2010、夏祭り:-one-27
閉店後の『club one』の店内、最近ではめっきりお目に掛かれなかった光景があった。
「大丈夫ですか?」
声を掛けられた陸は目元を覆うように置いていた腕をどけて、覗き込む黒髪の男の顔を睨み付けた。
「大丈夫に見えるのかよ」
「見えませんね」
「分かってんなら聞くな」
(最悪、だ)
久々に客の前で醜態を晒した上に、心配してくれた響には八つ当たりだ。
どうにか身体を起こすことが出来た陸は差し出されたコップを素直に受け取った。
空っぽの胃に冷たい水が広がっていく感覚にホッと息を吐く。
「――悪ぃ」
「別にいいですよ。それから、これ……オーナーからご褒美、だそうです」
そう言って響がテーブルに置いたのは鍵。
どういうことか視線で問いかけた陸の気持ちが伝わったのか響が説明をした。
「酔い潰れたことを差し引いても、仕事に来て接客したことは褒めてやる。愚痴を聞いてやるつもりはないが、避難場所くらいはやる、だそうです」
テーブルの上の鍵を拾ってキョロキョロと周りを見渡したけれど誠の姿がない。
「……誠さんは?」
「今日は美咲さんと出掛けられました。戻らないからコレのことも含めて後はよろしく、と言われたのは俺です」
コレ……と指先を向けられた陸は一見インテリサラリーマンのような響がかなり怒っていることにようやく気が付いた。
「あーー、悪ぃ」
他に思いつく言葉がなくて力なく呟くと響がようやく表情を緩ませた。
「いいですよ。こんな陸さんを見られることは滅多にないんで。それより、水もう一杯持ってきましょうか?」
こんな状態だからなのか、こんな些細な気遣いが嬉しくて堪らない。
「ひーびーきーーー」
「ちょっ、何してるんですか!」
甘えるように響の腰に手を回して抱き着いた陸は響に頭を押し返されても構わず額を響の腹に擦り付けた。
女性の身体のように柔らかさの欠片もなく、抱き心地が悪いはずなのに、見た目よりもずっと細い腰は意外に抱き心地が良い。
嫌がって身体を揺する響に構わずギュッと抱き着いたまま陸は顔を上げた。
「響、何か食いに行こ?」
「嫌です」
一片の迷いもない即答に陸は顔を見上げたまま唇を尖らせた。
「今日は一人でいたくない」
「客にそう言ったらどうですか? 食事だけじゃなくて、寝る所も提供してくれますよ」
「余計なオプションが付いてくるから無理」
そんなことをするくらいならコンビニに寄って弁当を買って誠の部屋へ行く。
一人でいたくないといっても人恋しいわけじゃないし、もちろん他の相手とどうこうなりたいわけじゃない。
ただ……余計なことを考えていたくないだけだ。
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