『拍手小説』
も3-3
朝から家中に漂う香りに拓朗は少々不機嫌だった。
リビングから見えるキッチンには母と妹の珠子が朝から楽しそうな声を上げている。
(また庸介のためかよ……)
今日の午後は久しぶりにこっちに帰って来る庸介とデートだと何日も前から張り切っていた。
可愛い珠子が楽しそうにしいてるのは本当に嬉しいけれどその理由が気に入らない。
しかも朝から母と二人で菓子作りに精を出しているのは庸介のためだと断言出来る。
(家にいてもつまんねぇし出掛けてくるか……)
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 来て来て」
キッチンから珠子が顔を出して手招きをしている。
一瞬どうしようかと思ったがやはりあの笑顔に勝てるわけもなく目尻を下げるとキッチンへと向かった。
「ちょっと焦げちゃったんだけど……食べてくれる?」
かのこが焼けたばかりの一口サイズのアップルパイを差し出した。
言葉の通り焼き目の濃い焦げ茶色のアップルパイだが匂いは甘くてシナモンのいい香りがしている。
「俺に……?」
「うん! 一番に食べてもらおうと思って」
「珠子ぉぉぉっ」
てっきり庸介のために作っていると思っていた拓朗は思いがけない展開に嬉しくなりアップルパイを口に運んだ。
まだ中身の熱いリンゴで火傷しそうになりながらしっかりと味わう。
(俺……生きてて良かった)
自分好みの甘みを控えた味と珠子の手作りに涙が滲む。
「どう? どう?」
「美味しいよ! 珠子はすごいなぁ、将来パティシエになったらいいんじゃないか?」
「良かったぁ!」
珠子はようやくホッとしたのか顔を綻ばせた。
その顔を見ていると自然と頬が緩んでデレッとしてしまう拓朗。
――ピンポーン
「俺、出るよ」
拓朗は尋ねてきた相手の検討はついたがすっかり機嫌も直っていたのでスキップでも飛び出しそうな勢いで迎えに出た。
玄関で拓朗に出迎えられた庸介は顔を引き攣らせた。
「何かあったのか?」
「何でもねぇよ! まぁ上がれ上がれ」
庸介の肩をバンバン叩きながら拓朗は庸介を招き入れると二人でリビングへと向かった。
庸介が姿を見せると珠子は嬉しそうに駆け寄った。
「庸ちゃん! 早かったね!」
「おぉ、思ったより早い新幹線に乗れたからな」
久しぶりに顔を合わせる恋人同士は嬉しそうに見つめ合う。
いつもなら二人を引き離そうとする拓朗だったが温かい眼差しで二人を見守った。
「珠子、肝心な物忘れちゃだめでしょ」
珠子は母の睦美から小さな箱を手渡されると蓋を開けて庸介に見せた。
少し離れたところで見ていた拓朗は中身が気になりそーっと近付いた。
「珠子が作ったのか?」
「うん! 庸ちゃん甘い物苦手だから甘さ控えめにしてみたの」
「お……美味いじゃん」
勧められた庸介はアップルパイをかじると美味い美味いと何度も言いながら珠子の頭を撫でた。
その傍らで呆然とする拓朗。
箱の中には綺麗なキツネ色のアップルパイが並んでいた。
end
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