恋風(こいかぜ)【1】
銀杏並木が続くなだらかな下り坂、歩道の脇に積もる黄金色、市民プール前のバス停を過ぎ、春には鮮やかな花が彩るツツジの花壇脇を抜ける。
芝生公園やバラ園の手前にクリーム色の外装の建物、ひょうたん公園へと続く歩道からレンガ色の階段を上がった場所に市民温水プールはあった。
数段の階段の下の手前で立ち止まった巡は隣に並ぶ亮太郎の顔を見上げた。
「階段、上がれる? あっちのスロープからの方がいいんじゃない?」
「心配してくれるの? 優しいなー巡ちゃん」
「し、心配なんかしてるわけないでしょ! 階段で転んだりして、左足も折れたら迷惑だからだもん!」
「可愛いなぁー、巡ちゃん」
「そ、その……めぐ……巡、ちゃんってなんか……」
名前で呼れることはあっても、異性から呼ばれることは家族以外になくて、呼ばれるたびにムズムズしてしまう。
「なんで、恥ずかしい?」
「恥……ずかしい、とか……じゃなくて。もう高校生なのにちゃん付けとか子供っぽいし……」
気持ちとは違う言葉が口から出たせいで、だんだんと声が尻つぼみになっていく。
だって……急すぎて、慣れないんだもん。
自分の名前なのにまるで違う響きがして、名前を呼ばれることすら特別に感じる。
「そうか、そうだよなー。ランドセル背負ってる姿が頭にあって、そう呼んでたけどいつの間にか成長したもんだなー、うんうん」
「はあ!?」
やけに感慨深けに肯く亮太郎を見て巡はムッと唇を尖らせる。
その顔に満足したとも言いたげにニンマリした亮太郎は松葉杖に体重を傾け、身体を屈めるようにして巡の顔を覗き込んだ。
「巡?」
「…………ッ」
珍しく静かな低い声で呼ばれ言葉に詰まる。
「めーぐーる?」
尋と話す時にはない、甘ったるい雰囲気の声に巡は堪らず耳を塞いだ。
もう、やだやだやだ!
なんでこんなに恥ずかしいの? ただ名前を呼ばれただけなのに、どうして胸がドキドキするの??
気持ちに気が付く前だったら苛立ちだけが募っていたかもしれない、でもそうなる原因に気付いてしまった今は頬が異常に熱くなってしまう。
「あーもう、何でそんなに可愛いかなぁ」
「うるさーい!」
耳を塞いでいても聞こえてくる亮太郎の声に心臓が跳ねた。
嬉しそうな亮太郎を睨ね付けて、巡が亮太郎から顔をそむけた後も、静まらない胸の鼓動はあっという間に全身に広がっていく。
やっぱり、こんなの変だよ!
ほんの少し前までは亮太郎の前にいても話をしても、心臓が壊れそうになることはなかった。
たった一つ気持ちが変化しただけ、それも気付いたばかりの気持ちなのに、まるで自分が自分じゃないないみたいで、心も身体もコントロールが利かなくなってしまう。
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