『番外編』
貴俊くんの憂鬱【1】
読んでいたミステリー小説に枝折を挟んで顔を上げた。
どうやら夢中になっていたらしく読み始めたばかりなのに枝折の位置は半分よりも後半で、寝る予定だった時間もとっくに過ぎていた。
(さすがに……マズイか)
明日も学校があるのにと心の中で嘆息しつつ目覚ましを確認する。
もう一時を過ぎているのに開けっ放しの窓からは寝静まった住宅街には不釣合いな重低音だけが強調された音楽と車のエンジン音が流れ込んできた。
さらにまだ昼間の熱を帯びているのか生温い風がカーテンを揺らすともっと不快になった。
また、あの季節がやってきた。
窓を閉め切って過ごすことに不快感を感じるようになるとそれはもうすぐだ。
俺はたいていのことでは動じない、それは感覚が鈍いとかの問題ではなく冷静に対応出来るように常に気を配っているからだ。
けれどどんなに頑張っても俺の心を乱すものが一つだけある。
祐二だ。
長い間秘めてきた想いが通じ合い恋人になった今でもそれは変わらない。
きっと今大地震が来たとしても咄嗟に頭に浮かぶのは自分の身の危険よりも祐二のことだと断言出来る。
良い意味でも悪い意味でも俺の仮面を剥ぐのは祐二、きっと家族よりも素の俺を何度も見てきてるのも祐二だ。
そんな俺がきっと今まで一番動揺した瞬間、それは幼なじみとしてずっと側にいた祐二を恋愛の対象として認識した時だと今でも思う。
そう認識する前から祐二だけは他の誰とも比べられない特別な存在だとは思っていた。
けれどそれは幼なじみとして親友として誰にも替えがたい存在、俺はそう思っていたしそこに何の疑問も抱くことはなかった。
だからあの時の衝撃はかなり大きかった。
ちょうど今くらいの季節……気温と湿度の上昇と共に不快指数も上がっていく季節の頃。
俺と祐二が中等部一年の時の話だ。
「なぁなぁ。あれ見てみろよ……結構、なぁ?」
ヒソヒソと声を潜めてそう言葉を交わす同じクラスの男子の視線の先を追った。
彼らの視線の先には同じクラスの女子の姿、皆お揃いの紺色の水着を着用していた。
クラスの大半の女子はまだ少女の域を出ない体型をしている、しかし発育の良い数人は女性特有の丸みを帯びた体つきへと変化しつつあった。
中学に入ると性への関心がグッと高まった。
周りの友人達も今までの子供の淡い恋心ではなく性の対象として女子達を見るようになった。
俺は女子の水着姿をチラリと見ただけですぐに視線を戻し、それよりもゴム製の水泳帽を被り直すことに集中していると横に立っていた祐二が大きな声を上げた。
「なぁなぁ! 見てみろよ、すっげぇーーー!」
その声に胸の奥がズキンと痛んだ。
なぜか祐二の近くにいると胸が痛くなる時がある、けれどそれはほんの一瞬で気にならない程度だった。
そうなった後に祐二を見るとなぜかとても眩しくて祐二だけが色鮮やかな世界にいるような錯覚。
「なに?」
帽子を被り直し祐二の方を振り向いた。
(まただ……)
小さな胸の痛みのあとの眩しい感じに襲われた。
けれどこの時なぜか眩しさと同時に胸の奥に芽生えた重い痛み、この時はまだその正体が何なのか小さな痛みの理由も分からない俺に分かるはずもなかった。
「すっげぇーー! かっけぇーーーっ!」
アーモンド型の大きな瞳をめーいっぱい輝かせた祐二の眩しさに目を細めながら指差した方へと視線をやった。
さっきの男子達の話を聞いていた俺は祐二もまた同じようなことを言っているのかもしれない、少しつまらない気持ちになりなっていたが感嘆した理由が違うと分かると胸の苦しさが消えた。
「小学校のとは全然ちげーーー!」
祐二の驚きの対象は水着姿の女子ではなく設備の整ったプールだった。
中高等部兼用の全天候型の屋内プールは公立の小学校とは比べ物にならなかった。
25M×8コースだけではなく50M×10コースのプールがあり、大会会場としても使用されているらしい。
それに全天候型なのに開け放たれた天井からは夏に近付いて来たと知らせる強い陽射しが降り注ぎ、キラキラと輝く綺麗な水面を作り出していた。
「流れるプールとかあったらいいのにー」
「おっ! それいいっ! 絶対あったらいいっ!」
学校のプールにそんなものを作れるわけない、けれど祐二は入学してから出来た新しい友人の日和と楽しそうに夢を膨らませていた。
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