『拍手小説』
も3-5
「美紀デートしようか」
朝いつもよりも早く起きてきた竜之介は庭で洗濯物を干している美紀に声を掛けた。
秋晴れの空の下、東海環状道を走る黒のメルセデスE350。
「竜ちゃん、どこ行くのかそろそろ教えて?」
「岐阜」
「岐阜?」
「綺麗な景色見て温泉入って美味いもん食って帰る。いつも頑張ってくれてる奥さんに俺からのプレゼント」
右手でハンドルを握りながら左手で美紀の手を引き寄せる。
出逢ってから三十五年経った今でも竜之介の中で最上の存在は美紀。
二人の子供達にも恵まれ大きく育ったのは妻であり母でもある美紀がいてくれたからこそだと常々思っている。
店を持つようになってからは仕事が忙しく美紀も子育て中心の生活に追われて思うように過ごせないこともあった、だが子供たちが大人になり自分達の下を巣立ってからは昔のような二人の生活が戻って来た。
まるで二度目の恋人時代のようだった。
「嬉しいわ。樹も麻衣も出て行ってしまってからは二人になって寂しかったものね」
「…………」
竜之介は美紀を掴んだ手に力を入れた。
「竜ちゃん?」
「俺と二人じゃ寂しいか?」
竜之介の横顔が怒っていることに気付いた美紀は少し頬を緩ませ竜之介の肩に頭を寄せた。
いくらかは機嫌の戻った竜之介も頭を傾けると美紀の髪に頬を寄せる。
「私は竜ちゃんと一緒に居られて幸せだったわ、お腹にあの子がいると分かった時も婚姻届に名前を書いた時も、今もそしてこれからも幸せ」
美紀の言葉は誰のどんな言葉よりも自分の心を動かす。
竜之介は改めて美紀の大きさを知り愛しい気持ちをこめて優しく手を握りなおす。
昔は白く細かった指は全体に丸くぽっちゃりと家事や庭の花の手入れをしているせいか陽に焼け昔の面影はない。
それでも愛しい人に変わりはない。
「美紀、左手出してごらん」
「左手?」
美紀が首を傾げながら左手を竜之介の方に差し出すと竜之介は上着のポケットから取り出した指輪をはめた。
少し焼けた肌に合うピンクゴールドにダイヤが一粒埋め込まれた指輪が薬指に輝く。
「これからもよろしく、奥さん」
「まっ……いつの間に?」
「昨日、陸の店に顔出した時にな」
「いっつも竜ちゃんばっかり遊びに行って! たまには私も連れて行って欲しいわ」
「遊びじゃなくて仕事。たとえ仕事でも相手が息子でもホストクラブに美紀を入れるつもりはないよ、この先もずっと」
「分かりました、旦那様。それで……今日はこのために連れ出してくれたの?」
美紀が指に光る指輪を嬉しそうに眺めながら聞く。
「まさか! メインは温泉と松茸料理。それは気分を盛り上げるための演出」
美紀は竜之介らしいとクスッと笑う。
「帰りに栗きんとん買って麻衣に届けてやるか」
「そうね」
二人を乗せる車は土岐ジャンクションを経由して中央自動車道に入った。
穏やかな秋の日の一日はまだ始まったばかり
end
―50―
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