『いつかの夏へ』
9
(俺だって分かっているんだ)
真子を着替えさせた雅樹は風呂を済ませて寝室へと戻って来た。
パジャマに着替えさせても起きなかった真子は雅樹が寝室を出て行った時と何ら変わらない寝姿。
タオルで髪を拭いていた雅樹は手を止めるとベッドに腰掛けて真子の顔を覗きこんだ。
「あの真子がなぁ……」
まだほんのり染めている頬を指の背で撫でながらポツリと呟いた。
再会した時は十年前の高校生の頃と変わらない真子に驚きながらもどこかホッとしていた。
でもそれは幼い顔立ちの真子だから、雅樹はすぐにそのことに気付かされた。
「酒もタバコも覚えたのは……俺のせいか?」
タバコの煙でも咽ていた真子がまさかタバコを吸っているとは思わず正直面食らった雅樹に真子は止めようと思うと苦笑いした。
自分も吸っているから気にしないと雅樹は言ったが、真子はもう決めたからとニッコリと笑った。
十年の間にきっと自分には言えないような日々を過ごしてきたはず……。
「ごめんな」
さっきの夏との会話を思い出し、雅樹はまたポツリと呟いた。
真子が悩んでいることに薄々気付いていたし、いつまでもこのままでいるつもりはなかったが……。
――あの時のことが原因なんじゃないかって。
月日を経て少しでも真子の傷が癒えていたらいいと思っていた。
(忘れられるはずないのにな……)
まだはっきりと思い出せる。
湿った空気、纏わりつく雨の匂い、泣き腫らした目、冷えた体、震えの止まらない細い肩、血の滲んだ手足……。
今でも鮮明に脳裏に浮かぶ真子の姿にグッと奥歯を噛みしめる。
触れるか触れないかで頬を撫でていた指を引いた雅樹は拳を握り締めて、やり場のない怒りをぶつけるように膝に叩きつけた。
悔やんでも悔やみきれないあの日、どうしてあんな些細なことで怒ったのか、どうして迎えに行かなかったのか、何度自分を責めたのか分からない。
いくら自分を責めたところで事実を消すことは出来ない、それでもただの一度だって真子を抱きたくないと思ったことはない。
「俺が……また泣かせているのか?」
身じろいだ真子の瞼の奥からにじみ出た涙に胸が締め付けられ息苦しさを覚えた。
(そうだよな……俺が……)
ようやく再会出来たのに二の足を踏む自分が情けなくなる。
「真子、もう泣くなよ」
雫となって目尻から伝いそうな涙を親指の腹で拭い雅樹は真子の隣に潜り込んだ。
確かに感じるその温もりを腕の中に抱くだけで幸せだと思う自分は高校生の頃よりも……純朴になったんじゃないかと自分でも呆れてしまうことがある。
雅樹は真子の首の下に手を潜り込ませ、片手で布団を引き上げた。
(そろそろ……限界だよな。俺も真子も……)
真子のこめかみに軽くキスをして雅樹はゆっくりと目を閉じた。
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