『番外編』
Another one19
週明けの朝は本格的な冬の訪れで底冷えのする寒さだった。
着替えを済ませて一階に降りるとすでにリビングへ続くダイニングは温かく、早朝から支度したのかストーブの上にはポトフの入った大鍋がコトコトと音を立てている。
「おはよう、お母ちゃん」
「おはよう。今日は寒いわよー、温かくしていきなさいねー」
「うん」
職場までは自転車で10分。
あまり都会的ではない土地柄と、前に勤めていた会社とよく似たアットホームな雰囲気で、かなりカジュアル……端的に言うと汚れても良い服が通勤服(制服)になる。
今日もいつもと変わらないジーンズ姿で下りて来た麻衣と台所の美紀はいつものように言葉を交わした。
麻衣がテーブルについて朝刊にざっと目を通していると、美紀があっという間に朝食の準備を整えた。
今朝はポトフと週末に麻衣が奏太と出掛けた時に買って来たクロワッサン。
トースターで温められたクロワッサンからは香ばしいバターの香り、それに牛乳たっぷりのカフェオレが並び、一人暮らしの時とは比べ物にならない豪華な朝食。
麻衣はポトフの蕪をスプーンで一口大に切っていた手を止めて顔を上げると向かいに座る母をジッと見た。
(どうしてお母ちゃんはお父ちゃんと結婚したんだろう)
子供の頃は父の仕事がすごく嫌だった。
水商売だとバカにされ、女をとっかえひっかえすると父の陰口を何度も聞いた。
そんな陰口を耳にしていたからこそ、家で見る両親の仲睦まじさを、どうしても理解出来なかった。
大人になってからは両親には両親にしか分からないことがある、そう思う事で自分を納得させていた。
けれど……改めて母がホストだった父と結婚しようと思った理由を知りたくなった。
「麻衣? どうしたの?」
「あ……うん……」
ボーッとしていた麻衣は母に声を掛けられ慌てて笑みを作ったが、それでも手を動かすことは出来ず思い切って顔を上げた。
「あのね……お母ちゃんはどうして……お父ちゃんと結婚しようと思ったの?」
いきなりの質問に美紀は驚きで目を瞠ったが、すぐに目尻を下げると手に持っていたクロワッサンを皿に戻した。
口元に笑みを浮かべた美紀はカフェオレを一口飲んでからゆっくりと口を開いた。
「好きだったからよ」
あまりにも単純な理由に驚いた。
「でも……お父ちゃんは……」
「私の側にいる竜ちゃんも、ホストをしている竜ちゃんも、全部ひっくるめて竜ちゃんが好きだったから結婚しようと思ったのよ」
それは美紀にとっては答えであっても、麻衣にとっては望んでいたものとは少し違った。
(好きって気持ちだけで一緒にいられるもの?)
自分には出来なかったせいか、どうしても母の言葉を素直に聞き入れることが出来ない。
自分は「好き」という感情に押しつぶされそうになってしまっていたのだから、尚更そんな気持ちだけで結婚したという母の気持ちは理解出来なかった。
「どんなにお互い好きと思っていても、想いは言葉にしないと伝わらないということを覚えておきなさい。自分に正直に、相手に正直に」
美紀の言葉が麻衣に重く圧し掛かる。
(でも……それが正しいのかな)
自分の気持ちに正直に、それを言葉にして相手に伝えて……もし相手がそれを受け止めてくれなかったら?
(そんなの……すごく傷つく)
「お母ちゃんは上手くいったからそんなこと言えるんだよ……。普通はそんな上手くいかないんだよ」
「麻衣……」
「実際はそんな簡単じゃないでしょ」
言ってしまってから美紀の寂しそうな顔を見て後悔したけど遅かった。
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