にいる兄とは一線を画した存在でもある父親のような竜之介に触れられ、くすぐったい優しさに触れたような気がした。
「どうした?」
返事の出来ない陸は不思議に思ったのか竜之介に怪訝な顔で覗き込まれると慌てて首を横に振った。
「すみません。ご馳走になります」
「おう! 飲め飲めー」
頭を下げた陸の耳に竜之介のご機嫌な声が響いた。
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