『番外編』
夏の風景【3】

 腹立たしい気持ちを我慢しながら雅樹の顔を見上げると雅樹は少し困ったように目を伏せている。

「雅樹?」

「いや……水着姿じゃなくても隅々まで見てるのに今さらだろと思って……」

「ハァ?」

 神妙な顔をしているから心配したのに、まさかこんなガッカリするような答えが返ってくるとは思わなかった。

 思わず目を剥いて雅樹の脇腹を抓ってやると雅樹は笑いながら私の手を掴まえた。

「っていうのはまぁ……冗談で、俺だって高校ん時に真子の水着姿見たかったよ。あんなことしなきゃ海だってプールだって行けたのにって思うと……やっぱり、な」

 雅樹の悲しそうに笑う顔を見たら今日の自分の言動を猛烈に反省したくなった。

 自分の気持ちばかりを押し付けて、雅樹がこんな思いをしているなんて考えもしなかった。

「ごめん……ね」

「別にお前が謝ることじゃねぇよ」

「でも……」

「だから……まぁ埋め合わにはならないだろうけど……さ」

 両手を掴まえられて向き合う雅樹が少し照れくさそうに笑う。

 私が好きになった人は十年経っても変わらない、優しくて強くて少し可愛くていつだって私のことを見ていてくれる。

 本当に好きになって良かった。

「雅樹……」

 向かい合うと身長差があるせいで首を後ろに倒さなくてはいけない。

 それでも構わずに私は雅樹の手を振り解くとそのまま雅樹の胸に飛び込んで背中に手を回した。

「なっ……!? 何やってんだよ!」

「雅樹、大好きっ」

「バカッ、離れろって!」

 恥ずかしそうに声を殺しながら私の身体を引き剥がそうとするけれど、私はさらに力を入れて雅樹の体に抱き着いた。

 あの時あんなことがなかったらこんな風に人前で抱き着いてしまうような瞬間もあったかもしれない。

 今だって私の心臓は壊れそうなほどドキドキしてて、暗くなりかけているから分からないけれど顔は真っ赤になっているはず。

 もう若いとは呼べない歳になっているけれど、もう一度十代の頃のような周りの見えない二人に戻ってみたい。

「真子、どうしたんだよ」

「……キスしよっか?」

「ハァ!? ふざけんなっ」

「嫌?」

「嫌も何も……こんなとこで、おまえ……」

「十年前の雅樹なら……してくれたかもしれないよ?」

「……十年前でもするかよ。ったくふざけてないで離れろって」

 沈んだ夕陽が最後の煌きで西の水平線を赤く染める海岸ならもっとロマンチックな雰囲気になってもいいはずなのに……。

 私達はなぜか格闘技のようになっている。

「もぅっ……屋上ではあんなにキスしてきたくせに、それにいくら暗いからって授業中にいきなりファーストキス奪ったのはどこの誰でしたっけー?」

「今さらその話かよ!」

「あーあ、ファーストキスはもっとロマンチックなのが良かったなぁ」

 これみよがしにため息をつけば雅樹がまいったとばかりに天を仰いだ。

 十年前は見られなかったこんな雅樹を見られることが最近の楽しみ、肩に力の入っていない素の雅樹を間近で見られることが今はとても幸せだと思う。

 そろそろ……許してあげようかな。

 すっかり楽しくなった私はようやく雅樹を解放してあげようと手を緩めると今度は雅樹の手が私を強く抱き寄せた。

「ま、雅樹……?」

「言い出したのはお前だからな」

 意地悪い笑みにハッとした時にはもう遅かった。

 雅樹の手に掴まえられた顔は無理矢理上を向かされると荒々しく唇が重なった、熱っぽい唇は重なるだけでは飽き足らずさらに熱い舌が我が物顔で入って来る。

 いつまでも続く激しいキスに気が遠くなりそうな私は雅樹のシャツにしがみつくのが精一杯で遠くからの冷やかしの声は耳に届かなかった。


end
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