『番外編』
Another one36
店の中をぐるりと見渡して確認した後、店の施錠を終えると陸の唇からため息が漏れた。
鍵をポケットに押し込んで腕時計で時刻を確認すれば午後十時半。
閉店作業を終えいつも通りの時間、いつもなら部屋に帰るために車に乗り込む所だが、今日は真っ直ぐ駅のロータリーへ向かいタクシーに乗り込んだ。
陸はシートに背を預けて一息つくと疲れている身体からホッとしたように力が抜けるのを感じた。
(今日も麻衣のことは無理そうだな)
唯一の手掛かりの会社名、同じ名前の会社がこの近辺に二社あることまで突き止めた。
今日こそは自分の足でその場所を確かめて、それから明日の休日を利用して麻衣がいるのか確認して、それから……。
頭の中で思い描いたシミュレーションは本当に夢のよう、だが自分のしていることはストーカー紛いだと気が付いて苦笑してしまう。
振られたのに往生際が悪い、それは自分でも嫌というほど分かっている。
(ダメだ、ダメなんだ……このまま何もかも忘れてなんて、どうしても俺には出来ない)
花屋という夢を形にした今こそ気を抜くわけにはいかない、順風満帆とまではいかないが忙しくても充実した日々。
それでも日に何度も隣に麻衣がいてくれたらと思わずにはいられない。
「クソッ……今はそんなこと考えてる場合じゃない」
まだ今日の仕事が終わっていないことを思い出し首を横に振った。
『明日は休みだろう、久々に美味い酒でもどうだ?』
現在のところ唯一にして最大の取引先、ホストクラブなど飲食店三軒を経営するオーナーからの誘い。
(断われるわけねぇし……)
仕事のためそれが一番の理由だが、それがなくてもあのオーナーとは一度じっくり話をしてみたいと思う気持ちもあった。
(向こうは俺が元ホストだから楽しんでるだけなんだろうけどな)
タクシーが交差点を右折し小さな飲食店が並ぶ通りに入ると自然と背筋が伸びる。
久々に乗るタクシーのせいかもしれないけれど、久しぶりに感じる心地良い緊張感はホスト時代と少し似ている。
タクシーが店の前に止まると今一度気持ちを引き締めて店へと向かった。
「いらっしゃいま……、あれ? 中塚さん?」
フロントで出迎えたのは副店長、不思議そうな顔をされて初めて気付いた。
(配達でもないし、男が一人でホストクラブなんて来るわけねぇじゃん!!)
頭の中でそんなことにも気が付かなかった自分を盛大に突っ込み、オーナーに取り次いでもらおうとすると先に口を開いたのは副店長の方だった。
「あ! いよいよ腹括った? 花屋より絶対儲かるって! 竜さんにも気に入られてるし、つーか見た目で面接なんか必要ないし!」
「あ、いや……そうじゃなくて……」
初めて配達に来た時にホストの面接と間違われて以来、ずっとスカウトされ続けている。
「週三回とかからでもいいし、店閉めた後に少しやらない? あ……それともホストとかに抵抗ある?」
副店長に乗り出して顔を覗き込まれ、気まずくて視線を泳がせてしまった。
(元ホストです……なんて言ったら絶対その気になるよなぁ。おまけにナンバーワンでした、なんて口が裂けても言えない)
ホストをしていたことを恥じるわけではないけど、取引を始める際にオーナーには自分がホストだったことは伏せて欲しいとお願いした。
変に騒ぎ立てられるのが嫌だったからというのと、勧誘されるのが面倒だからというのが理由。
まったく役に立っていないことにうな垂れるしかなかった。
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