2010、夏祭り:君の隣7


 流れる景色から鮮やかな色が無くなり、賑やかな祭りの音は遠くなった。

 ポツリポツリとある外灯がそこに道があることを教え、頭上で開く花火が足元を照らす、まるで夢の中で迷宮を走っているみたいだった。

 ただ耳障りなほど乱れた荒い呼吸がこれは現実だと教えてくる。

「……っく、うっ」

 額からこめかみへと流れる汗を乱暴に拭い、そのまま濡れている頬も甚平の袖で擦る。

 足元ばかりを見て走っていた祐二はようやく顔を上げると、いつの間にか車が行き交う道路に出ていたことに気が付いた。

(追っかけて来ねぇ……)

 一度も振り返らず走っていても追い掛けて来る足音はないか、耳ばかりが自分の後ろを気にしていた。

 どんなに耳を澄ましても音は聞こえて来ない。

 その事実が祐二に追い討ちをかける。

 どんな風景の中にも貴俊はいて、それは出掛ける時は必ず手にする携帯電話のような存在だ。

 貴俊が隣にいない生活を想像しようとしても、頭の中は何のイメージも浮かんで来ない。

(これから、どうしよう)

 強烈な不安感に襲われ祐二は膝から力が抜けるのを感じた。

 全速力で走っていた勢いのままバランスを崩し、前へ行こうとする上半身が倒れそうになり、踏ん張ろうと力を入れた足元はヌルッとした感触と同時にそのまま滑った。

(やべっ……ッ)

 身体がグラリと揺れたと思った次の瞬間、膝と手の平に激しい痛みが走った。

「……ッテェ」

 強か打ちつけた膝にしばらく身動きが取れず、痛みと情けなさで涙が滲む。

 歩道で派手に転んだ祐二の横をこれから祭りに向かう恋人同士が通り過ぎた。

「なにあれぇ」

 通り過ぎざまに聞こえて来た笑い声に歩道に付いたままの手をグッと握り締める。

(何やってんだ、俺)

 バカにされている笑い声が遠ざかっていくのを背中で感じながらようやく身体を起こし座り込んだ。

 打ち付けた膝と手の平は派手に擦りむいたせいで血が滲み、転ぶ原因となった足元は鼻緒で擦れた指の間から血が流れている。

「痛ぇよ、痛ぇ……よ、バカ」

 ガードレールに背を預け、立てた膝の間に顔を埋めた。

 吹き出す汗と溢れる涙が止まらず、甚平の袖を引っ張って顔を覆う。

 頬を伝い生地を濡らす雫は足と手が痛いからだと自分に言い聞かせた。

 公園から離れても打ち上がる花火の音は身体を震わす、顔を上げれば綺麗な夜空の花が見えると分かっていても顔を上げられない。

 大地を震わせ打ち上がる花火の音を聞きながら祐二はしばらくその場を動くことが出来なかった。

 何度となく聞こえてくる下駄の音に期待して、通り過ぎて遠ざかる音に落する。

 こんな所にいる意味なんて何の意味もないと思うのに、「もしかしたら」と期待する心が身体をその場に縫いつけている。

「ねぇ、庸ちゃーん、早くー! お祭り終わっちゃうよぉ」

「分かったから走るな! 危ないだろっ」

 カラコロと走る下駄の音、聞こえて来た女子の声に何となく聞き覚えがあるような気がしたけれど、顔を上げて確認することはしない。

 祐二の脳裏には女子達に囲まれて屋台を見て回り花火を見上げる貴俊の姿ばかりが浮かんでいた。


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