『いつかの夏へ』
3

 震える手でしっかりと受話器を握り締めながら耳に押し当てた。

 電話の向こうで私の名前を呼ぶ声が聞こえる度にずっと我慢していた涙が溢れ出た。

 どんなに堪えても口からは嗚咽が漏れる。

「もしもし?もしもし?真子?おいっ!真子なんだろっ?」

 何度も何度も私の名前を呼ぶ声がする。

 時々聞いた事のないような掠れた声になる。

「…ご…めんね」

 何も言わないつもりだった。

 声が聞けたら電話を切るつもりだったのにそれすらも我慢出来なかった。

「どこにいる?バイトから帰ってねーから心配してんだぞ」

 雅樹の声が少し柔らかくなった。

 嬉しくなった。

 もう私の事を怒ってないのかもしれないと今は少しでも良い方に考えたかった。

「どこにいる?今から迎えに行く」

 いつもの優しい声だった。

 込み上げてくる嗚咽を必死に飲み込みながら私は口角を斜め上に引き上げて笑顔を作った。

「ううん。大丈夫」

 少し声が震えたけどちゃんと言えた。

 震える唇がどうしても止められなくて私は受話器を手で覆った。

「真子?何かあったのか?」

 雅樹の声色が急に変わった。

 硬い強張った声で探るような喋り方。

(気付かれた…)

 もう何て答えていいか分からなくて黙っているうちにブーッと音がして電話は自然に切れた。

 私は財布から10円玉を取り出したけれど入れる事は出来なくてしばらくしてから受話器を戻した。

 雨の音に交じってバイクの音が聞こえたような気がした。

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