『番外編』
Another one28

 誠が陸の店を訪れる数時間前。

 春の陽だまりのように暖かいベッドの中、どんな目覚まし時計よりも確実に起こすのは冬の冷たい冷気。

 背中に感じた寒さに深い場所にいた誠の意識は無理矢理引き上げられた。

「……寒いだろうが」

「人のベッドに勝手に潜り込んでおきながらよく言うわね」

 冬の冷気よりも冷たい言葉を吐き、顔色一つ変えずタバコに火を点けるのはこの部屋の主、加納美咲。

(文句言うくせに追い出すことはしねぇんだよな)

 ベッドの中で寝返りを打った誠は澄ました顔で朝の一服をする美咲を仰ぎ見た。

「何時?」

「7時よ」

 ベッドに入ってからまだ三時間ほどしか経っていないことにため息を吐いた。

「文句があるなら自分の部屋へ帰ればいいじゃない」

「何も言ってねぇだろ」

 もう少し美咲の言葉が遅かったら文句の一つも言いそうになっていた誠は内心ヒヤヒヤしながら身体を起こした。

 部屋のエアコンが立てる静かな音と新聞を捲る音を聞きながらつい大きな欠伸が出る。

(いつになったらおはようのキスとかしてくれんのかね)

 未だ曖昧な関係ということも忘れて恨み言を心の中で呟いてベッドサイドに置いてあるタバコに手を伸ばした。

「そういえば……また行って来たの?」

 まだ暖まっていない部屋に背中を丸くしながらタバコに火を点けていると美咲が小さく尋ねて来た。

 最初は何のことか分からなかったが、理解するとライターを戻し「あー」とどちらとも取れない返事をした。

「行く度にお土産でも持たされるわけ?」

 それは間違いなくリビングに置いてある真っ赤なバラの花束のことだ。

「買わされるんだよ。アイツは結構ちゃっかりしてんだよ」

「そう」

「店もボチボチみたいだしな」

 店のナンバーワンホストだった陸が引退して念願だった花屋を始めたのは半年ほど前のこと。

 店の売上げのことを考えれば何としても引き止めたかった、けれど経営者ではなく兄貴的な立場に立ってしまうとどうしてもそうすることは出来なかった。

 ――俺ね、家族が作りたかったんすよ。

 彼女と別れて荒れて毎晩のように酔い潰れていた陸がある日ポツリと漏らした言葉を今も忘れられない。

 そんな陸のもう一つの夢を妨げるようなことは出来ず、新たな一歩を踏み出す餞(はなむけ)になればいいと引退イベントは出来る限りのことをして送り出した。

「元気ならいいけど」

「本当にそう思ってんのか!」

「…………」

 美咲の本心から出た言葉じゃないとは思いつつもつい声を荒げてしまった。

 陸と知り合ってから誰よりも側で見て来たからこそ今の陸が無理をしていることは手に取るように分かる。

 それをどうしてやることも出来ない苛立ちの行き場はなく、こんな風に時々表に出てしまうとますます苛立った。

(クソッ……)

 急にタバコを不味く感じた誠は灰皿に押し付けると美咲の指からもタバコを抜き取り同じように乱暴に消した。

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