『番外編』
初めてのバレンタイン【20】
通いなれているはずのこの部屋がここまで居心地悪かったことがあっただろうか。
かのこは部屋に入ってからも落ち着きなくふらふらとしていた。
リビングの片隅には大きなスーツケースが置かれている、まだ荷解きもしていないらしく真ん中辺りにきっちりとベルトが締められている。
「座ったらどうだ」
部屋に入ってすぐに寝室へと行った和真が部屋着に着替えて戻って来た。
整っていた前髪を散らすように髪に指を入れながら部屋の隅に立っていたかのこをチラリと見た。
(ど、どうしよう……まだ心の準備が……)
この後待ち受けている数々のこと、中でも真尋に教えられたことが頭の中をグルグルと駆け巡っている。
「どうした?」
「う、ううん……」
近付いて来る和真と一定の距離を保つため、何気ない顔でソファの方へと歩き出した。
(掴まったらもう後がない……)
部屋の中から逃げられないにしてもそういう状況にならなければ何とかなるかもしれない、と限りなくゼロに近い希望にしがみ付いていた。
「ケージの中ではどこにいても何をしても構わないぜ」
(……けーじ? 刑事?)
あまり聞きなれない言葉だったのかかのこは足を止めた。
「この部屋で子兎を飼うのも悪くないからな」
(子兎……飼う…………檻!? 檻に入れられた子兎ですかっ!?)
頭の中に浮かんだのは小学生の頃に見た金網のウサギ小屋の中にいた白いウサギ。
寂しそうな瞳で金網の向こうから見上げる白ウサギが自分の姿と重なっている。
「さてと、餌の時間にするか?」
ここまで来ると恋人ではなくもはやペット扱い、複雑な心境のかのこは振り返って和真を見た。
少しだけ口を尖らせて恨めしそうな視線をしたかのこは振り返っただけで何も言わない。
いや、何を言っていいのか分からず口を開くことが出来なかった。
「ん? 腹は減ってないか? それなら……運動が必要、だな?」
ニヤリと歪められた口元。
(や、やばいっ!)
かのこはそれを見るなりまさに脱兎の如く駆け出した。
といっても部屋の中では逃げられる場所が限られている、グルグルとソファの周りを回っていたかのこはすぐに捕らえられてしまった。
ウエストに手を回されて引きづられるようにソファへと座らされた。
身体が沈むような柔らかいソファに乱暴に放り出されたかのこは怯えるように和真を見上げた。
和真はソファの背に手を置いて覆い被さるようにかのこの顔を覗きこんだ。
「言っただろ? 子兎狩りは得意なんだ」
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