『拍手小説』
【海&ひな】
ショーウィンドウを飾る暖かそうなディスプレイ、食い入るように視線を向けていたひなが慌てて振り返った。
「なに?」
隣を歩いていた海は遅れて同じ方へと視線を向ける。
「あ……あー、やっぱりそうだ! ね、あそこに歩いてるのって北倉先生だよね!?」
ひなが指差す方へと視線を凝らした海は人波の向こうに見覚えのある後姿を見つけた。
いつもはジャージ姿で寝癖の一つや二つ当たり前なのに、今日はなんだか別人のようにも見える。
でも間違いない、二人が通う桜ヶ丘高校の体育教師であり、海が所属するバスケ部顧問の北倉直紀だった。
「へえ、センセでも買い物すんだな……って、おい! どこ行くんだよっ」
今日はひながニットの帽子を見たいと言っていうからわざわざここまで来た、ついでに映画でも見ようと考えていた海は目指す方向とは逆へ歩き出したひなを追い掛けた。
「先生の彼女、見てみたくない?」
「はあ!?」
言われて初めて海は直紀の横に並ぶ小柄な女性の存在に気が付いた。
彼女がいてもおかしくない年齢なのは分かっていても、あのガサツな男と付き合う相手には少し興味がある。
探偵気取りで後を付けようとするひなの横に並び、思わず背を屈めてしまった海は自分のしていることに気付いてハッとした。
(ひなのペースに巻き込まれるとこだった)
自分は部活、ひなはバイト、ゆっくり過ごせる時間などなかなかない、久々のデートをこんなくだらないことで潰すなんてもってのほかだ。
「ひな、ほっとけよ」
「なんでー? 海は気にならないの?」
気にならないわけじゃない。
少し前に直紀にはある噂があった。
卒業生の女子生徒と駆け落ちしただとか、無理矢理迫っただたとか、どれもまったく信憑性のないただの噂で今では誰も気にしていない。
後姿を見る限り彼女の年齢が若そうで、これでもし相手が生徒だったりしたらビッグニュース間違いなしだ。
(いじるネタにもなるしなぁ……)
部活でしごかれている腹いせではないが、少しくらいやり返すネタにはなりそうだ。
「ねー海?」
ひなに下から見上げられて、海は喉元まで出掛かっていた好奇心を抑え込んだ。
薄っすらだけれど化粧をしている、まつげはいつもより長くて、唇は珊瑚色で濡れたような艶がある。
「ねー早く行こうよ。見失っちゃう!」
「お前が探すのはニットの帽子だろ」
「えーーーっ」
ひなの表情に釘付けになる。
膨らんだ柔らかそうな頬、突き出された小さな唇に心拍数が跳ね上がった。
「えー、じゃねぇよ。ほら、行くぞ」
「あっ! もうっ、そんなに引っ張らないでよっ」
ひなの小さな手を掴んで歩き出す。
未練がましく何度も振り返っていたひなも、すぐに諦めたのか大人しく歩き始め、海はその時あることに気が付いた。
今日初めてひなに触れた、せっかくのデートなのに手も繋いでいなかったのだ。
直紀に感謝すべきなのか心の中で苦笑いしながら掴んだ手に力を込めた。
end
―130―
[*前] | [次#]
コメントを書く * しおりを挟む
[戻る]