恋風(こいかぜ)【45】


 本当は嫌じゃないけどそれを口にするのはまだ少し難しい。

「俺は呼んで欲しいな」

 急に下ろされた視線、真っ直ぐ見つめてくる亮太郎の瞳に映る自分の顔。

 泣き出しそうで、少しだけふくれっ面で、とても可愛いなんて思えないのに、可愛いと言われるたびに心がムズムズする。

(みんな……こうなのかな?)

「巡ちゃん?」

 名前を呼ばれただけでも跳ねる心臓、呼ぶ相手が変わるだけで届き方も違う。

 初めてのことでよく分からない、分からないことばかりだけれど、それさえもワクワクしている自分がいる。

 返事をしない巡に少し心配そうに亮太郎が眉を下げた。

「りょ……」

「ん?」

 言いかけた巡に亮太郎が優しく続きを促す。

「りょ、りょ……ぅ…………やっぱり無理!」

「いーよ。今日はそれで十分。ありがと」

 その人の名前を呼ぶ、たったそれだけのことなのに振り絞らないといけない勇気の大きさに目眩がする。

(恋って……もしかしてすごく大変?)

 生まれたばかりの恋の芽、どう育っていくかはきっと誰にも分からない。

 育て方にマニュアルがあったら簡単だろうけど、そんなのはきっとすぐに役に立たなくなってしまうに違いない。

 だって……恋を知っただけなのに、自分が少しだけ変わったような気がするから。

「足……ごめんね」

「謝んなくていーよ。それよりも足が治ったらデートな」

「えぇ!?」

「そりゃ、どういう反応だ! というわけで、デートまでに名前が呼べるようになれよー」

 最初の課題は名前を呼ぶこと、でもそれはすぐにクリア出来そうな気がする。

「じゃ、行くか」

 歩き出した亮太郎に巡は迷いながら横に並んだ。

「遅れそうになったら置いて行くよ?」

「安心しろ。俺は尋みたいに足は遅くねぇ」

 返ってきたいつものふざけた声に巡が声を立てて笑う。

「お兄ちゃんって歩くのは結構早いよ?」

「あーそれ分かる。怒ってる時なんかまるで競歩みたいな速さだぜ? 高校ん時にあんまりムカついたから、走るより歩いた方が速いんじゃねーのって言ったら、アイツどうしたのと思う?」

「え……分かんない、どうしたの?」

「体育の持久走でマジで競歩で完走しやがった。しかも走り終わった後に『ほらみろ、走った方が速いんだよ』だって」

 他愛もない会話、明るい亮太郎の声、今までと変わらないようだけど確実に変わっていた。

 握っていただけの手が解けないように繋ぎ直されて、冬の匂いのする風が頬を叩いても寒さなんて感じない。

 冷たい風が冬を運んで来た秋の終わり、初めての恋、はじまりました。

end
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